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長短経 / 正論

文子曰、“聖人之從事也、所由異路而同歸。秦楚燕魏之歌、異轉而皆樂、九夷八狄之哭、異聲而皆哀。夫歌者、樂之微也、哭者、哀之效也。愔愔於中而應于外、故在所以感之矣。”論曰、范曄稱、“百家之言政者、尚矣!大畧歸乎寜固根柢、革易時弊也。而遭運無恒意見偏雜、故是非之論、紛然乖。”當嘗試論之、夫世非骨庭、人乖鷇飲、理迹萬肇、情故萌生。

新字:文子曰、“聖人之従事也、所由異路而同帰。秦楚燕魏之歌、異転而皆楽、九夷八狄之哭、異声而皆哀。夫歌者、楽之微也、哭者、哀之効也。愔愔於中而応于外、故在所以感之矣。”論曰、范曄称、“百家之言政者、尚矣!大略帰乎寜固根柢、革易時弊也。而遭運無恒意見偏雑、故是非之論、紛然乖。”当嘗試論之、夫世非骨庭、人乖鷇飲、理迹万肇、情故萌生。

書き下し

文子曰く「聖人の事に従うや、由る所は路を異にして帰を同じくす。秦・楚・燕・魏の歌は、転を異にして皆な楽しく、九夷八狄の哭は、声を異にして皆な哀し。夫れ歌なる者は、楽の微なり。哭なる者は、哀の効なり。中に愔愔として外に応ず。故に之を感ぜしむる所以に在るなり」と。論じて曰く、范曄称す「百家の政を言う者は、尚し。大略は根柢を寧固にし、時弊を革易するに帰す。而して遭運恒無く、意見偏雑す。故に是非の論、紛然として乖く」と。当に嘗試みに之を論ずべし。夫れ世は骨庭に非ず、人は鷇飲に乖く。理迹万肇、情故萌生す。

現代語訳

文子はこう言った。「聖人が事に当たるとき、通る道は違っても帰着するところは同じである。秦・楚・燕・魏の歌は節回しが違ってもみな楽しく、九夷八狄の泣き声は声が違ってもみな哀しい。歌は楽しさのかすかな現れであり、泣き声は哀しみの結果である。内で静かに動いたものが外に応じる。だから人を感じさせるものがどこにあるかが問題なのだ」。論じていう。范曄はこう称えた。「百家のうち政治を論じた者は尊い。おおむね根本を安んじ固め、その時の弊害を改めることに帰着する。しかし巡り合わせは一定せず、意見は偏り入り混じる。だから是非の議論が入り乱れて食い違う」。ためしにこれを論じてみよう。世は原始の庭ではなく、人は雛のように水を飲むだけではない。ものの筋道は万に分かれて始まり、情と事情が芽生える。

解説

国が違えば歌の節回しは違うのに、楽しさは同じ。泣き声の調子は違うのに、哀しみは同じ。文子のこの観察が、諸子百家を並べてきた篇の結論の土台になります。表現の形が違うことと、向かっている先が違うことは別です。学派の言葉づかいの違いに目を奪われると、どれも根本を固め時弊を改めようとしている点を見落とします。

この章句が説くこと

正論文子殊塗同帰范曄百家表現

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