長短経 / 君徳
齊建元、永明之間、號為治世、誠有之乎?虞南曰、「齊髙創業之主、知稼穡之艱難、且立身儉素、務存簡約。武帝則留意後庭、彫飾過度、然能委任王儉、憲章攸出、禮樂之盛、咸稱永明。宰相得人、於斯為美。」
新字:斉建元、永明之間、号為治世、誠有之乎?虞南曰、「斉高創業之主、知稼穡之艱難、且立身倹素、務存簡約。武帝則留意後庭、彫飾過度、然能委任王倹、憲章攸出、礼楽之盛、咸称永明。宰相得人、於斯為美。」
書き下し
斉の建元・永明の間、号して治世と為す。誠に之れ有りや。虞南曰く「斉の高は創業の主にして、稼穡の艱難を知り、且つ身を立つること倹素、務めて簡約を存す。武帝は則ち意を後庭に留め、彫飾度を過ぐ。然れども能く王倹に委任し、憲章攸に出づ。礼楽の盛んなる、咸な永明と称す。宰相人を得たり、斯に於て美と為す」と。
現代語訳
斉の建元・永明の間は、治まった世と呼ばれている。本当にそうか。虞世南は言った。「斉の高帝は創業の主で、農作の苦労を知っており、しかも身の処し方が倹しく質素で、簡約を保つことに努めた。武帝は後宮に心を留め、飾り立てが度を過ぎた。それでも王倹に委任することができ、制度がそこから生まれた。礼楽の盛んなことは、みな永明の治と称する。宰相に人を得た。この点が美しい」。
解説
武帝自身は後宮にふけり飾り立てが過ぎた。それでも永明の治と呼ばれるのは、王倹という宰相を得たからだという評価です。君主が立派でなくても、任せた相手が良ければ世は治まる。これは前に出てきた、天下の国に忠臣謀士のいない国はない、という話と同じ結論に届きます。自分が有能である必要はなく、有能な人を選んで任せきれるかどうかです。
この章句が説くこと
君徳斉高帝斉武帝王倹委任永明
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