長短経 / 是非
〔是曰〕《淮南子》曰、“東海之魚名鰈〔音土盍反。與床榻字同。、〕比目而行、北方有獸、名曰婁、更食更候南方有鳥、名曰鶼〔音兼、〕比翼而飛。夫鳥獸魚鰈、猶知假力、而况萬乗之主乎?獨不知假天下之英雄俊士、與之為伍、豈不痛哉?”〔非曰〕狐卷子曰、“父賢不過堯而丹朱放、兄賢不過周公而管蔡誅、臣賢不過湯武而桀紂伐。况君之欲治、亦須從身始、人何可恃乎?”〔是曰〕
新字:〔是曰〕《淮南子》曰、“東海之魚名鰈〔音土盍反。与床榻字同。、〕比目而行、北方有獣、名曰婁、更食更候南方有鳥、名曰鶼〔音兼、〕比翼而飛。夫鳥獣魚鰈、猶知仮力、而況万乗之主乎?独不知仮天下之英雄俊士、与之為伍、豈不痛哉?”〔非曰〕狐巻子曰、“父賢不過堯而丹朱放、兄賢不過周公而管蔡誅、臣賢不過湯武而桀紂伐。況君之欲治、亦須従身始、人何可恃乎?”〔是曰〕
書き下し
〔是に曰く〕淮南子に曰く「東海の魚に鰈と名づくる有り、〔音、土盍の反。床榻の字と同じ。〕目を比べて行く。北方に獣有り、婁と名づく、更々食い更々候う。南方に鳥有り、鶼と名づく、〔音、兼。〕翼を比べて飛ぶ。夫れ鳥獣魚鰈すら、猶お力を仮るを知る。而るを況んや万乗の主に於てをや。独り天下の英雄俊士を仮りて、之と伍を為すを知らざるは、豈に痛ましからずや」と。〔非に曰く〕狐巻子曰く「父の賢は堯に過ぎずして丹朱は放たれ、兄の賢は周公に過ぎずして管蔡は誅せられ、臣の賢は湯武に過ぎずして桀紂は伐たる。況んや君の治めんと欲するは、亦た須らく身より始むべし。人、何ぞ恃む可けんや」と。〔是に曰く〕
現代語訳
〔是の側。〕淮南子にこうある。「東海の魚に鰈という名のものがあり、目を並べて泳ぐ。北方に婁という獣がいて、交替で食い交替で見張る。南方に鶼という鳥がいて、翼を並べて飛ぶ。鳥獣や魚でさえ力を借りることを知っている。まして万乗の君主ならなおさらである。ひとり天下の英雄俊士の力を借りて、彼らと仲間になることを知らないのは、痛ましいことではないか」。〔非の側。〕狐巻子はこう言った。「父としての賢さは堯に過ぎないのに丹朱は追放され、兄としての賢さは周公に過ぎないのに管叔・蔡叔は誅され、臣としての賢さは湯王・武王に過ぎないのに桀紂は討たれた。まして君主が治めようとするなら、自分の身から始めるべきである。人を何で頼りにできよう」。
解説
この章句が説くこと
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『長短経』難必何を以て之を言う〔語に曰く、羿弧を関けば則ち越人の行くこと自若たり。弱子弧を関けば則ち慈母室に入りて戸を閉ざす。故に必とすべければ則ち越人も羿を疑わず、必とすべからざれば則ち慈母も弱子を逃る〕。魏の文侯、狐巻子に問いて曰く「父子・君臣の賢は恃むに足るか」と。対えて曰く「恃むに足らざるなり。何となれば、父の賢は堯に過ぎざるも、丹朱は放たる。子の賢は舜に過ぎざるも、瞽瞍は拘わる。兄の賢は舜に過ぎざるも、象は傲る。弟の賢は周公に過ぎざるも、管・蔡は誅せらる。臣の賢は湯・武に過ぎざるも、桀・紂は伐たる。人を望む者は至らず、人を恃む者は久しからず。君理めんと欲せば、亦た身より始めよ。人何ぞ恃むべけんや」と。
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『長短経』是非韓子曰く「法術を釈てて心を以て理むれば、堯舜も一国を正す能わず。規矩を去りて善度を忘るれば、奚仲も一輪を成す能わず。中主をして法術を守らしめ、拙匠をして規矩を執らしむれば、万に一も失わず」と。〔非に曰く〕淮南子に曰く「夫れ矢の遠きを射て堅きを貫く所以の者は、弓弩の力なり。其の的に中りて微を剖く所以の者は、人の心なり。善に賞し暴を罰する者は、政令なり。其の行わるる所以の者は、精誠なり。故に弩は強しと雖も、独り中つる能わず。令は明らかなりと雖も、独り行わる能わず」と。杜恕曰く「世に乱人有りて、乱法無し。若し法をして専ら任ず可からしめば、則ち唐・虞は稷・契の佐を須いず、殷・周は伊・呂の輔を貴ぶこと無からん」と。
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『淮南子』說林訓一目の羅は、以て鳥を得可からず。餌無きの釣は、以て魚を得可からず。士に遇いて禮無きは、以て賢を得可からず。兔絲は根無くして生じ、蛇は足無くして行き、魚は耳無くして聽き、蟬は口無くして鳴く。然らしむる者有ればなり。鶴は千歲を壽として、以て其の游を極む。蜉は朝に生じて暮に死すれども、其の樂しみを盡くす。紂 梅伯を醢にして、文王 諸侯と之を構う。桀 諫むる者を辜にして、湯 人をして之を哭せしむ。狂馬も木に觸れず、猘狗も自ら河に投ぜず。聾蟲と雖も自ら陷らず。又た況んや人をや。熊を愛して之に鹽を食わしめ、獺を愛して之に酒を飲ましむるは、之を養わんと欲すと雖も、其の道に非ず。心の說ぶ所、舟を毀ちて杕と爲し、心の欲する所、鐘を毀ちて鐸と爲す。管子は小辱を以て大榮を成し、蘇秦は百誕を以て一誠を成す。
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『長短経』是非論語に曰く「逸民を挙ぐれば、天下の人、心を帰す」と。魏の文侯、芸を子夏に受け、段干木を敬し、其の廬を過ぐれば、未だ嘗て式せずんばあらず。是に於て秦、魏を伐たんと欲す。或るひと曰く「魏君は賢なり。国人は仁と称す。上下和洽す。未だ図る可からず」と。秦王乃ち止む。此に由りて誉を諸侯に得たり。〔非に曰く〕韓子曰く「夫れ馬は鹿に似たり、此の馬は千金に値す。今、千金の馬有りて、一金の鹿無き者は何ぞや。馬は人の用を為し、鹿は人の用を為さざればなり。今、処士は人の用を為さず、鹿の類なり。所以に太公は斉に至りて華士を斬り、孔子は司寇と為りて少正卯を誅す」と。
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『淮南子』繆稱訓君子は過ちを見て罰を忘る。故に能く諫む。賢を見て賤を忘る。故に能く讓る。不足を見て貧を忘る。故に能く施す。情 中に系がれて、行い 外に形る。凡そ行い 情を戴くれば、過つと雖も怨み無し。其の情を戴かざれば、忠なりと雖も惡を來たす。后稷 廣く天下を利するも、猶お自ら矜らず。禹 廢功無く、廢財無きも、自ら視ること猶お觖如たり。滿ちて陷るがごとく、實ちて虛しきがごときは、之を盡くす者なり。凡そ人は各々其の說ぶ所を賢とし、而して其の快とする所を說ぶ。世に賢を舉げざる莫きに、或いは以て治まり、或いは以て亂るるは、自ら遁るるに非ず、己に同じき者を求むればなり。己 未だ必ずしも賢を得ずして、己と同じき者を求めて、而も賢を得んと欲するは、亦た幾からざるなり。堯をして舜を度らしむれば則ち可なり。桀をして堯を度らしむるは、是れ猶お升を以て石を量るがごとし。今 狐狸と謂えば、則ち必ず狐を知らず、又た狸を知らず。未だ嘗て狐を見ざる者に非ずんば、必ず未だ嘗て狸を見ざるなり。狐・狸は異なるに非ず、同類なり。而るに狐狸と謂えば、則ち狐・狸を知らず。是の故に不肖なる者を賢と謂えば、則ち必ず賢を知らず。賢なる者を不肖と謂えば、則ち必ず不肖なる者を知らざるなり。
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『長短経』是非翼奉曰く「治道の要は、下の邪正を知るに在り。人、誠に正に向かえば、愚と雖も用を為す。若し其れ邪を懐かば、智も益ます害を為す」と。〔非に曰く〕夫れ人主は己を愛せざる莫きなり。己を知る莫きは、愛するに足らざるなり。故に桓子曰く「猛獣を捕らうる者は、美人をして手を挙げしめず。巨魚を釣る者は、稚子をして軽がるしく預らしめず。親しからざるに非ず、力の堪えざればなり。奈何ぞ万乗の主にして、人を択ばざらんや。故に曰く、夫れ犬の猛たる、非有れば則ち鳴吠して、夙夜に遑あらず。此れ自ら効すの至りなり。昔、宋人に酒を沽る者有り。酒酸りて售れざるは何ぞや。猛犬有るの故を以てなり。夫れ犬は其の主を愛するを知りて、而も其の主の為に酒の酸るの患いを慮る能わざるは、智足らざればなり」と。〔是に曰く〕