長短経 / 三国権
〔述曰、「帝王有命、吾何徳以當之?」熊曰、「天命無常、百姓與能、能者當之。王何疑焉?」遂然之也。〕四月、遂立自為天子、號「成家」、色尚白。〔使将軍侯丹開白水闗、北守南鄭、将軍任滿從閬中下江州、東據捍闗、於是盡有益州之地也。〕
新字:〔述曰、「帝王有命、吾何徳以当之?」熊曰、「天命無常、百姓与能、能者当之。王何疑焉?」遂然之也。〕四月、遂立自為天子、号「成家」、色尚白。〔使将軍侯丹開白水関、北守南鄭、将軍任満従閬中下江州、東拠捍関、於是尽有益州之地也。〕
書き下し
〔述曰く「帝王は命有り。吾、何の徳以て之に当たらん」と。熊曰く「天命常無し。百姓は能に与す。能なる者之に当たる。王何ぞ疑わん」と。遂に之を然りとするなり。〕四月、遂に立ちて自ら天子と為り、成家と号し、色は白を尚ぶ。〔将軍侯丹をして白水関を開き、北のかた南鄭を守らしめ、将軍任満をして閬中より江州に下り、東のかた扞関に拠らしむ。是に於て尽く益州の地を有つなり。〕
現代語訳
〔公孫述が「帝王には天命がある。私にどんな徳があってそれに当たれよう」と言うと、李熊は「天命は定まったものではありません。民は能力のある者につきます。能力のある者が天命に当たるのです。王は何を疑われますか」と答えた。公孫述はついにそれをもっともだと思った。〕四月、ついに自ら天子に立ち、国号を成家とし、色は白を尊んだ。〔将軍侯丹に白水関を開かせて北の南鄭を守らせ、将軍任満に閬中から江州へ下らせて東の扞関に拠らせた。こうして益州の地をすべて手に入れた。〕
解説
公孫述は一度ためらい、自分に天命を受ける徳はないと言います。李熊は、天命は固定したものではなく、民は能力のある者についていくと答えて背中を押しました。理屈としては筋が通っていますが、これは誰でも自分を正当化できる言葉でもあります。公孫述はこれで即位し、益州全土を押さえました。ためらいを消してくれる言葉は心地よいものですが、そのためらいこそ正しかった可能性もあるのです。
この章句が説くこと
三国権公孫述天命正当化即位能力
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