長短経 / 是非
漢景帝時、轅固與黄生爭論於上前。黄生曰、“湯、武非受命、乃殺也。”固曰、“不然。夫桀紂荒亂、天下之心皆歸湯武。湯武與天下之心、而誅桀紂、桀紂之人、弗為使而歸湯武、湯武不得已而立、非受命為何?”〔非曰〕黄生曰、“冠雖敝必加於首、履雖新、必貫于足。何者?上下之分也。今桀紂雖失道、然君上也、湯武雖聖、臣下也。夫君有失行、臣不正言匡過、以尊天子、反因過而誅之、代立南面、非殺而何?”〔是曰〕
新字:漢景帝時、轅固与黄生争論於上前。黄生曰、“湯、武非受命、乃殺也。”固曰、“不然。夫桀紂荒乱、天下之心皆帰湯武。湯武与天下之心、而誅桀紂、桀紂之人、弗為使而帰湯武、湯武不得已而立、非受命為何?”〔非曰〕黄生曰、“冠雖敝必加於首、履雖新、必貫于足。何者?上下之分也。今桀紂雖失道、然君上也、湯武雖聖、臣下也。夫君有失行、臣不正言匡過、以尊天子、反因過而誅之、代立南面、非殺而何?”〔是曰〕
書き下し
〔是に曰く〕漢の景帝の時、轅固と黄生と上の前に争論す。黄生曰く「湯・武は受命に非ず、乃ち殺なり」と。固曰く「然らず。夫れ桀紂は荒乱し、天下の心は皆な湯武に帰す。湯武は天下の心と与にして桀紂を誅す。桀紂の人、為に使われずして湯武に帰す。湯武は已むを得ずして立つ。受命に非ずして何と為さん」と。〔非に曰く〕黄生曰く「冠は敝ると雖も必ず首に加え、履は新しと雖も必ず足に貫く。何となれば、上下の分なり。今、桀紂は道を失うと雖も、然れども君上なり。湯武は聖なりと雖も、臣下なり。夫れ君に失行有れば、臣は正言して過ちを匡し、以て天子を尊ぶ。反って過ちに因りて之を誅し、代わり立ちて南面す。殺に非ずして何ぞ」と。
現代語訳
〔是の側。〕漢の景帝のとき、轅固と黄生が帝の前で論争した。黄生は言った。「湯王と武王は天命を受けたのではない。殺したのだ」。轅固は言った。「そうではない。桀と紂は荒れ乱れ、天下の心はみな湯武に帰した。湯武は天下の心とともに桀紂を誅した。桀紂の民は彼らのために働かず湯武に帰した。湯武はやむを得ず立った。天命を受けたのでなくて何であろう」。〔非の側。〕黄生は言った。「冠は破れていても必ず頭にかぶり、履物は新しくても必ず足に履く。なぜか。上下の分があるからだ。いま桀紂が道を失ったとはいえ、君主である。湯武が聖人であるとはいえ、臣下である。君主に誤った行いがあれば、臣下はまっすぐに言って過ちを正し、天子を尊ぶべきである。かえって過ちを理由にこれを誅し、代わって位に就いた。殺したのでなくて何か」。
解説

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史記 儒林列伝然れども已に招致す、則ち以て太中大夫と為し、魯の邸に舎らしめ、明堂の事を議せしむ。太皇竇太后老子の言を好み、儒術を説ばず、趙綰・王臧の過ちを得て以て上を譲む、上因りて明堂の事を廃し、尽く趙綰・王臧を吏に下す、後に皆自殺す。申公も亦疾みて免ぜられ以て帰り、数年にして卒す。弟子の博士と為る者十余人。孔安国は臨淮太守に至り、周霸は膠西内史に至り、夏寛は城陽内史に至り、碭の魯賜は東海太守に至り、蘭陵の繆生は長沙内史に至り、徐偃は膠西中尉と為り、鄒人闕門慶忌は膠東内史と為る。其の官民を治むるに皆廉節有り、其の学を好むを称せらる。学官の弟子行ひ備はらずと雖も、而して大夫・郎中・掌故に至る者百を以て数ふ。詩を言ふこと殊なると雖も、多く申公に本づく。清河王の太傅轅固生は、斉の人なり。詩を治むるを以て、孝景の時博士と為る。黄生と景帝の前に争論す。黄生曰く、「湯武は命を受くるに非ず、乃ち弑するなり」と。轅固生曰く、「然らず。夫れ桀紂虐乱にして、天下の心皆湯武に帰す、湯武天下の心に与して桀紂を誅す、桀紂の民之が使ひと為らずして湯武に帰す、湯武已むを得ずして立つ、命を受くるに非ずして何為れぞ」と。黄生曰く、「冠は敝ると雖も、必ず首に加ふ。履は新たなりと雖も、必ず足に関す。何となれば、上下の分なればなり。今桀紂は道を失ふと雖も、然れども君上なり。湯武は聖なりと雖も、臣下なり。夫れ主に失行有らば、臣下正言して過ちを匡して以て天子を尊ぶこと能はず、反りて過ちに因りて之を誅し、代はり立ちて南面を践む、弑に非ずして何ぞや」と。轅固生曰く、「必ず云ふ所の若くならば、是れ高帝秦に代はりて天子の位に即くは、非なるか」と。是に於て景帝曰く、「肉を食ひて馬肝を食はざるも、味を知らずと為さず。学を言ふ者湯武の受命を言ふ無きも、愚と為さず」と。遂に罷む。是の後学者敢て受命放殺を明らかにする者莫し。
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『玉勝間』九の巻 成湯が誓の言又周の武王もろこしの殷の湯王、夏の桀王をうたむとして、民に誓いたる詞に、予其れ大いに女に賚せん云云、女誓言に従わずんば、予則ち女を孥戮せん、と云えるを見れば、したがわぬ者多かりしを、なつけもおどしもして、しいて己に従がわしめたるものなり。もし実に民の心に、いみしく桀をにくみて、湯を思いたらんには、かかる誓言は、有るべくも覚えず。又周の武王も、まことに国民の苦しみをすくわむために、紂をば討ちたるならば、箕子などを立ててこそ、王にはすべき事なるに、さはせずして、おのれその国をうばいて、王に成れるはいかに。さて箕子には、朝鮮を与えしは、もし後に己が愁をなさむかと、あやぶみて、さるはるかなる国には遠ざけやりしなり。そもそも彼のもろこしなどは、始めより、定まれる主は無くして、君臣の義も立たざる国にして、君をほろぼして、国をうばうも、常なれども、天の与えたるごとくに、巧言いいなして、世の人をあざむきたるが、憎きなり。又さる悪しき人どもを、聖人として、もてはやすが、おかしきなり。
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『長短経』是非漢の興るに及び、禁網疎闊にして、未だ之を匡改せず。魏其・武安の属は、京師に競い逐い、郭解・劇孟の徒は、閭閻に馳騖す。権は州域に行われ、力は公侯を折く。衆庶は其の名跡を栄として、覬いて之を慕う。刑辟に陥ると雖も、自ら身を殺して名を成すは、季・路・仇・牧の若く、死して悔いざるなり。曽子曰く「上、其の道を失えば、民の散ずること久し」と。明王上に在りて、之に好悪を示し、之を斉うるに礼法を以てするに非ずんば、人、何に由りてか禁を知りて正に反らんや。古の正法は、五伯は三王の罪人なり。而して六国は五伯の罪人なり。夫れ四豪なる者は、六国の罪人なり。況んや郭解の倫の、匹夫の細微を以て、殺生の権を竊むに於てをや。其の罪や、誅に容れられざらん」と。〔是に曰く〕
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