長短経 / 七雄略
〔秦既破趙長平軍、遂圍邯鄲。趙人震恐、東徙。乃使蘓代厚幣説秦相應侯曰、「武安君擒馬服子乎?」曰、「然。」「又欲圍邯鄲乎?」曰、「然。」代曰、「趙亡則秦王矣!夫武安君所為秦戰勝攻取者、七十餘城、南取鄢郢、漢中、北擒馬服之軍、雖周、召、呂望之功不益於此。趙亡即秦王矣。以武安為三公、君能為之下乎?欲無為之下、固不得矣。秦攻韓、圍邢丘、困上黨。上黨之人皆歸趙、不樂為秦人之日久矣。今趙北地入燕、東地入齊、南地入韓魏。君之所得、無慮幾何?故不如因而割之、無以為武安君之功也。」
新字:〔秦既破趙長平軍、遂囲邯鄲。趙人震恐、東徙。乃使蘓代厚幣説秦相応侯曰、「武安君擒馬服子乎?」曰、「然。」「又欲囲邯鄲乎?」曰、「然。」代曰、「趙亡則秦王矣!夫武安君所為秦戦勝攻取者、七十余城、南取鄢郢、漢中、北擒馬服之軍、雖周、召、呂望之功不益於此。趙亡即秦王矣。以武安為三公、君能為之下乎?欲無為之下、固不得矣。秦攻韓、囲邢丘、困上党。上党之人皆帰趙、不楽為秦人之日久矣。今趙北地入燕、東地入斉、南地入韓魏。君之所得、無慮幾何?故不如因而割之、無以為武安君之功也。」
書き下し
〈秦、既に趙の長平の軍を破り、遂に邯鄲を囲む。趙人震恐し、東のかた徙る。乃ち蘇代をして厚幣もて秦の相応侯に説かしめて曰く「武安君、馬服子を擒にせるか」と。曰く「然り」と。「又た邯鄲を囲まんと欲するか」と。曰く「然り」と。代曰く「趙亡びなば則ち秦王たらん。夫れ武安君の秦の為に戦勝し攻取する所の者、七十余城。南は鄢郢・漢中を取り、北は馬服の軍を擒にす。周・召・呂望の功と雖も此に益さず。趙亡びなば即ち秦王たらん。武安を以て三公と為さば、君、能く之が下と為らんか。之が下と為ること無からんと欲するも、固より得ざらん。秦、韓を攻め、邢丘を囲み、上党を困しむ。上党の人、皆な趙に帰し、秦人と為るを楽しまざるの日、久し。今、趙、北地は燕に入り、東地は斉に入り、南地は韓・魏に入らん。君の得る所、慮る無きこと幾何ぞ。故に因りて之を割かしめ、以て武安君の功と為す無きに如かず」と。
現代語訳
〈秦は趙の長平の軍を破り、そのまま邯鄲を囲んだ。趙の人々は震え上がり、東へ移った。そこで蘇代に厚い礼物を持たせて秦の宰相范雎に説かせた。「武安君白起は趙括を捕らえましたか」。「そうだ」。「さらに邯鄲を囲もうとしていますか」。「そうだ」。蘇代は言った。「趙が滅べば秦は王となるでしょう。武安君が秦のために勝って取った城は七十余り。南は鄢と郢と漢中を取り、北は趙括の軍を捕らえた。周公や召公や呂望の功も、これに加えるものはない。趙が滅べば秦は王になる。武安君を三公にすれば、あなたはその下につけますか。下につきたくないと思っても、そうはいきません。秦は韓を攻めて邢丘を囲み、上党を苦しめた。上党の人はみな趙に帰属し、秦の人になることを喜ばない日が長く続いている。いま趙が滅べば、北の地は燕に入り、東の地は斉に入り、南の地は韓と魏に入る。あなたの得るものがどれほどあるでしょう。だから、いっそ割譲させて和し、武安君の功にしないに越したことはありません」。
解説
この章句が説くこと
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『長短経』七雄略〔武安君、趙の長平の軍を破り、其の卒四十余万を降し、皆之を坑にす。進みて邯鄲を囲むも、軍糧属かず。乃ち衛先生を遣わして秦の昭王に言わしめて曰く「趙国は右に常山の険を倍にし、左に河漳の阻を帯び、代馬車騎の利有り。民人気勇にして、好んで兵戦を習い、常に諸侯を会して一たび約して之が縦長と為る。秦弱からざれば則ち六国必ず滅ぶことを明らかにす。秦の未だ志を天下に得ざる所以の者は、趙之が患いを為せばなり。今、大王の霊に頼りて、趙軍長平に破れ、其の信臣鋭卒、畢く死せざるは莫し。邯鄲空虚にして、百郡震怖し、士民咸な其の主を怨む。誠に此の時を以て転輸を遣わし、軍糧を給足せば、趙を滅ぼすこと必せり。趙を滅ぼして以て諸侯を威さば、天下定むべくして、王業成らん」と。秦王之を許さんと欲す。応侯、其の功を妬みて成さしむるを欲せず、秦王に言いて曰く「秦は趙軍を破ると雖も、士卒の死傷も亦た衆く、百姓は遠輸に疲れ、国内空虚なり。楚・魏、虚に乗じて変を為さば、将に以て自ら守ること無からんとす。宜しく且く兵を罷むべし」と。王之に従う。
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『長短経』七雄略凡そ大王の縦を為すと信ずる所の者は、蘇秦を恃めばなり。蘇秦は諸侯を熒惑し、是を以て非と為し、非を以て是と為し、斉国を反覆せんと欲して、自ら車裂を市に令す。夫れ天下の一混斉すべからざることも亦た明らかなり。今、楚は秦と昆弟の国たり。而して韓・梁は東藩の臣と称し、斉は魚塩の地を献ず。此れ趙の右臂を断つなり。夫れ右臂を断ちて人と闘い、其の党を失いて孤居し、危うきこと無からんことを求め欲するも、豈に得べけんや。今、秦は三軍を発す。其の一軍は午道を塞ぎ、斉に告げて師を興さしめ、河を渡りて邯鄲の東に軍せしむ。一軍は成皋に軍し、韓・梁の軍を河外に駆る。一軍は澠池に軍し、四国に約して趙を攻めしむ。趙服すれば、必ず其の地を四分せん。是の故に、敢えて意を匿し情を隠さず、先ず以て左右に聞す。臣竊かに大王の為に計るに、秦王と澠池に遇い、面相見て口相約するに如くは莫し。請う、兵を案じて攻むること無からん。願わくは大王の計を定めよ」と。趙の粛侯、之を許す。
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『長短経』七雄略夫れ秦、軹道を下らば、則ち南陽危うし。韓を刧かし周を包まば、則ち趙は自ら兵を操らん。衛に拠りて淇・巻を取らば、則ち斉は必ず入りて秦に朝せん。秦、已に山東を得んと欲せば、則ち必ず兵を挙げて趙に嚮かわん。秦甲、河を渡り漳を踰え、番吾に拠らば、則ち兵は必ず邯鄲の下に戦わん。此れ臣の君の為に危ぶむ所なり。当今の時、山東の建国、趙より強きは莫し。趙の地は方二千余里、帯甲数十万、車千乗、騎万匹、粟は数年を支う。西に常山有り、南に河・漳有り、東に清河有り、北に燕有り。燕は固より弱国なり。畏るるに足らざるなり。秦の天下に害する所、趙に如くは莫し。然り而して秦の敢えて兵を挙げて趙を伐たざる者は、何ぞや。韓・魏の其の後を議するを畏るればなり。然らば則ち韓・魏は、趙の南蔽なり。秦の韓・魏を攻むるや、名山大川の険無く、稍稍として之を蚕食し、国都に傅きて止まん。韓・魏、秦を支うる能わず、必ず入りて秦に臣たらん。秦、韓・魏の規無くんば、則ち禍は必ず趙に中らん。此れ臣の君の為に患うる所なり。
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戦国策・謂應侯曰君禽馬服乎應侯に謂ひて曰く、「君馬服を禽にせしか。」曰く、「然り。」「又即ち邯鄲を圍むか。」曰く、「然り。」「趙亡びなば、秦王王たらん、武安君三公と爲らん。武安君秦の爲に戰ひて勝ち攻めて取る所以の者七十餘城、南は鄢・郢・漢中を亡ぼし、馬服の軍を禽にし、一甲をも亡はず、周・呂望の功と雖も、亦た此に過ぎざるなり。趙亡び、秦王王たり、武安君三公と爲らば、君能く之が下と爲らんか。之が下と爲る無からんと欲すと雖も、固より之を得ざるなり。秦嘗て韓邢を攻め、上黨に困しめしに、上黨の民皆返りて趙の爲にせり。天下の民、秦の民たるを樂しまざるの日固より久し。今趙を攻めなば、北地は燕に入り、東地は齊に入り、南地は楚・魏に入り、則ち秦の得る所一に幾何ぞ。故に因りて之を割くに如かず、因りて以て武安の功と爲さん。」
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『長短経』七雄略後三年、復た白起を将として趙を伐たんと欲するも、起肯んぜず。王乃ち応侯をして之を責めしめて曰く「楚は地方五千里、戟を持つもの百万。君、前に数万の衆を率いて楚に入り、鄢郢を抜き、其の郊廟を焚く。楚人震恐し、東に徙りて敢えて西に向かわず。韓・魏相率いて兵を興すこと甚だ衆きも、君の将いる所は半ばにも能わず、而して之を伊闕に破り、流血、櫓を漂わす。韓・魏已に服し、今に至るまで東藩と称す。此れ君の功にして、天下聞かざるは莫し。今、趙卒の長平に死する者、已に十に七八。是を以て寡君、君をして将たらしめ、必ず之を滅ぼさんと欲す。君は常に寡を以て衆を撃ち、勝を取ること神の如し。況んや強を以て弱を撃ち、衆を以て寡を撃つをや」と。
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『長短経』七雄略今、秦軍は趙軍を長平に破るも、時を以て遂げず。其の振懼に乗じて之を滅ぼさず、畏れて之を釈き、耕稼して以て蓄積を益すことを得しむ。孤を養い幼を長じて以て其の衆を益し、兵甲を繕理して以て其の強を益し、城池を増浚して以て其の固きを益す。主は節を折りて以て其の臣に下り、臣は体を推して以て死士に下る。平原の属に至るまで、皆妻妾をして行伍の間に補縫せしむ。臣民心を一にし、上下力を同じくすること、猶お句践の会稽に困しめる時のごときなり。今を以て之を伐たば、趙は必ず固守せん。其の軍に挑みて戦わんとするも、必ず肯えて出でず。其の国都を囲むも、必ず克つべからず。其の列城を攻むるも、必ず抜くべからず。郊野に掠むるも、必ず得る所無し。兵久しくして功無くんば、諸侯心を生じ、外救必ず至らん。臣は其の害を見て、未だ其の利を覩ず。又た病みて行くこと能わず」と。応侯慚じて退く。秦乃ち王齕をして将として趙を伐たしむ。楚・魏果たして之を救うなり。〕