長短経 / 覇図
隋文帝初受周禪、甚敦隣好。宣帝崩、遣使赴弔、修敵國之禮、書稱名頓首。而後主驕奢、書末云、「想彼統内如宜此、宇宙清泰。」隋文帝不悦、以示朝臣。賀若弼、楊素等以為主辱、再拜請罪、並求致討。文帝曰、「我為人父母、豈可限一衣帶水而不拯之乎?」命作戰舩〔人請宻之、文帝曰、「吾將顯行天誅、何宻之有?使投柹于江、若彼能改、我又何求〕
新字:隋文帝初受周禅、甚敦隣好。宣帝崩、遣使赴弔、修敵国之礼、書称名頓首。而後主驕奢、書末云、「想彼統内如宜此、宇宙清泰。」隋文帝不悦、以示朝臣。賀若弼、楊素等以為主辱、再拝請罪、並求致討。文帝曰、「我為人父母、豈可限一衣帯水而不拯之乎?」命作戦舩〔人請密之、文帝曰、「吾将顕行天誅、何密之有?使投柹于江、若彼能改、我又何求〕
書き下し
隋の文帝、初め周の禅を受け、甚だ隣好を敦くす。宣帝崩ず。使いを遣わして弔に赴き、敵国の礼を修め、書に名を称して頓首す。而して後主、驕奢にして、書末に云う「想うに彼の統内も宜しきが如く、此の宇宙は清泰なり」と。隋の文帝悦ばず、以て朝臣に示す。賀若弼・楊素等、以て主辱めらると為し、再拝して罪を請い、並びに討を致さんことを求む。文帝曰く「我、人の父母と為る。豈に一衣帯水に限りて之を拯わざる可けんや」と。戦船を作らしむ。〈人、之を密にせんことを請う。文帝曰く「吾、将に顕らかに天誅を行わんとす。何の密か之れ有らん。柹を江に投ぜしめよ。若し彼、能く改めば、我、又た何をか求めん」と。〉
現代語訳
隋の文帝は周から禅譲を受けた当初、たいへん隣国との友好を厚くした。陳の宣帝が崩じた。使者を送って弔問に赴き、対等な国の礼を尽くし、書状に自分の名を書いて頓首した。ところが陳の後主は驕り高ぶって、書状の末尾にこう書いた。「そちらの領内も無事のことと思う。こちらの天下は清く安らかである」。隋の文帝は不快になり、朝臣に見せた。賀若弼と楊素らは主君が辱められたとして、再拝して罪を請い、討伐を求めた。文帝は言った。「私は民の父母である。どうして帯ほどの幅の川に隔てられて、あちらを救わないでいられよう」。戦船を作らせた。〈ある人が秘密にすべきだと言った。文帝は言った。「私は公然と天の誅を行おうとしている。何を秘密にするのか。削り屑を長江に流させよ。もしあちらが改めるなら、私はもう何も求めない」。〉
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『長短経』覇図晋王広を以て元帥と為し、八十総管を督して以て討を致す。〈初め、隋師、璽書を送り、後主の悪を暴くこと、三十万紙。遍く江東に諭す。諸軍既に江を下る。鎮、或いは相い継ぎて奏聞す。沈客卿、機密を掌り、抑えて言わず。隋軍、江に臨む。後主曰く「王気、此に在り。斉兵三度来たり、周兵再度至るも、摧没せざる無し。虜、今来たるも、必ず自ら敗れん」と。酒を縦にし詩を作りて輟めず。隋軍、或いは進みて姑孰を抜き、或いは曲阿の衝を断つ。乃ち詔を下して曰く「犬羊凌縦し、郊畿を侵竊す。蜂蠆に毒有り。宜しく時に掃定すべし」と。蕭摩訶を以て皇畿大都督と為し、兵を分かちて要害を守らしめ、僧尼道士も役に執わしむ。隋軍、南北道並びに進み、衆軍敗績す。〉
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『長短経』覇図〈上、曽て夢に青衣の児を見る。謂いて曰く「去るも亦た死し、住まるも亦た死す。船に乗じて江水を渡るに若かず」と。裴蘊・虞世基は皆な南人なり。其の事を賛成す。将率、南遷を願わず、将に会に因りて之を鴆せんとす。南陽公主、其の婿を殺すを懼れ、謀を以て宇文士及に告ぐ。士及、其の兄化及に告ぐ。遂に反して帝を執う。帝曰く「吾、何ぞ天地に負きて此に至るか」と。馬文挙、対えて曰く「臣聞く、万姓は主無かる可からず。故に君を立てて以て之を撫す、と。是れ知る、一人、万姓を養う。万姓、一人を養うに非ざるなり。高祖文皇帝、粤に下国を有ち、丕いに大宝を隆んにし、苛政を除き、恩徳を布く。南のかた強陳を伐ち、北のかた狡虜を滅ぼす。二十余年、河清く海晏らかなり。既にして世を棄てて升遐す。陛下即位し、社稷に違遠し、京師を委棄し、巡遊行幸して、略ぼ寧歳無し。
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『長短経』覇図韓擒虎、南掖門より入る。文武の各官皆な遁る。後主を擒にして出づ。〈隋帥の入るや、僕射袁憲、端坐して殿上にし、色を正して之を待たんことを勧む。後主曰く「鋒刃の下、未だ交え当たる可からず。吾、自ら計有り」と。乃ち井に逃る。隋の軍人、縄を以て之を引く。其の太だ重きに驚く。乃ち張貴妃・孔貴人と同に乗じて上る。隋の文帝、之を聞きて大いに驚く。鮑宏対えて曰く「東井は天文に於て秦の分と為す。今、王都の在る所なり。井に投ずるは、其れ天意なり」と。先に是れ、江東に多く王献之の桃葉の辞を唱う。云う「桃葉、復た桃葉、江を渡るに檝を用いず。但だ渡るに苦しむ所無し。我、自ら汝を迎接せん」と。晋王広の六合鎮に軍するに及び、其の山、桃葉と名づく。果たして陳の船に乗じて之を渡るなり。〉
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『長短経』覇図晋王広、入りて台城に拠り、後主を東宮に送る。已にして、後主と王公百司と、建鄴より発して長安に之く。京師に至るに及び、輿服を列陳し、後主及び王公を引く。詔を宣べて後主を譲めしむ。後主、息を屏めて対うる能わず。長城公に封ず。〈隋の文帝、東巡して、芒山に登る。後主、侍飲し、詩を賦して曰く「日月は天徳に光り、山河は帝居に壮んなり。太平、以て報ゆる無し。願わくは東封の書を上らん」と。出づるに及び、隋の文帝、之を目送して曰く「此の敗、豈に詩酒に由らざらんや。詩を作る功夫を将て、安き時の事を思うに何如ならん」と。〉
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『長短経』覇図隋の高祖、姓は楊氏、名は堅。周の武帝の初め、隋州刺史と為り、女は太子妃と為る。周の宣帝立ち、拝して大司馬と為す。宣帝崩じ、靖帝を立て、爵を進めて隋王と為す。遂に位を禅る。号を改めて九年、陳を平らぐ。太子勇を廃して庶人と為し、晋王広を立てて皇太子と為す。高祖崩じ、太子即位す。〈是を煬帝と為す。〉煬帝、無道にして、盗賊蜂起す。十三年、江都に幸す。李密、壇を鞏に設け、自ら署して魏公と為す。〈密は遼東の人、蒲山公寛の子なり。少くして倜儻にして大志有り。常に乱を思うの心有り。楊玄感と刎頸の交わりを為す。玄感、勢いを以て之を凌ぐ。密怒りて曰く「機を両陣の間に決し、喑啞叱咤して三軍を披靡せしめ、功を一時に邀うるは、密、公に如かず。若し彼の長途を渉り、賢俊を駆策して、各々其の用を申べしむるは、公、密に如かず。豈に一階一級を以て天下の士大夫を軽んず可けんや」と。玄感の反するに及び、密、之に帰し、其の謀主と為る。後、玄感敗れ、密、姓名を変じて、翟譲に奔る。譲、密を立てて魏公と為す。幕府を開き、僚属を置く。九十余万人有り。〉
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『長短経』覇図詔して宇文泰に授けて丞相と為す。泰、又た出帝を害し、南陽王宝炬を立つ。是を文帝と為す。文帝崩じ、王子を立てて帝と為し、又た之を廃して、恭帝を立つ。泰、太師と為る。泰薨じ、子覚嗣ぎて周公に封ぜらる。魏帝、位を覚に禅る。泰の第三子、禅を受け、国を周と号す。宣帝に至り、帝崩じ、隋に禅る。初め、爾朱栄の荘帝を殺すや、高歓、晋州刺史と為り、兵を起こして之を誅し、魏の出帝を立つ。歓、丞相と為る。後、魏、既に西のかた関に入る。乃ち清河王の子善見を立てて帝と為し、都を鄴に遷す。是を東魏と為す。高歓薨じ、子の斉王洋、東魏の禅を受け、国を斉と号す。温公緯に至り、周の滅ぼす所と為る。周、又た隋の滅ぼす所と為る。隋の文帝、既に周の禅を受け、又た南のかた陳を滅ぼし、天下一統す。〉懐帝崩じ、呉王晏の子業を立つ。是を愍帝と為す。亦た劉聡の殺す所と為る。〈此の時、胡、中原を乱す。晋の元、乃ち都を江左に遷すなり。〉