長短経 / 定名
夫理得於心、非言不暢、物定於彼、非言不辯。言不暢志則無以相接、名不辯物、則識鑒不顯。原其所以、本其所由、非物有自然之名、理有必定之稱也。欲辯其實、則殊其名、欲宣其志則立其稱。故稱之曰、道、徳、仁、義、禮、智、信。
新字:夫理得於心、非言不暢、物定於彼、非言不弁。言不暢志則無以相接、名不弁物、則識鑒不顕。原其所以、本其所由、非物有自然之名、理有必定之称也。欲弁其実、則殊其名、欲宣其志則立其称。故称之曰、道、徳、仁、義、礼、智、信。
書き下し
夫れ理は心に得るも、言に非ずんば暢びず。物は彼に定まるも、言に非ずんば弁ぜず。言志を暢べざれば則ち以て相接する無く、名物を弁ぜざれば、則ち識鑒顕れず。其の所以を原ね、其の由る所を本づくるに、物に自然の名有り、理に必定の称有るに非ざるなり。其の実を弁ぜんと欲すれば、則ち其の名を殊にし、其の志を宣べんと欲すれば則ち其の称を立つ。故に之を称して曰く、道・徳・仁・義・礼・智・信と。
現代語訳
道理は心で得ても、言葉でなければ伝わらない。物はそこに定まっていても、言葉でなければ区別できない。言葉が志を伝えなければ互いに通じ合えず、名が物を区別しなければ見識は現れない。その理由と由来をたどると、物にもともと自然な名があるわけでも、道理に必ず決まった呼び名があるわけでもない。実体を区別したければ名を分け、志を述べたければ呼び名を立てるのである。だからそれを道・徳・仁・義・礼・智・信と呼ぶのである。
解説
定名の篇は、言葉と名前の役割から始まります。心で理解したことも言葉にしなければ人に伝わらず、物も名前がなければ区別できない。そして名前は、物にもともと備わっているのではなく、区別し伝えるために人が立てるものだ。だから道、徳、仁、義などの言葉も、意味を定めて使わなければ議論がすれ違う。組織で大切な言葉を、それぞれが違う意味で使っていないか。この篇はまず言葉の定義から整えようとします。
この章句が説くこと
定名言葉定義名実コミュニケーション概念
関連する章句
-
論語・雍也篇子曰く、觚、觚ならず。觚ならんや、觚ならんや。
-
『正法眼蔵随聞記』巻一雑話の次でに云く、世間の男女老少多く交会姪色等の事を談ず、是を以て心を慰むるとし、興言とすることあり、一旦意をも遊戯し、徒然も慰むるに似たりと云ふとも、僧はもつとも禁断すべきことなり、俗猶よき人、まことしき人の、礼儀をも存じ、げにげにしき談の時、出来らざることなり、只乱酔放逸なる時の談なり、況や僧は専ら仏道を思ふべし、雑語は希有異体の乱僧の云ふことなり、
-
『正法眼蔵随聞記』巻一宋土の寺院なんどには都て雑談をせざれば、其やうなること、をも云はざるなり、吾が国も近ごろ建仁寺の僧正存生の時は、一向あからさまにも此の如きの言語出来らず、滅後にも存世の時の弟子等、少々残りとヾまりたりし時は一切に云はざりき、近ごろ此の七八年より以来、今ま出の若き人たち時々談ずるなり、存外の次第なり、聖教の中にも麁强悪業令人覚悟無利言説能障正道とありて、只うち出して云処の言ばすら、無利の言説は障道の因縁なり況やかくの如きの言語は、ことばに引れて即ち心も起りつべし、最も用心すべきなり、故さらにかくなん云はじとせずとも、悪きことゝ知りなば漸々に退治すべきなり、
-
人物志・八觀其の言甚だ懌べども、精色従わざる者は、中に違う有るなり。其の言違う有れども、精色信ずべき者は、辞の敏ならざるなり。
-
論語・顔淵篇司馬牛、仁を問う。子曰く、「仁者は、其の言や訒し。」曰く、「其の言や訒しければ、斯れ之を仁と謂うか。」子曰く、「之を為すこと難し、之を言うこと訒きこと無きを得んや。」
-
『甲陽軍鑑』品第四十子細は信玄公わかうまします時より、諸侍のことばをよくきゝ、分別あるも、なきも、つよからんも、よはからんも其人の物いふ儀にてつもり被成たるが、今日にいたるまでも、それがしむけんならくへ堕罪仕らん、少もあひちがはず候、さるほどに、よき事をもほめ所を見いだし、聞付穿鑿の取さたをもつて善をば善と定め、悪をば悪とさだめ、道理をつめてほめそしる武士の作法なり、さなくして、かたはし聞て我贔負の者を虚空によきとばかり批判する事女にあひにたる侍、と信玄公の常々御諚これなり、如此有様にせんさくあそばす故、若手に能武士出くるなりと阿部加賀守申て、金丸助六郎·同惣蔵にをしゆる也、