長短経 / 教戦
卒服習矣、器用利矣、將軍乃秉旄麾衆而誓之〔有虞氏誡于國、夏后氏誓于軍、殷誓于軍門之外。周將交刃而誓之、所誓不同、吾從周、誓之曰、“嗚呼!溥天之下、莫非王土、率土之濵莫非王臣。今某國威侮五行、怠棄三正、俾我有衆、恭行天討。用命者、賞不踰時、逗撓者、誅不遷列。死生富貴、在此一舉。嗟爾庶士、各勉乃心也。〕于是氣厲青雲、雖赴湯蹈火、可也。此教戰之法也。
新字:卒服習矣、器用利矣、将軍乃秉旄麾衆而誓之〔有虞氏誡于国、夏后氏誓于軍、殷誓于軍門之外。周将交刃而誓之、所誓不同、吾従周、誓之曰、“嗚呼!溥天之下、莫非王土、率土之浜莫非王臣。今某国威侮五行、怠棄三正、俾我有衆、恭行天討。用命者、賞不踰時、逗撓者、誅不遷列。死生富貴、在此一舉。嗟爾庶士、各勉乃心也。〕于是気厲青雲、雖赴湯蹈火、可也。此教戦之法也。
書き下し
卒服習し、器用利なれば、将軍乃ち旄を秉り衆を麾きて之に誓う〔有虞氏は国に誡め、夏后氏は軍に誓い、殷は軍門の外に誓う。周は将に刃を交えんとして之に誓う。誓う所同じからず、吾は周に従う。之に誓いて曰く「嗚呼、溥天の下、王土に非ざる莫く、率土の浜、王臣に非ざる莫し。今、某国は五行を威侮し、三正を怠棄す。我が有衆をして、恭しく天討を行わしむ。命を用うる者は、賞時を踰えず。逗撓する者は、誅列を遷さず。死生富貴、此の一挙に在り。嗟、爾庶士、各々乃の心を勉めよ」と〕。是に於て気は青雲を厲まし、湯に赴き火を蹈むと雖も、可なり。此れ教戦の法なり。
現代語訳
兵が訓練に慣れ、武器が鋭くなったら、将軍は旗を手に取り、兵を招き集めて誓う〔有虞氏は国中に戒め、夏后氏は軍中で誓い、殷は軍門の外で誓った。周はまさに刃を交えようとするときに誓った。誓い方は同じではないが、私は周に従う。誓って言う。「ああ、天の下はすべて王の土地であり、地の果てまですべて王の臣である。いまある国は五行の理を侮り、暦と秩序を捨てた。わが軍に、謹んで天の討伐を行わせる。命令に従う者には、時を移さず賞を与える。ためらって退く者は、その場で誅する。死生と富貴はこの一挙にある。ああ、諸君、それぞれ心を励ませ」〕。こうして気勢は青雲をも突き上げ、熱湯に飛び込み火を踏むことさえできる。これが戦いを教える法である。
解説

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