長短経 / 三国権
初、劉備為豫州牧也。〔備、字𤣥徳、涿郡涿縣人也。少言語、善下人、喜怒不形於色。徐州牧陶謙表先主為豫州牧。後謙病、使人迎先主、先主曰、「袁公路近在夀春、此君四世五公、海内所㱕君以州與之。」陳登曰、「袁公路驕豪、非治亂之主。今欲為使君合歩騎十萬、上可以匡主濟人、成五覇之業、下可以割地守境、書功於竹帛。若使君不見聼登亦未敢聼使君。」孔融謂先主曰、「袁公路豈憂國忘家者耶?塜中枯骨何足介意?今日之事、百姓與能、天與不取、悔不可追。」遂領徐州。陳登遣使詣袁紹曰、「天降灾戾、禍臻鄙州、州将殂殞。士人無主、恐姦雄一旦承隙、以貽盟主日昃之憂、輙共奉平原相劉府君、以為宗主、永使百姓知有依歸。方今冦難縱横、不遑釋甲、謹遣下吏奔告執事。」紹荅曰、「劉𤣥徳、𢎞雅有信義。今徐州樂戴之、誠副所望也。」〕為曹公所破、走屯新野。
新字:初、劉備為予州牧也。〔備、字玄徳、涿郡涿県人也。少言語、善下人、喜怒不形於色。徐州牧陶謙表先主為予州牧。後謙病、使人迎先主、先主曰、「袁公路近在寿春、此君四世五公、海内所㱕君以州与之。」陳登曰、「袁公路驕豪、非治乱之主。今欲為使君合歩騎十万、上可以匡主済人、成五覇之業、下可以割地守境、書功於竹帛。若使君不見聴登亦未敢聴使君。」孔融謂先主曰、「袁公路豈憂国忘家者耶?塜中枯骨何足介意?今日之事、百姓与能、天与不取、悔不可追。」遂領徐州。陳登遣使詣袁紹曰、「天降災戻、禍臻鄙州、州将殂殞。士人無主、恐姦雄一旦承隙、以貽盟主日昃之憂、輙共奉平原相劉府君、以為宗主、永使百姓知有依帰。方今寇難縦横、不遑釈甲、謹遣下吏奔告執事。」紹荅曰、「劉玄徳、弘雅有信義。今徐州楽戴之、誠副所望也。」〕為曹公所破、走屯新野。
書き下し
初め、劉備は豫州牧たるなり。〔備、字は玄徳、涿郡涿県の人なり。言語少なく、善く人に下り、喜怒色に形さず。徐州牧陶謙、先主を表して豫州牧と為す。後に謙病み、人をして先主を迎えしむ。先主曰く「袁公路近く寿春に在り。此の君は四世五公、海内の帰する所なり。君、州を以て之に与えよ」と。陳登曰く「袁公路は驕豪にして、治乱の主に非ず。今、使君の為に歩騎十万を合せんと欲す。上は以て主を匡し人を済い、五覇の業を成すべく、下は以て地を割き境を守り、功を竹帛に書すべし。若し使君聴かれずんば、登も亦た未だ敢えて使君に聴かざらん」と。孔融、先主に謂いて曰く「袁公路は豈に国を憂え家を忘るる者ならんや。冢中の枯骨、何ぞ意に介するに足らん。今日の事は、百姓能に与す。天与うるに取らずんば、悔ゆとも追うべからず」と。遂に徐州を領す。陳登、使いを遣わして袁紹に詣らしめて曰く「天、災戻を降し、禍、鄙州に臻り、州将殂殞す。士人主無し。姦雄の一旦隙を承けて、以て盟主に日昃の憂いを貽さんことを恐る。輒ち共に平原の相劉府君を奉じて、以て宗主と為し、永く百姓をして依帰する有るを知らしむ。方今、寇難縦横し、甲を釈くに遑あらず。謹んで下吏を遣わして執事に奔告す」と。紹答えて曰く「劉玄徳は弘雅にして信義有り。今、徐州楽しみて之を戴く。誠に望む所に副うなり」と。〕曹公の破る所と為り、走りて新野に屯す。
現代語訳
はじめ、劉備は豫州牧であった。〔劉備は字を玄徳といい、涿郡涿県の人である。口数が少なく、人にへりくだるのがうまく、喜怒を顔に出さなかった。徐州牧陶謙が上表して劉備を豫州刺史とした。のちに陶謙が病になり、人をやって劉備を迎えさせた。劉備は言った。「袁術が近くの寿春にいます。あの方は四代にわたって五人の三公を出した家柄で、天下が心を寄せています。徐州はあの方にお譲りなさい」。陳登は言った。「袁術は驕って豪奢で、乱世を治める主ではありません。いま私はあなたのために歩兵と騎兵十万を集めたい。上は主君を正し民を救って五覇のような業を成し、下は土地を割いて境を守り、功績を歴史に残せます。もしあなたが聞き入れないなら、私もあなたの言うことを聞けません」。孔融も劉備に言った。「袁術が国を憂えて家を忘れるような人物でしょうか。墓の中の枯れた骨のようなもの、気にかけるに足りません。今日のことは、民が能力ある者を選んでいるのです。天が与えるのに取らなければ、後で悔やんでも取り返せません」。劉備はついに徐州を治めた。陳登は袁紹に使者を送って言った。「天が災いを下し、禍がわが州に及び、州の長が亡くなりました。士人には主がいません。奸雄が隙に乗じて盟主に心配をかけることを恐れ、皆で平原の相劉備殿を奉じて宗主とし、民に頼る先があることを知らせました。いま賊が横行し、鎧を脱ぐ暇もないので、謹んで下役を遣わしてお知らせします」。袁紹は答えた。「劉玄徳は度量が広く信義がある。いま徐州が喜んで戴くのは、まことに私の望むところだ」。〕劉備は曹操に破られ、逃げて新野に駐屯した。
解説

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