長短経 / 覇図
乃遣其舍人王子春賫珍寳奉表推崇浚、浚謂子春曰、「石公一時英武、據有舊趙、成鼎峙之勢、何為稱藩於孤、其可信乎?」
新字:乃遣其舎人王子春賫珍宝奉表推崇浚、浚謂子春曰、「石公一時英武、拠有旧趙、成鼎峙之勢、何為称藩於孤、其可信乎?」
書き下し
乃ち其の舎人王子春を遣わし、珍宝を賫して表を奉じて浚を推崇せしむ。浚、子春に謂いて曰く「石公は一時の英武なり。旧趙に拠有し、鼎峙の勢いを成す。何為れぞ孤に藩と称するや。其れ信ず可きか」と。
現代語訳
そこで舎人の王子春を遣わし、珍宝を持たせて上表して王浚を推し立てさせた。王浚は王子春に言った。「石公は当代の英雄で武勇の人だ。もとの趙の地に拠って、鼎の脚のように並び立つ勢いを成している。どうして私に藩と称するのか。信じてよいものか」。
解説
王浚は疑いました。当然です。並び立つ勢力の当主が、わざわざ臣下を名乗ってくる。話がうますぎる。ここで疑いを口に出したことが、むしろ隙になります。疑問を相手にぶつければ、相手は答えを用意してくる。腑に落ちない話は、相手に説明させるのではなく、自分で確かめるべきでした。うますぎる話は、相手の説明ではなく自分の調べで判断するしかありません。王浚はそれを怠りました。
この章句が説くこと
覇図石勒王浚王子春疑い称藩
関連する章句
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『長短経』覇図子春曰く「石将軍は英才俊抜、士馬盛強なること、実に聖旨の如し。仰いで惟うに明公は、州郡の貴望、累葉重光、出でて藩岳に鎮し、威声は八表に播る。固より以て胡越も風を欽い、華夷も徳を歌う。豈に唯だ区区たる小府のみならんや。而るに敢えて神闕に衽を斂めざる者ならんや。昔、陳嬰は豈に其れ王を鄙しみて王たらず、韓信は帝を薄しとして帝たらざらんや。但だ帝王は勇を以て致し力もて争う可からざるを以ての故なり。石将軍の明公に擬するは、猶お陰精の太陽に比し、江河の洪海に比するがごときのみ。項籍・子陽、覆車遠からず。是れ石将軍の明鑒なり。明公も亦た何ぞ怪しまんや。古自り誠に胡人にして名臣と為る者は、実に之有り。帝王は則ち未だ之有らざるなり。石将軍は帝王を悪みて明公に譲るに非ざるなり。顧うに之を取るも天下の許す所と為らざればなり。願わくは公、疑う勿かれ」と。浚、大いに悦び、使いを遣わして勒に報ず。勒、復た使いを遣わして表を浚に奉じ、親しく幽州に詣りて尊号を上らんことを期す。亦た牋を棗嵩に修め、并州牧広平公を乞い、以て必信の誠を見す。
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『長短経』覇図石勒なる者は、上党の羯胡なり。趙に拠る。幽州牧王浚、百官を署置す。勒、并呑の意有り、先ず使いを発して以て之を観んと欲す。議する者僉な曰く「宜しく羊祜・陸抗の事の如く、亢書して相い聞ゆべし」と。時に張賓、疾有り。勒、就きて之を謀る。賓曰く「王浚は三部の力を仮り、南面を称せんと図る。晋の藩と曰うと雖も、実は僭逆の志を懐く。必ず英雄と協し、事業を図り済さんことを思わん。将軍は威、海内に振るう。去就は存亡と為り、所在は軽重と為る。浚の将軍を欲するは、猶お楚の韓信を招くがごとし。今、権譎して使いを遣わすも、誠款の形無くんば、脱り猜疑を生じ、之を図るの兆露れなば、後に奇略有りと雖も、設くる所無からん。夫れ大事を立つるは、必ず先ず之が為に卑くす。当に藩と称して推奉すべし。尚お信ぜられざるを恐る。羊・祜の事は、臣、未だ其の可なるを見ざるなり」と。勒曰く「君侯の計、是なり」と。
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『長短経』覇図勒曰く「善し」と。是に於て軽騎もて幽州を襲う。勒、晨に薊の北門に至り、門者を叱して門を開かしむ。伏兵有らんことを疑い、先ず牛羊数千頭を駆り、声言して礼を上ると。実は諸街巷に填ち、兵をして動発するを得ざらしむ。勒入り、浚、乃ち懼る。勒、其の聴事に入り、甲士をして浚を執えて襄国の市に送らしめ、之を斬る。此れ三十六国の大略なり。〉
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『長短経』覇図勒、兵を纂め期を戒めて浚を襲わんとす。而して劉琨及び鮮卑の其の後患と為るを懼れ、沈吟して未だ発せず。張賓曰く「夫れ敵国を襲うは、当に其の不意に出づべし。軍、厳にして日を経て行かず。豈に顧って三方の慮り有らんや」と。勒曰く「然り。之を為すこと奈何」と。賓曰く「王彭祖の幽州に拠るは、唯だ三部に仗るのみ。今、皆な離叛し、還りて寇讐と為る。此れ則ち外に声援無くして以て我に抗するなり。幽州は飢倹にして、人皆な蔬食す。衆叛き親離れ、甲旅は寡弱なり。此れ内に強兵無くして以て我を禦ぐなり。若し大軍、郊に在らば、必ず土崩瓦解せん。今、三方未だ靖まらざるに、将軍便ち能く軍を千里に懸けて以て幽州を征す。軽軍にて往反すれば、二旬を出でず。就し三方に動有らしむとも、勢いは趾を旋らすに足る。宜しく機に応じて電のごとく発し、時に後るる勿かれ。且つ劉琨・王浚は晋の藩と名を同じくすと雖も、其の実は仇敵なり。若し牋を琨に修め、質を送りて和を請わば、琨は必ず我を得るを欣び、浚の滅ぶを喜び、終に浚を救いて吾を襲わざらん」と。
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『長短経』覇図曰く「何を以て子を得て生くるを賀するや」と。通曰く「趙の武信君、通の不肖を知らず、人をして通を候わしめ、其の死生を問う。通、武信君に見えて之に説きて曰く『必ず将に戦い勝ちて後に地を略し、攻め得て後に天下の城を取らんとするは、臣竊かに以て殆しと為す。
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