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長短経 / 品目

清節之流、不能𢎞恕、好尚譏訶、分别是非、是謂臧否、子夏之徒是也。法家之流、不能創思圖遠、而能受一官之任、錯意施巧、是為伎倆、張敞、趙廣漢是也。術家之流、不能創制垂則、而能遭變用權、權智有餘、公正不足、是謂智意、陳平、韓安國是也。能文著述、是謂文章、司馬遷、班固是也。能傳聖人之業、而不能幹事施政、是謂儒學、毛公、貫公是也。辯不入道、而應對給、資是謂口辯、樂毅、曹丘生是也。膽力絶衆、材畧過人、是謂驍雄、白起、韓信是也。」〕

新字:清節之流、不能弘恕、好尚譏訶、分別是非、是謂臧否、子夏之徒是也。法家之流、不能創思図遠、而能受一官之任、錯意施巧、是為伎倆、張敞、趙広漢是也。術家之流、不能創制垂則、而能遭変用権、権智有余、公正不足、是謂智意、陳平、韓安国是也。能文著述、是謂文章、司馬遷、班固是也。能伝聖人之業、而不能幹事施政、是謂儒学、毛公、貫公是也。弁不入道、而応対給、資是謂口弁、楽毅、曹丘生是也。胆力絶衆、材略過人、是謂驍雄、白起、韓信是也。」〕

書き下し

清節の流にして、弘恕なる能わず、譏訶を好み尚び、是非を分別する、是を臧否と謂う。子夏の徒是なり。法家の流にして、創思遠きを図る能わず、而も能く一官の任を受け、意を錯き巧を施す、是を伎倆と為す。張敞・趙広漢是なり。術家の流にして、制を創り則を垂るる能わず、而も能く変に遭いて権を用う。権智余り有りて公正足らざる、是を智意と謂う。陳平・韓安国是なり。能く文を著述する、是を文章と謂う。司馬遷・班固是なり。能く聖人の業を伝えて、而も事を幹し政を施す能わざる、是を儒学と謂う。毛公・貫公是なり。弁は道に入らずして、応対給資なる、是を口弁と謂う。楽毅・曹丘生是なり。胆力は衆に絶し、材略は人に過ぐる、是を驍雄と謂う。白起・韓信是なり」と。〕

現代語訳

清節の流れでありながら、広く人を許すことができず、あげつらうことを好み、是非を細かく分ける、これを臧否という。子夏の門流がそれである。法家の流れでありながら、新しい構想で遠くをはかることができず、しかし一つの官職の任は引き受けられ、工夫をこらして巧みに処理する、これを伎倆という。張敞と趙広漢がそれである。術家の流れでありながら、制度を創り規範を残すことができず、しかし変事に遭えば臨機の手を打てる。権謀の知恵は余るほどあるが公正さは足りない、これを智意という。陳平と韓安国がそれである。文章を書き著すことができる、これを文章という。司馬遷と班固がそれである。聖人の学問を伝えられるが、実務を取り仕切り政治を行うことができない、これを儒学という。毛公と貫公がそれである。弁舌が道理には届かないが、応対が滑らかで機転がきく、これを口弁という。楽毅と曹丘生がそれである。胆力が人並みはずれ、才略が人に勝る、これを驍雄という。白起と韓信がそれである」。〕

解説

前段の本流に対して、そこから一つ欠けた型が七つ並びます。臧否は清節から寛容が抜けたもの、伎倆は法家から構想が抜けたもの、智意は術家から公正が抜けたもの。欠けた一つが何かまで指定するところに、この分類の実用性があります。そして文章・儒学・口弁・驍雄を本流の下に置いた配列が挑発的です。司馬遷も班固も、この枠では文章という一芸にすぎない。人を役立てる目から見ると、名声の順位と有用性の順位は一致しないのです。

この章句が説くこと

人物鑑識人物志類型臧否伎倆智意

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