長短経 / 是非
韓子曰、“釋法術而以心理、堯舜不能正一國、去規矩而忘善度、奚仲不能成一輪。使中主守法術、拙匠執規矩、而萬不失矣。”〔非曰〕《淮南子》曰、“夫矢之所以射逺貫堅者、弓弩力也、其所以中的剖微者、人心也。賞善罰暴者、政令也、其所以行者、精誠也。故弩雖强、不能獨中、令雖明、不能獨行。”杜恕曰、“世有亂人、而無亂法。若使法可專任、則唐、虞不須稷、契之佐、殷、周無貴伊、吕之輔矣。”〔是曰〕
新字:韓子曰、“釈法術而以心理、堯舜不能正一国、去規矩而忘善度、奚仲不能成一輪。使中主守法術、拙匠執規矩、而万不失矣。”〔非曰〕《淮南子》曰、“夫矢之所以射遠貫堅者、弓弩力也、其所以中的剖微者、人心也。賞善罰暴者、政令也、其所以行者、精誠也。故弩雖強、不能独中、令雖明、不能独行。”杜恕曰、“世有乱人、而無乱法。若使法可専任、則唐、虞不須稷、契之佐、殷、周無貴伊、呂之輔矣。”〔是曰〕
書き下し
韓子曰く「法術を釈てて心を以て理むれば、堯舜も一国を正す能わず。規矩を去りて善度を忘るれば、奚仲も一輪を成す能わず。中主をして法術を守らしめ、拙匠をして規矩を執らしむれば、万に一も失わず」と。〔非に曰く〕淮南子に曰く「夫れ矢の遠きを射て堅きを貫く所以の者は、弓弩の力なり。其の的に中りて微を剖く所以の者は、人の心なり。善に賞し暴を罰する者は、政令なり。其の行わるる所以の者は、精誠なり。故に弩は強しと雖も、独り中つる能わず。令は明らかなりと雖も、独り行わる能わず」と。杜恕曰く「世に乱人有りて、乱法無し。若し法をして専ら任ず可からしめば、則ち唐・虞は稷・契の佐を須いず、殷・周は伊・呂の輔を貴ぶこと無からん」と。
現代語訳
韓非子はこう言った。「法と術を捨てて心で治めるなら、堯や舜でも一国を正せない。定規とコンパスを捨てて正しい寸法を忘れるなら、車作りの名人奚仲でも車輪一つ作れない。並の君主に法と術を守らせ、拙い職人に定規を持たせれば、万に一つも失敗しない」。〔非の側。〕淮南子にこうある。「矢が遠くまで飛び堅い物を貫くのは、弓の力である。的に当たって細かいところを射抜くのは、人の心である。善に賞し暴に罰するのは法令である。それが実際に行われるのは、まごころである。だから弓が強くても、それだけでは当たらない。法令が明らかでも、それだけでは行われない」。杜恕はこう言った。「世に乱す人はいるが、乱す法はない。もし法にすべてを任せられるなら、堯舜は稷や契の補佐を必要とせず、殷や周は伊尹や呂尚の助けを重んじなかっただろう」。
解説

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『長短経』是非韓子曰く「凡そ人の大体は、取舎同じければ則ち相い是とし、取舎異なれば則ち相い非とするなり」と。易に曰く「同声相応じ、同気相求む。水は湿に流れ、火は燥に就く。雲は龍に従い、風は虎に従う」と。〔非に曰く〕易に曰く「二女同居すれば、其の志同じからず」と。語に曰く「一棲に両雄あらず、一泉に二蛟なし」と。又た曰く「凡そ人情は同を以て相い妒む」と。故に曰く「同美は相い妒み、同貴は相い害し、同利は相い忌む」と。
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『韓非子』難勢第四十今勢を廃し法に背きて堯・舜を待ち、堯・舜至りて乃ち治まるは、是れ千世乱れて一たび治まるなり。法を抱き勢に処りて桀・紂を待ち、桀・紂至りて乃ち乱るるは、是れ千世治まりて一たび乱るるなり。且つ夫れ治千にして乱一なると、治一にして乱千なるとは、是れ猶ほ驥・駬に乗りて分かれ馳するがごときなり、相去ること亦遠し。夫れ隠栝の法を棄て、度量の数を去り、奚仲をして車を為らしむれば、一輪をも成す能はず。慶賞の勧め、刑罰の威無く、勢を釈て法を委て、堯・舜戸ごとに説きて人ごとに之を弁ずるも、三家をも治むる能はず。夫れ勢の用ふるに足るも亦明らかなり、而るに「必ず賢を待つ」と曰ふは、則ち亦然らず。且つ夫れ百日食はずして以て粱肉を待たば、餓うる者活きず。今堯・舜の賢を待ちて乃ち当世の民を治むるは、是れ猶ほ粱肉を待ちて餓うるを救ふの説のごときなり。夫れ「良馬固車、臧獲之を御すれば則ち人の笑ひと為り、王良之を御すれば則ち日に千里を取る」と曰ふも、吾以て然りと為さず。
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『長短経』是非〔是に曰く〕淮南子に曰く「東海の魚に鰈と名づくる有り、〔音、土盍の反。床榻の字と同じ。〕目を比べて行く。北方に獣有り、婁と名づく、更々食い更々候う。南方に鳥有り、鶼と名づく、〔音、兼。〕翼を比べて飛ぶ。夫れ鳥獣魚鰈すら、猶お力を仮るを知る。而るを況んや万乗の主に於てをや。独り天下の英雄俊士を仮りて、之と伍を為すを知らざるは、豈に痛ましからずや」と。〔非に曰く〕狐巻子曰く「父の賢は堯に過ぎずして丹朱は放たれ、兄の賢は周公に過ぎずして管蔡は誅せられ、臣の賢は湯武に過ぎずして桀紂は伐たる。況んや君の治めんと欲するは、亦た須らく身より始むべし。人、何ぞ恃む可けんや」と。〔是に曰く〕
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『韓非子』難勢第四十今国位を以て車と為し、勢を以て馬と為し、号令を以て轡と為し、刑罰を以て鞭筴と為し、堯・舜をして之を御せしむれば則ち天下治まり、桀・紂之を御すれば則ち天下乱る、則ち賢不肖相去ること遠し。夫れ速きを追ひ遠きを致さんと欲して、王良に任ずるを知らず、利を進め害を除かんと欲して、賢能に任ずるを知らざるは、此れ則ち類を知らざるの患なり。夫れ堯・舜も亦民を治むるの王良なり。復た之に応へて曰く、其の人は勢を以て恃みて以て官を治むるに足ると為す。客曰く「必ず賢を待ちて乃ち治まる」と、則ち然らず。夫れ勢とは、名一にして変無数なる者なり。勢必ず自然に於てせば、則ち勢に言ふを為す無し。吾が勢を言ふ所の者は、人の設くる所を言ふなり。夫れ堯・舜生まれて上位に在れば、十桀紂有りと雖も乱す能はざる者は、則ち勢治まればなり。桀・紂も亦生まれて上位に在れば、十堯舜有りと雖も亦治むる能はざる者は、則ち勢乱るればなり。故に曰く、「勢治まる者は則ち乱すべからず、而して勢乱るる者は則ち治むべからざるなり」と。此れ自然の勢なり、人の設くるを得る所に非ざるなり。吾が言ふ所の若きは、人の設くるを得る所を謂ふのみ、賢何ぞ事とせん。何を以て其の然るを明らかにせん。客曰く、「人に矛と楯とを鬻ぐ者有り、其の楯の堅きを誉めて、『物能く陥す莫きなり』と。俄かにして又其の矛を誉めて曰く、『吾が矛の利なる、物陥さざる無きなり』と。人之に応へて曰く、『子の矛を以て、子の楯を陥さば、何如』と。其の人応ふる能はざるなり。」以為へらく、陥すべからざるの楯と、陥さざる無きの矛とは、名として両立すべからざるなり。夫れ賢の道為る禁ずべからず、而して勢の道為るや禁ぜざる無し。禁ずべからざるの賢と禁ぜざる無きの勢とを以てするは、此れ矛楯の説なり。夫れ賢勢の相客れざるも亦明らかなり。且つ夫れ堯・舜・桀・紂は千世にして一たび出づ、是れ肩を比べ踵を随へて生まるるなり。世の治むる者は中に絶えず、
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