長短経 / 七雄略
秦既呑天下、患周之敗、以為弱見奪、於是笑三代、蕩滅古法〔孔融曰、「古者、王畿之制千里、寰内不以封諸侯。」祭公曰、「夫先王之制、邦内甸服、邦外侯服、侯衛賓服、蠻夷要服、戎狄荒服。甸服者祭、侯服者祀、賔服者享、要服者貢、荒服者王。日祭月祀、時享、嵗貢、終王、先王之訓也。有不祭則修徳、有不祀則修言、有不享則修文、有不貢則修名、有不王則修德。序成而又不至、則修刑。於是有刑不祭、伐不祀、征不享、讓不貢、告不王。於是有刑罰之辟、有攻伐之兵、有征討之偹、有威讓之命、有文告之辭、而又不至、則増修其德、無勤人於逺、此古制也。」。〕
新字:秦既呑天下、患周之敗、以為弱見奪、於是笑三代、蕩滅古法〔孔融曰、「古者、王畿之制千里、寰内不以封諸侯。」祭公曰、「夫先王之制、邦内甸服、邦外侯服、侯衛賓服、蠻夷要服、戎狄荒服。甸服者祭、侯服者祀、賓服者享、要服者貢、荒服者王。日祭月祀、時享、歳貢、終王、先王之訓也。有不祭則修徳、有不祀則修言、有不享則修文、有不貢則修名、有不王則修徳。序成而又不至、則修刑。於是有刑不祭、伐不祀、征不享、譲不貢、告不王。於是有刑罰之辟、有攻伐之兵、有征討之備、有威譲之命、有文告之辞、而又不至、則増修其徳、無勤人於遠、此古制也。」。〕
書き下し
秦既に天下を呑み、周の敗を患い、弱きを以て奪わると為す。是に於て三代を笑い、古法を蕩滅す〔孔融曰く「古者、王畿の制は千里、寰内は以て諸侯を封ぜず」と。祭公曰く「夫れ先王の制、邦内は甸服、邦外は侯服、侯衛は賓服、蛮夷は要服、戎狄は荒服。甸服の者は祭り、侯服の者は祀り、賓服の者は享し、要服の者は貢し、荒服の者は王とす。日に祭り、月に祀り、時に享し、歳に貢し、終に王とするは、先王の訓なり。祭らざる有れば則ち徳を修め、祀らざる有れば則ち言を修め、享せざる有れば則ち文を修め、貢せざる有れば則ち名を修め、王とせざる有れば則ち徳を修む。序成りて而も又た至らざれば、則ち刑を修む。是に於て祭らざるを刑し、祀らざるを伐ち、享せざるを征し、貢せざるを譲め、王とせざるを告ぐる有り。是に於て刑罰の辟有り、攻伐の兵有り、征討の備え有り、威譲の命有り、文告の辞有り。而も又た至らざれば、則ち増々其の徳を修め、人を遠きに勤めしむること無し。此れ古制なり」と。〕
現代語訳
秦は天下を呑み込むと、周が敗れたのを見て、弱かったから奪われたのだと考えた。そこで夏・殷・周の三代を笑い、古い法をことごとく打ち壊した〔孔融は言う。「昔、王の直轄地は千里四方で、その内には諸侯を封じなかった」。祭公は言う。「先王の制度では、国の内は甸服、国の外は侯服、侯や衛の地は賓服、蛮夷は要服、戎狄は荒服とした。甸服は日ごとの祭りを助け、侯服は月ごとの祀りを助け、賓服は季節ごとの供え物をし、要服は年ごとに貢ぎ、荒服は代替わりに一度来朝する。これが先王の教えである。祭りを助けない者があれば徳を修め、祀りを助けない者があれば言葉を修め、供え物をしない者があれば文を修め、貢がない者があれば名分を修め、来朝しない者があれば徳を修めた。そうして順序を尽くしてもなお来なければ、刑を整えた。そこで祭りを助けぬ者を罰し、祀りを助けぬ者を伐ち、供えぬ者を征し、貢がぬ者を責め、来朝せぬ者に告げた。刑罰の法、攻め伐つ兵、征討の備え、威圧して責める命令、文で告げる言葉があった。それでも来なければ、いっそう徳を修め、遠くの地まで民を苦しめることはしなかった。これが古い制度である」。〕
解説
この章句が説くこと
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『長短経』七雄略〔荀悦曰く「古の国を建つるに或いは小、或いは大なる者は、前の弊を監みて、変じて之を通ずるなり。夏・殷の時は、蓋し百里に過ぎず。故に諸侯微にして天子強し。桀・紂は其の虐害を肆にするを得たり。紂は鄂侯を脯にして鬼侯を醢にし、文王の盛徳を以てするも、羑里を免れず。周は其の弊を承け、故に大国を建て、方五百里。諸侯を崇寵して自ら損する所以なり。其の末流に至りて、諸侯強大にして、更々相侵伐し、而して周室卑微にして、禍難用て作る。秦は其の弊を承け、其の制を正して以て其の中を求むること能わず、遂に諸侯を廃し、改めて郡県と為し、以て威権を壱にし、以て天下を専らにす。其の意は主として自ら為にし、以て人の為にするに非ざるなり。故に秦は海内の勢いを擅にするを得て、拘忌する所無く、肆に奢淫を行い、天下に暴虐す。然れども十四年にして滅ぶ。故に人主道を失えば、則ち天下遍く其の害を被り、百姓一たび乱るれば、則ち魚爛土崩し、之を匡救する莫し。漢興りて、周・秦の弊を承け、故に雑えて之を用う。然れども六王・七国の難は、誠に之を強大に失うにして、諸侯の国を治むるの咎に非ず」と。〕
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『長短経』七雄略五等を削去して、改めて郡県と為し、自ら号して皇帝と為し、而して子弟は匹夫と為る。内に骨肉本根の輔無く、外に尺土藩翼の衛無し。呉・陳、其の白梃を奮い〔白梃は木杖なり〕、劉・項随いて之を斃す。故に曰く、周は其の暦を過ぎ、秦は其の数に及ばず、と。国勢然るなり。
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『長短経』七雄略嬴氏の場を擅にするに及び、周の失を懲らし、五等を廃し、郡県を立つ。君は海内を有ちて、子弟は匹夫たり。功臣は勤めを効すも、干城に茅土無し。孤りにて天下を制し、独り其の利を擅にす。身死するの日、海内分崩す。陳勝は偏袒して前に唱え、劉季は剣を提げて後に興り、虎嘯き龍睇み、遂に秦族を亡ぼす。夫れ劉・陳の諸傑は布衣なり。呉・楚の勢い、立錐の地無し。然り而して白徒の衆を駆りて、天子と衡を争うを得たる者は、百姓乱を思い、諸侯の勤王の憚るべき無ければなり。故に語に曰く、夫れ乱政虐刑は、英雄に資して自ら禍を速むる所以なり、と。此の謂いなり。
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『長短経』七雄略臣聞く、天下は大器なり。群生は重蓄なり。器、大なれば以て独り理む可からず。蓄、重ければ以て自ら守る可からず。故に野を劃し疆を分かつは、侯を建つるに利ある所以なり。親疎相い鎮するは、盛衰に関わる所以なり。昔、周は二代に監み、爵を五等に立て、国を封ずること八百、同姓五十五。根を深くし本を固くし、抜く可からざるを為すなり。故に盛んなれば則ち周・召、其の治を相け、衰うれば則ち五覇、其の弱きを扶く。王室を夾輔し、厥の世を左右する所以なり。此れ三聖の法を制するの意なり。〈文・武・周公を三聖と為す。〉然れども下を厚くするの典は、尾大に弊る。
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『長短経』七雄略夫れ深根を伐つ者は功を為し難く、枯朽を摧く者は力を為し易し。今、五等は深根なる者なり。郡県は枯朽なる者なり。故に秦より以下、周・隋に迄るまで、神器を失う者は侵弱に非ず、天下を得る者は持久に非ず。国勢然るなり。嗚呼、郡県にして理むれば、則ち布衣の心を生じ、五等もて代を御すれば、則ち縦横の禍有り。故に知る、法なる者は皆弊有ることを。侯伯に乱るべきの符無く、郡県は理を致すの具に非ずと謂うに非ず。但だ経始には其の多福を図り、慮終には其の少禍を取る。故に五等を貴ぶのみ。聖人は其の此くの如きを知る。是を以て兢兢業業として、日に一日を慎み、徳を修めて以て之を鎮め、賢を択びて之を使う。徳修まり賢択ばるれば、黎元業を楽しむ。湯・武の聖有りと雖も、興る能わず。況んや布衣の細にして、敢えて偏袒して大呼せんや。察せざるべからず。
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『塩鉄論』誅秦篇大夫曰く、秦・楚・燕・齊は、周の封國なり。三晉の君、齊の田氏は、諸侯の家臣なり。內は其の國を守り、外は不義を伐ち、地は廣まり壤は進む。故に號を萬乘に立てて、諸侯と為る。宗周は禮を修め文を長ずるも、然れども國は翦弱にして、自ら存する能わず、東は六國に攝れ、西は秦を畏れ、身は以て放遷され、宗廟は祀を絕つ。先帝の大惠に賴りて、其の後を紹ぎ興し、嘉を潁川に封じ、周子男君と號す。秦既に天下を幷せ、東のかた沛水を絕ち、並せて朝鮮を滅ぼし、南のかた陸梁を取り、北のかた胡・狄を卻け、西のかた氐・羌を略し、帝號を立て、四夷を朝せしむ。舟車の通ずる所、足跡の及ぶ所、畢く至らざるは靡し。其の德に服するに非ず、其の威を畏るればなり。力多ければ則ち人朝し、力寡なければ則ち人に朝す。