長短経 / 品目
夫天下重器、王者大統、莫不勞聰明於品材、獲安逸於任使。故孔子曰、「人有五儀、有庸人、有士人、有君子、有聖、有賢。審此五者、則治道畢矣。所謂庸人者、心不存慎終之規、口不吐訓格之言、〔格、法。〕不擇賢以託身、不力行以自定、見小闇大而不知所務、從物如流而不知所執。此則庸人也。
新字:夫天下重器、王者大統、莫不労聰明於品材、獲安逸於任使。故孔子曰、「人有五儀、有庸人、有士人、有君子、有聖、有賢。審此五者、則治道畢矣。所謂庸人者、心不存慎終之規、口不吐訓格之言、〔格、法。〕不択賢以託身、不力行以自定、見小闇大而不知所務、従物如流而不知所執。此則庸人也。
書き下し
夫れ天下は重器、王者は大統なり。聡明を品材に労し、安逸を任使に獲ざるは莫し。故に孔子曰く「人に五儀有り。庸人有り、士人有り、君子有り、聖有り、賢有り。此の五者を審らかにせば、則ち治道畢れり。所謂庸人なる者は、心に慎終の規を存せず、口に訓格の言を吐かず。〔格は法なり。〕賢を択びて身を託せず、力め行いて以て自ら定めず。小を見て大に闇く、而して務むる所を知らず。物に従うこと流るるが如くにして、執る所を知らず。此れ則ち庸人なり。
現代語訳
そもそも天下は重い器であり、王者はそれを大きく統べる者である。人を品定めすることに聡明さを使い果たし、任せて使うことで安らぎを得ないという者はいない。だから孔子はこう言った。「人には五つの型がある。庸人、士人、君子、聖人、賢人である。この五つを見分けられれば、治める道は尽きている。庸人というのは、心に終わりまで慎むという規範を持たず、口から手本になるような言葉を吐かない。〔格とは手本のことである。〕賢い者を選んで身を寄せることもせず、努力して自分を定めることもしない。小さなことは見えるが大きなことに暗く、何をすべきかを知らない。物事に流されるままで、自分が握るべきものを知らない。これが庸人である。
解説

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