長短経 / 君徳
或曰、「觀偽新王莽、謙恭禮讓、豈非一代之名士乎?至作相居尊、驕淫暴虐、何先後相背甚乎?」虞南曰、「王莽天姿慘酷、詐偽人也。未達之前、狥名求譽、得志之後、矜能傲物。飭情既盡、而本質存焉。愎諫自髙、卒不改寤、海内寃酷、為光武之驅除焉。」
新字:或曰、「観偽新王莽、謙恭礼譲、豈非一代之名士乎?至作相居尊、驕淫暴虐、何先後相背甚乎?」虞南曰、「王莽天姿惨酷、詐偽人也。未達之前、狥名求誉、得志之後、矜能傲物。飭情既尽、而本質存焉。愎諫自高、卒不改寤、海内冤酷、為光武之駆除焉。」
書き下し
或るひと曰く「偽新の王莽を観るに、謙恭礼譲なり。豈に一代の名士に非ずや。相と作り尊に居るに至りて、驕淫暴虐なり。何ぞ先後の相い背くこと甚だしきや」と。虞南曰く「王莽は天姿惨酷、詐偽の人なり。未だ達せざるの前は、名を狥め誉を求む。志を得るの後は、能を矜り物に傲る。飾情既に尽きて、本質存す。諫に愎りて自ら高しとし、卒に改め寤めず。海内寃酷にして、光武の駆除と為れり」と。
現代語訳
ある人が言った。「偽の新の王莽を見ると、謙虚で恭しく礼を尽くして譲りました。一代の名士ではありませんか。それが宰相となり尊い位に居るに至って、驕り淫らで暴虐になりました。どうして前後がこれほど背くのでしょう」。虞世南は言った。「王莽は生まれつき惨く酷い性質で、偽る人である。まだ出世しない前は、名を追い誉れを求めた。志を得た後は、能力を誇り人を侮った。飾った情がすっかり尽きて、本質が残った。諫めに逆らって自分を高しとし、ついに改め悟らなかった。天下は無残に苦しみ、光武帝のための露払いとなった」。
解説
飾情既に尽きて、本質存す。この六字が王莽論の核心です。人が変わったのではなく、演じる必要がなくなっただけだという見方。謙虚さは、それによって得るものがある間だけ続いた。だから、まだ何も持っていない人の謙虚さは、人物の証拠にならない。前に出てきた、富貴の人においてのみ恭倹が見分けられる、という話と同じ結論に行き着きます。
この章句が説くこと
君徳王莽虞世南偽り謙虚本質
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