長短経 / 水火
行火必有因〔因奸人也、〕烟火素具。發火有時、起火有日。時者、天之燥也、日者、宿在箕、壁、參、軫也、凡此四宿者、風起之日〔蕭世誠云、「春丙丁、夏戊己、秋壬癸、冬甲乙、此日有疾風猛雨也。居勘太乙、中有飛鳥十精、如風雨期、五子元運式、各候其時、可用火。」故曰、「以火佐攻者明。」何以言之?昔楊□與桂陽賊相㑹、□以皮作大排囊、以石灰内囊中、置車上、作火燧、繫馬尾、因從上風、鼓排囊吹灰、羣賊眯目、因燒馬尾、奔突賊陣、衆賊奔潰、此用火之勢也。殷浩北伐、長史江逌取數百鷄以長繩連之、脚皆繫火。一時驅放、羣鷄飛散羌營、營皆燃、因擊之、姚襄退走、此用火之勢。李陵在大澤草中、虜從上風縱火、陵從下風緩火、以此火解火勢也。吾聞敵燒門、恐火滅門開、當更積薪助火、使火勢不滅、亦解火之法也。〕
新字:行火必有因〔因奸人也、〕烟火素具。発火有時、起火有日。時者、天之燥也、日者、宿在箕、壁、参、軫也、凡此四宿者、風起之日〔蕭世誠云、「春丙丁、夏戊己、秋壬癸、冬甲乙、此日有疾風猛雨也。居勘太乙、中有飛鳥十精、如風雨期、五子元運式、各候其時、可用火。」故曰、「以火佐攻者明。」何以言之?昔楊□与桂陽賊相会、□以皮作大排囊、以石灰内囊中、置車上、作火燧、繋馬尾、因従上風、鼓排囊吹灰、羣賊眯目、因焼馬尾、奔突賊陣、衆賊奔潰、此用火之勢也。殷浩北伐、長史江逌取数百鶏以長縄連之、脚皆繋火。一時駆放、羣鶏飛散羌営、営皆燃、因撃之、姚襄退走、此用火之勢。李陵在大沢草中、虜従上風縦火、陵従下風緩火、以此火解火勢也。吾聞敵焼門、恐火滅門開、当更積薪助火、使火勢不滅、亦解火之法也。〕
書き下し
火を行うには必ず因有り〔姦人に因るなり〕、烟火素より具う。火を発するに時有り、火を起こすに日有り。時なる者は、天の燥なるなり。日なる者は、宿の箕・壁・参・軫に在るなり。凡そ此の四宿なる者は、風起こるの日なり〔蕭世誠云う「春の丙丁、夏の戊己、秋の壬癸、冬の甲乙、此の日に疾風猛雨有るなり。居りて太乙を勘うるに、中に飛鳥十精有り。風雨の期の如く、五子の元運の式、各々其の時を候い、火を用うべし」と。故に曰く「火を以て攻を佐くる者は明らかなり」と。何を以て之を言う。昔、楊□、桂陽の賊と相会す。□は皮を以て大排囊を作り、石灰を以て囊中に内れ、車上に置き、火燧を作りて、馬尾に繋ぎ、因りて上風より、排囊を鼓して灰を吹く。群賊目を眯す。因りて馬尾を焼き、賊陣に奔突せしむ。衆賊奔潰す。此れ火を用うるの勢いなり。殷浩北伐す。長史江逌、数百の鶏を取りて長縄を以て之を連ね、脚に皆火を繋ぐ。一時に駆放し、群鶏羌の営に飛散し、営皆燃ゆ。因りて之を撃ち、姚襄退走す。此れ火を用うるの勢いなり。李陵、大沢の草中に在り。虜は上風より火を縦つ。陵は下風より火を緩む。此れ火を以て火勢を解くなり。吾聞く、敵門を焼かば、火滅して門開かんことを恐れ、当に更に薪を積みて火を助け、火勢をして滅せざらしむべし、と。亦た火を解くの法なり。〕
現代語訳
火を放つには必ず手がかりがあり〔内通者による〕、火の道具を前もってそろえておく。火を放つには時があり、火を起こすには日がある。時とは空気が乾燥しているときである。日とは月が箕・壁・参・軫の星宿にある日で、この四つの星宿の日には風が起こる〔蕭繹は言う。「春の丙丁、夏の戊己、秋の壬癸、冬の甲乙の日には、疾風や激しい雨がある。太乙の占いで調べると飛鳥十精があり、風雨の時期のように、五子の元運の式でそれぞれの時をうかがって火を用いるべきである」。だから「火で攻撃を助ける者は明らかだ」と言う。何によってそう言うか。昔、楊□が桂陽の賊と対峙したとき、皮で大きなふいごの袋を作り、中に石灰を入れて車に載せ、火のついた松明を馬の尾に結びつけた。風上からふいごで石灰を吹きつけると、賊は目がくらんだ。そこで馬の尾に火をつけて賊の陣に突っ込ませ、賊は皆逃げ崩れた。これが火を用いる勢いである。殷浩が北伐したとき、長史の江逌は数百羽の鶏を長い縄でつなぎ、足に火をつけて一斉に放した。鶏は羌の陣営に飛び散り、陣営はすべて燃え、そこを撃って姚襄は退いた。これが火を用いる勢いである。李陵が大きな沼地の草むらにいたとき、匈奴は風上から火を放った。李陵は風下から自分で火をつけて周りを焼き払った。これは火で火の勢いを解いたのである。敵が門を焼いたら、火が消えて門が開くのを恐れて、さらに薪を積んで火を助け、火勢を絶やさないようにすべきだと聞く。これも火を解く法である。〕
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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孫子・火攻篇時とは天の燥けるなり。日とは月の箕・壁・翼・軫に在るなり。凡そ此の四宿は、風の起こるの日なり。
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孫子・火攻篇火を行うには必ず因有り、烟火は必ず素より具う。火を発するに時有り、火を起こすに日有り。
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『墨子』經說上故。小故は、之れ有るも必ずしも然らず、之れ無ければ必ず然らず。體なり、端有るが若し。大故は、之れ有れば必ず然ること無し、之を見て見を成すが若し。體は、二の一、尺の端の若きなり。知材。知なる者は、知る所以なり。而して必ず知る、眀の若し。慮。慮なる者は、其の知を以て求むる有るなり。而して必ずしも之を得ず、睨るが若し。知。知なる者は、其の知を以て物に過り、而して能く之を貌るなり。見るが若し。恕。恕なる者は、其の知を以て物を論じ、而して其の之を知るや著し。眀の若し。仁。己を愛するは、己を用うるが為に非ず、愛の焉に著しきに若かず。眀の若し。義。志、天下を以て芬と為し、而して能く之を利す。必ずしも用いられず。禮。貴き者は公とし、賤しき者は名とす。而して倶に敬僈有り、等しくして論を異にするなり。行。為す所、名を善くせざるは行なり。為す所、名を善くするは巧なり、盜を為すが若し。
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『墨子』非攻下今、夫の師なる者の相い不利を為す者や、曰く、將、勇ならず、士、分たず、兵、利からず、教、習わず、師、衆からず、卒、和せず、威、圉がず、之を害すること久しからず、之を争うこと疾からず、之に孫うこと强からず、心を植うること堅からず、與國の諸侯、疑う。與國の諸侯、疑えば、則ち敵、慮を生じて意、嬴らん。
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『墨子』七患今、其の子を負いて汲む者有り、其の子を井中に隊とせば、其の母は必ず従いて之を拯わん。今、嵗凶に、民饑え、道に餓うるは、此の疚み、子を隊とすより重し。其れ察する無かる可けんや。故に時年、嵗善ければ、則ち民は仁にして且つ良し。時年、嵗凶なれば、則ち民は吝にして且つ惡し。夫れ民に何の常か之れ有らん。為す者寡く、食らう者衆ければ、則ち嵗に豐なること無し。故に曰く、「財足らざれば則ち之を時に反り、食足らざれば則ち之を用に反る」と。故に先民は時を以て財を生じ、本を固くして財を用う、則ち財足る。故に上世の聖王と雖も、豈に能く五榖をして常に收まらしめて、旱水をして至らざらしめんや。然れども凍餓の民無き者は、何ぞや。其の力むること時に急にして、自ら養うこと儉なればなり。故に夏書に曰く「禹に七年の水あり」、殷書に曰く「湯に五年の旱あり」と。此れ其の凶餓に離るること甚し。然れども民の凍餓せざる者は、何ぞや。其の財を生ずること密にして、其の之を用うること節なればなり。
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『墨子』魯問子墨子、公尚過を越に游ばしむ。公尚過、越王に説く。越王、大いに説び、公尚過に謂いて曰く、「先生、茍くも能く子墨子をして越に於いて寡人を教えしめば、請う、故吳の地、方五百里を裂きて以て子墨子に封ぜん」と。公尚過、許諾す。遂に公尚過の為に車五十乗を束ね、以て子墨子を魯に迎えて曰く、「吾れ夫子の道を以て越王に説く。越王、大いに悦びて過に謂いて曰く、『茍くも能く子墨子をして越に至りて寡人を教えしめば、請う、故吳の地、方五百里を裂きて以て子を封ぜん』と」。子墨子、公尚過に謂いて曰く、「子、越王の志を觀るに何若。意うに越王、将に吾が言を聴き、吾が道を用いんとせば、則ち翟、将に往かんとす。腹を量りて食い、身を度りて衣し、自ら羣臣に比せん。奚んぞ能く封を以て為さんや。抑そも越、吾が言を聴かず、吾が道を用いずして、我れ往かば、則ち是れ我れ義を以て糶るなり。之を糶るに鈞しくんば、亦た中國に於いてするのみ。何ぞ必ずしも越に於いてせんや」と。