長短経 / 懼戒
隋煬帝初猜忌唐髙祖、知之、常懐危懼〔唐公為太原㽞守、煬帝自遼東還徵唐公詣行在所、遇患不瘳、未得時謁。唐公外甥王氏、充選後宫、煬帝問曰、「汝舅來何遲?」甥以實對、帝曰、「可得死否?」髙祖知之、每懐危懼也。〕為太原留守、以討擊不利、恐為煬帝所譴、甚憂之。時太宗從在軍中、知隋將亡、潛圖義舉、以安天下、乃進曰、「大人何憂之甚也?當今主上無道、百姓愁怨、城門之外、皆已為賊。獨守小節、必且旦暮死亡。若起義兵、實當人欲。且晉陽用武之地、足食足兵、大人居之、此乃天授、正可因機轉禍、以就功業。既天與不取、憂之何益?」
新字:隋煬帝初猜忌唐高祖、知之、常懐危懼〔唐公為太原㽞守、煬帝自遼東還徴唐公詣行在所、遇患不瘳、未得時謁。唐公外甥王氏、充選後宮、煬帝問曰、「汝舅来何遅?」甥以実対、帝曰、「可得死否?」高祖知之、毎懐危懼也。〕為太原留守、以討撃不利、恐為煬帝所譴、甚憂之。時太宗従在軍中、知隋将亡、潜図義舉、以安天下、乃進曰、「大人何憂之甚也?当今主上無道、百姓愁怨、城門之外、皆已為賊。独守小節、必且旦暮死亡。若起義兵、実当人欲。且晋陽用武之地、足食足兵、大人居之、此乃天授、正可因機転禍、以就功業。既天与不取、憂之何益?」
書き下し
隋の煬帝初め唐の高祖を猜忌す。之を知りて、常に危懼を懐く〔唐公、太原留守と為る。煬帝遼東より還り、唐公を徴して行在所に詣らしむ。患いに遇いて瘳えず、未だ時に謁するを得ず。唐公の外甥王氏、後宮に充選せらる。煬帝問いて曰く「汝の舅の来たること何ぞ遅き」と。甥、実を以て対う。帝曰く「死を得べきや否や」と。高祖之を知り、毎に危懼を懐くなり〕。太原留守と為り、討撃利あらざるを以て、煬帝の譴むる所と為らんことを恐れ、甚だ之を憂う。時に太宗従いて軍中に在り、隋の将に亡びんとするを知り、潜かに義挙を図り、以て天下を安んぜんとす。乃ち進みて曰く「大人何ぞ之を憂うることの甚だしきや。当今、主上無道にして、百姓愁怨し、城門の外は皆已に賊と為る。独り小節を守らば、必ず且に旦暮に死亡せんとす。若し義兵を起こさば、実に人の欲に当たる。且つ晋陽は用武の地にして、食足り兵足る。大人之に居るは、此れ乃ち天授なり。正に機に因りて禍を転じ、以て功業に就くべし。既に天与うるに取らずんば、之を憂うるも何の益かあらん」と。
現代語訳
隋の煬帝ははじめ唐の高祖李淵を疑っていた。李淵はそれを知って、いつも危うさと恐れを抱いていた〔李淵が太原留守だったとき、煬帝は遼東から戻って李淵を行在所に呼んだ。李淵は病が治らず、すぐには参上できなかった。李淵の姉妹の娘の王氏が後宮に選ばれていた。煬帝は「お前の叔父はなぜ来るのが遅いのか」と問い、王氏は事実を答えた。煬帝は「死ぬかもしれないのか」と言った。李淵はこれを知って、いつも恐れを抱いていた〕。太原留守となってから、賊の討伐がうまくいかず、煬帝にとがめられるのを恐れてひどく憂えていた。そのとき太宗李世民が従って軍中にいて、隋がまもなく滅びると知り、ひそかに義挙を図って天下を安んじようとしていた。そこで進み出て言った。「父上はなぜそこまで憂えておられるのですか。いま主上は無道で、民は憂え恨み、城門の外は皆すでに賊になっています。ひとり小さな節義を守っていれば、必ず朝晩のうちに死ぬことになります。もし義兵を起こせば、まさに人々の望みにかなう。しかも晋陽は武を用いる地で、食も兵も足りています。父上がここにおられるのは天が授けたものです。まさに機に乗じて禍を転じ、功業を成すべきです。天が与えているのに取らないなら、憂えて何の益がありましょう」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『長短経』懼戒高祖大いに驚き、深く之を拒む。太宗趨りて出づ。明日復た進みて説きて曰く「此れ万全の策にして、以て滅族の事を救うなり。今、王綱弛紊し、盗賊天下に逼る。大人は命を受けて討捕す。其れ尽くすべけんや。賊既に尽きずんば、自ら当に罪を獲べし。且つ又た世に伝う、李氏の姓は図籙に膺ると。李全才は位望隆貴なるも、一朝にして族滅す。大人既に能く賊を平らぐるも、即ち又た功は賞せられざるに当たる。此を以て活を求むるも、其れ得べけんや」と。高祖の意少しく解けて曰く「我一夜思量するに、汝の言大いに道理有り。今日、家を破り身を滅ぼすも亦た汝に由り、家を化して国と為すも亦た汝に由る」と。是に於て計を定め、乃ち太宗と晋陽令劉文静、及び門下の客長孫順徳・劉弘基等とに命じて兵を募らしむ。旬日の間に、衆且に一万ならんとす。留守の副王威・高君雅を斬る。其の詭りて高祖に晋祠に雨を祈らんことを請い、将に不利を為さんとするが故なり。
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『長短経』懼戒裴寂の計を用い、伊尹の太甲を放ち、霍光の昌邑を廃する故事に准い、煬帝を尊びて太上皇と為し、代王侑を立てて以て隋室を安んじ、檄を諸郡に伝えて、以て義挙を彰らかにす。秋七月、精甲三万を以て、西のかた関中を図る。高祖白旗に仗り、衆に太原の野に誓い、師を引きて路に即き、遂に隋族を亡ぼし、我が区夏を造る。
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『長短経』懼戒是に於て賓客を部署し、陰かに起義を図る。高祖乃ち文静に命じて詐りて煬帝の勅を為り、太原・雁門・馬邑数郡の人二十已上、五十以下を発して悉く兵と為し、歳暮を以て涿郡に集めしむ。是に由りて人情大いに擾れ、乱を思う者益々衆し。又た文静と裴寂とに令して詐りて符勅を作り、官監の庫物を出だして、以て留守の資用に供す。因りて兵を募り衆を集めて起ち、旗幟を改めて以て義挙を彰らかにす。又た文静をして突厥に連ならしむ。突厥の始畢曰く「唐公義を挙ぐ、何を為さんと欲するや」と。文静曰く「文皇帝は冢嫡を廃し、位を後主に伝え、因りて斯の禍乱を致す。唐公は国の懿戚にして、成敗を坐観するに忍びず、当に立つべからざる者を廃せんと欲す。願わくは可汗の兵馬と同に京師に入らん。人衆・土地は唐公に入り、財帛・金宝は突厥に入らん」と。始畢大いに悦び、即ち兵を遣わして文静に随わしめて至る。兵威益々盛んなり。〕
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『長短経』懼戒周の大将軍郭栄、使いを奉じて隋の高祖に詣る〔高祖楊堅、時に定州たり〕。高祖、栄に謂いて曰く「吾は雅より山水を尚び、纓紱を好まず。過って時来たるに藉りて、遂に名位を叨る。願わくは時を以て第に帰り、以て余年を保たん。何如」と。栄対えて曰く「今、主上無道にして、人は危懼を懐く。天命常ならず、能なる者代わる有り。明公は徳は西伯より高く、望みは国華を極む。方に六合に拠りて、以て黎庶を慰めんとす。反りて童児女子の坑に投じ穽に落つるの言に效うや」と。高祖大いに驚きて曰く「妄言すること無かれ、族せられん」と。高祖の相と作るに及び、笑いて栄に謂いて曰く「前言果たして中たる」と。後に竟に周室に代わる。
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『長短経』懼戒太宗喜びて曰く「計将に安くにか出でんとする」と。文静対えて曰く「今、李密は長く洛邑を囲み、主上は淮南に流播す。大賊は州郡を連ね、小盗の山沢を阻む者、千万を以て数う。但だ須らく真主の馭駕して之を取るべし。誠に能く天に応じ人に順い、旗を挙げて大呼せば、則ち四海も定むるに足らず。今、并州の百姓の盗賊を避くる者、皆此の城に入る。文静は令為ること数年、其の豪傑を知る。一朝嘯集せば、立地に数万人なるべし。尊公の領する所の兵も復た且に数万ならんとす。一言口より出でば、誰か敢えて従わざらん。虚に乗じて関に入り、天下に号令せば、半歳に盈たずして、帝業成るべし」と。太宗笑いて曰く「卿の言善し、人の意に合う」と。
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『長短経』懼戒〔晋陽令劉文静、嘗て竊かに太宗を観て、裴寂に謂いて曰く「非常の人なり。大度は漢高に類し、神武は魏帝に同じ。年少しと雖も、乃ち天縦なり」と。後に文静、李密の親戚為るを以て、禁ぜらる。太宗陰かに異志有り、禁所に入りて之を看る。文静大いに喜び、亦た太宗に非常の意有るを覚り、因りて嘆じて曰く「天下大いに乱る。湯・武・高・光の才有るに非ずんば、定むること能わざるなり」と。太宗其の意を知りて、報じて曰く「卿安んぞ無きを知らん。但だ常人の別つこと能わざるを恐るるのみ」と。文静起ちて忭びて曰く「久しく知る、郎君は乃ち潜龍なり。今、時事此くの如し。正に是れ騰躍の秋なり。素より膺籙の資を禀け、仍お撥乱の道を懐く。此れ乃ち生人に息肩の望み有り。文静は攀附の所を知る」と。