長短経 / 君徳
〔裴子野曰、「宋武皇帝、苛跡多於魏武、大徳厚於晉宣。㧞足行間、却孫恩蟻聚之衆、奮臂荆、郢、掃桓𤣥盤石之宗、方軌長駈則三齊無堅壘、迴戈内赴則五嶺靡餘妖、命孫季髙于巨海之上而番隅席卷、擢朱齡石于百夫之下而庸蜀來王、羌胡畏威、反為表裏、董率虎旅、以事中原。然後請呼上帝、步驟前王、光有帝圖、謂之義取者也。」
新字:〔裴子野曰、「宋武皇帝、苛跡多於魏武、大徳厚於晋宣。抜足行間、却孫恩蟻聚之衆、奮臂荆、郢、掃桓玄盤石之宗、方軌長駈則三斉無堅塁、迴戈内赴則五嶺靡余妖、命孫季高于巨海之上而番隅席巻、擢朱齢石于百夫之下而庸蜀来王、羌胡畏威、反為表裏、董率虎旅、以事中原。然後請呼上帝、歩驟前王、光有帝図、謂之義取者也。」
書き下し
〔裴子野曰く「宋の武皇帝は、苛跡は魏武より多く、大徳は晋宣より厚し。足を行間に抜きて、孫恩蟻聚の衆を却け、臂を荊・郢に奮いて、桓玄盤石の宗を掃う。軌を方べて長駆すれば則ち三斉に堅塁無く、戈を迴らして内に赴けば則ち五嶺に余妖靡し。孫季高に巨海の上に命じて番隅席巻し、朱齢石を百夫の下に擢きて庸蜀来王す。羌胡は威を畏れ、反って表裏と為る。虎旅を董率して、以て中原を事とす。然る後に上帝に請呼し、前王に歩驟し、光く帝図を有つ。之を義取と謂う者なり」と。
現代語訳
〔裴子野はこう言った。「宋の武皇帝は、厳しい足跡は曹操より多く、大きな徳は司馬懿より厚い。隊列の間から身を抜き出して、孫恩の蟻のように群がる軍勢を退け、荊州・郢州で腕を振るって、桓玄の磐石の一族を掃い去った。轍を並べて長駆すれば斉の地に堅い砦はなく、矛を返して内へ向かえば五嶺に残る妖しい者はいなかった。孫季高に大海の上で命じて番禺を席巻し、朱齢石を大勢のなかから抜擢して蜀を服属させた。羌や胡は威を恐れ、かえって内外で呼応した。精鋭を率いて中原を事とした。そうしてから天帝に請い願い、先代の王の跡を歩み、広く帝王の版図を保った。これを義によって取るという」。
解説
苛跡は魏武より多く、大徳は晋宣より厚し。二人の先例と比べて、厳しさでも徳でも上回っているという評です。並び方が面白い。厳しさが多いことを、まず先に置いている。徳だけを称えるのではなく、厳しさの量も正直に数えたうえで、それでも徳が上回ると言う。人物を美化しない評価の作法です。義取、義によって取ったという結論も、簒奪を正当化しながらその形式を明示しています。
この章句が説くこと
君徳劉裕裴子野曹操司馬懿義取
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