長短経 / 三国権
太祖與袁紹相持於官渡、時公粮少、與荀彧書、議欲還許。彧曰、「紹悉衆聚官渡、欲與公决勝敗、公以至弱當至強、若不能制、必為所乘、是天下之大機也。且紹、布衣之雄耳、能聚人而不能用。夫以公之神武明哲、而輔以大順、何向而不濟?今軍雖少、未若楚漢在滎陽、成臯時也。是時、劉、項莫肯先退先退者勢屈。公以十分居一之衆、畫地而守之、扼其喉而不得進、已半年矣!情見勢竭、必將有變。此用竒之時、不可失也。」又紹謀臣許攸貪財、紹不能縱、来奔、説太祖襲紹别屯、燔其粮榖遂破紹。
新字:太祖与袁紹相持於官渡、時公粮少、与荀彧書、議欲還許。彧曰、「紹悉衆聚官渡、欲与公決勝敗、公以至弱当至強、若不能制、必為所乗、是天下之大機也。且紹、布衣之雄耳、能聚人而不能用。夫以公之神武明哲、而輔以大順、何向而不済?今軍雖少、未若楚漢在滎陽、成皋時也。是時、劉、項莫肯先退先退者勢屈。公以十分居一之衆、画地而守之、扼其喉而不得進、已半年矣!情見勢竭、必将有変。此用奇之時、不可失也。」又紹謀臣許攸貪財、紹不能縦、来奔、説太祖襲紹別屯、燔其粮穀遂破紹。
書き下し
太祖、袁紹と官渡に相持す。時に公は粮少なく、荀彧に書を与え、議して許に還らんと欲す。彧曰く「紹は悉く衆を官渡に聚め、公と勝敗を決せんと欲す。公は至弱を以て至強に当たる。若し制すること能わずんば、必ず乗ずる所と為らん。是れ天下の大機なり。且つ紹は布衣の雄のみ。能く人を聚むれども用うること能わず。夫れ公の神武明哲を以て、輔くるに大順を以てす。何に向かいてか済らざらん。今、軍少なしと雖も、未だ楚漢の滎陽・成皋に在りし時に若かざるなり。是の時、劉・項、肯えて先に退く莫し。先に退く者は勢い屈すればなり。公は十分の一に居るの衆を以て、地を画して之を守り、其の喉を扼して進むを得ざらしむること、已に半年なり。情見れ勢い竭く、必ず将に変有らんとす。此れ奇を用うるの時、失うべからず」と。又た紹の謀臣許攸、財を貪る。紹縦すこと能わず。来奔し、太祖に説きて紹の別屯を襲い、其の粮穀を燔かしむ。遂に紹を破る。
現代語訳
曹操は官渡で袁紹とにらみ合った。そのとき曹操は兵糧が少なく、荀彧に手紙を書いて、許に引き返すことを相談した。荀彧は言った。「袁紹は全軍を官渡に集め、殿と勝敗を決しようとしています。殿は最も弱い兵で最も強い敵に当たっています。もし抑えきれなければ、必ずつけ込まれます。これは天下の大きな分かれ目です。しかも袁紹は庶民の英雄にすぎず、人を集めることはできても使うことができません。殿の神のような武勇と明察に、大義という順道が加わっているのですから、どこへ向かっても成し遂げられないことはありません。いま兵は少ないとはいえ、楚と漢が滎陽・成皋で戦ったときほどではありません。あのとき劉邦も項羽も先に退こうとしませんでした。先に退いた者は形勢で屈するからです。殿は相手の十分の一の兵で、線を引いて守り、敵の喉を押さえて進ませないこと、すでに半年です。敵の手の内は見え、勢いは尽き、必ず変事が起きます。いまこそ奇策を用いる時で、逃してはなりません」。また袁紹の謀臣許攸は財を貪っていたが、袁紹は許攸を満足させられなかった。許攸は曹操のもとに逃げてきて、袁紹の別の陣を襲って兵糧を焼くよう説き、曹操はついに袁紹を破った。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『長短経』覇図会々攸の家、法を犯す。審配、之を収繋す。攸、志を得ず、遂に曹公に奔る。而して操に説きて淳于瓊を襲取せしむ。瓊、時に軍を督し、烏巣に屯在す。紹の軍を去ること四十里。操、自ら将いて急に之を撃つ。時に張郃、紹に説きて曰く「曹公の兵は精なり。往かば必ず瓊を破らん。瓊破れなば、則ち将軍の事去らん。宜しく兵を引きて之を救うべし」と。郭図曰く「郃の計は非なり。其の本営を攻むるに如かず。勢い必ず還らん。此れ救わずして自ら解くるを為すなり」と。郃曰く「曹公の営は固し。之を攻むるも必ず抜けざらん。若し瓊等禽にせられなば、吾が属、尽く虜と為らん」と。紹、但だ軽騎を遣わして瓊を救い、而して重兵を以て操の営を攻むるも、下す能わず。曹公、瓊を破り、其の積聚を焚く。紹の軍、潰散奔北す。曹公、遂に紹を破り、乃ち天下を威震するなり。〉
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『長短経』覇図紹従わず、遂に操を官渡に攻む。紹、自ら兵を引きて黎陽に至る。沮授、行くに臨み、其の資財を散じ、宗族を会して以て之に与えて曰く「勢い在れば威、加わらざる無く、勢い亡ぶれば則ち其の身を保たず。哀しいかな」と。其の弟宗曰く「曹操の士馬は敵せず。君、何ぞ懼れんや」と。授曰く「曹兗州の明略を以てし、又た天子を挟みて以て資と為す。我、伯珪に克つと雖も、衆は実に疲弊す。而して主は驕り将は汰る。軍の破敗は此の挙に在るなり。揚雄に言える有り『六国嗤嗤として、嬴の為に姫を弱くす』と。殆ど今の謂いか」と。河を渡るに及び、舟に臨みて嘆じて曰く「上は其の志に盈ち、下は其の功を務む。悠悠たる黄河、吾将に済らんとするか」と。
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『長短経』覇図紹、果たして曹公の敗る所と為る。紹、進みて武陽を保ち、操と相い持す。沮授、又た説きて曰く「北兵は衆しと雖も、果勁は南に及ばず。南の穀は虚少なるも、財貨は北に及ばず。南の利は急戦に在り、北の利は緩搏に在り。宜しく持久を修め、曠しくするに日月を以てすべし」と。紹従わず。連営して漸く官渡に逼る。許攸、進みて曰く「曹操は兵少なくして、師を悉くして我を拒ぐ。許下の余守、勢い必ず虚弱ならん。若し軽騎を分遣し、星行して襲わば、許抜けて、則ち操は擒を成さん。如し其れ未だ潰えずんば、首尾をして奔命せしむ可し。之を破ること必せん」と。紹、又た用うる能わず。
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『長短経』覇図曹公、官渡に軍す。紹、時に衆を悉くして南す。田豊、紹に説きて曰く「曹公は善く兵を用い、変化方無し。衆は少なしと雖も、未だ軽んず可からず。久しきを以て之を持するに如かず。将軍は山河の固きに拠り、四州の衆を擁す。外は英雄を結び、内は農戦を修む。然る後に其の精鋭を簡び、分かちて奇兵と為し、虚に乗じて迭々出で、以て河南を擾し、右を救わば則ち其の左を撃ち、左を救わば則ち其の右を撃つ。敵をして奔命に疲れしめ、人、業に安んずるを得ざらしむ。我労せずして彼已に困す。三年に及ばずして、坐して克つ可きなり。今、廟算の策を釈てて、成敗を一戦に決す。若し志の如くならずんば、悔ゆとも及ぶ無きなり」と。
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『長短経』三国権太祖、呂布を下邳に攻めて抜けず、還らんと欲す。荀攸曰く「布は勇にして謀無し。今、三軍皆其の鋭気衰う。三軍は将を以て主と為す。主衰うれば則ち軍に奮意無し。陳宮は智有りて遅し。今、布の気の未だ復せず、宮の謀の未だ定まらざるに及びて、進みて急に之を攻めば、布抜くべきなり」と。乃ち沂・泗を決して城に灌ぐ。城潰え、布を生禽す。袁紹の将文醜、太祖と戦う。荀攸、太祖に勧めて輜重を以て賊に餌せしむ。賊遂に奔りて之を競い、陣乱る。文醜を斬る。
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『長短経』懼戒魏の太祖、呂布と濮陽に戦いて利あらず。袁紹、人をして太祖に説きて連和せしめ、太祖をして家を遣わして鄴に居らしめんとす。太祖之を許す。程昱見えて曰く「竊かに聞く、将軍家を遣わして鄴に居らしめ、袁紹と連和せんと欲すと。誠に之有るか」と。太祖曰く「然り」と。昱曰く「意うに将軍殆ど事に臨みて懼るるか。然らずんば、何ぞ慮りの深からざるや。夫れ袁紹は燕・趙の地に拠り、天下を并するの心有り。而れども智は済すこと能わず。将軍自ら度るに能く之が下と為らんか。将軍は龍虎の威を以て、韓・彭の事を為すべけんや。昱は愚にして大旨を識らず。以為えらく、将軍の志は田横に如かず。田横は斉の一壮士のみ。猶お高祖の臣と為るを羞ず。今、将軍は家を遣わして鄴に往かしめ、将に北面して袁紹に事えんとす。夫れ将軍の聡明神武を以て、反りて袁紹の下と為るを羞じず。竊かに将軍の為に之を恥ず。今、兗州は残すと雖も、尚お三城有り。能く戦うの士、万人を下らず。若し文若・昱等と収めて之を用いば、霸王の業成すべきなり。願わくは将軍更に之を慮れ」と。太祖乃ち止む。