長短経 / 覇図
三輔豪傑共誅王莽、傳首詣宛。更始以世祖行大司馬事、持節北渡河、鎮慰州郡。〔鄧禹杖䇿北渡河、追世祖。世祖見禹甚歡、謂曰、「我得専封拜、先生逺來、寧欲仕乎?」禹曰、「不願也。明公威徳加於四海、禹得効其尺寸、垂功名於竹帛耳。」世祖笑、因留宿禹。進説曰、「更始雖都闗西、今山東未安、赤眉、青犢之屬、動以萬數、三輔假號、往往羣聚。更始既未有所挫、而不自聽斷。諸将皆庸人崛起、志在財帛、爭用威力、朝夕自快而已。非有忠良明智、深慮逺圖、欲尊主安民者也。四方分崩離析、形勢可見。明公雖建蕃輔之功、猶恐未可成立。於今之計、莫知延覧英雄、務悦人心、立高祖之業、救萬人之命、以公而慮之、天下不足定也。」
新字:三輔豪傑共誅王莽、伝首詣宛。更始以世祖行大司馬事、持節北渡河、鎮慰州郡。〔鄧禹杖策北渡河、追世祖。世祖見禹甚歓、謂曰、「我得専封拝、先生遠来、寧欲仕乎?」禹曰、「不願也。明公威徳加於四海、禹得効其尺寸、垂功名於竹帛耳。」世祖笑、因留宿禹。進説曰、「更始雖都関西、今山東未安、赤眉、青犢之属、動以万数、三輔仮号、往往羣聚。更始既未有所挫、而不自聴断。諸将皆庸人崛起、志在財帛、争用威力、朝夕自快而已。非有忠良明智、深慮遠図、欲尊主安民者也。四方分崩離析、形勢可見。明公雖建蕃輔之功、猶恐未可成立。於今之計、莫知延覧英雄、務悦人心、立高祖之業、救万人之命、以公而慮之、天下不足定也。」
書き下し
三輔の豪傑、共に王莽を誅し、首を伝えて宛に詣る。更始、世祖を以て大司馬の事を行わしめ、節を持して北のかた河を渡り、州郡を鎮慰せしむ。〈鄧禹、策を杖つきて北のかた河を渡り、世祖を追う。世祖、禹を見て甚だ歓び、謂いて曰く「我、専ら封拝するを得たり。先生遠く来たる。寧ろ仕えんと欲するか」と。禹曰く「願わざるなり。明公の威徳、四海に加わる。禹、其の尺寸を効し、功名を竹帛に垂れんことを得んのみ」と。世祖笑い、因りて禹を留宿せしむ。進みて説きて曰く「更始、関西に都すと雖も、今、山東未だ安からず。赤眉・青犢の属、動もすれば万を以て数え、三輔に号を仮る者、往往にして群聚す。更始、既に未だ挫かるる所有らずして、自ら聴断せず。諸将は皆な庸人の崛起なり。志は財帛に在り、争いて威力を用い、朝夕自ら快くするのみ。忠良明智にして、深く慮り遠く図り、主を尊び民を安んぜんと欲する者有るに非ざるなり。四方分崩離析し、形勢見る可し。明公、蕃輔の功を建つと雖も、猶お未だ成立す可からざるを恐る。今の計に於ては、英雄を延覧し、務めて人心を悦ばしめ、高祖の業を立て、万人の命を救うを知るに如くは莫し。公を以て之を慮らば、天下定むるに足らざるなり」と。
現代語訳
三輔の豪傑がともに王莽を誅し、首を宛へ送った。更始は世祖に大司馬の職務を代行させ、節を持って北の黄河を渡り、州や郡を鎮め慰めさせた。〈鄧禹は杖をついて北の黄河を渡り、世祖を追った。世祖は鄧禹に会って大いに喜んで言った。「私は自分で封爵を与えられる立場になった。先生は遠くから来られた。仕官を望まれるのか」。鄧禹は言った。「望みません。明公の威徳は四海に及んでいます。私はわずかなりとも力を尽くし、功名を書物に残したいだけです」。世祖は笑い、鄧禹を泊まらせた。鄧禹は進んで説いた。「更始は関西に都していますが、いま山東はまだ安らかでない。赤眉や青犢の類は万を数え、三輔で称号を僭称する者があちこちで群れている。更始はまだ挫かれておらず、自分で裁こうとしない。諸将はみな凡人が成り上がった者で、志は財貨にあり、競って威力を使い、朝から晩まで自分が気持ちよくなるだけです。忠実で聡明で、深く慮り遠くを図り、主を尊び民を安んじようとする者ではない。四方が崩れ離れる形勢は見て取れます。明公が輔佐の功を立てても、なお成り立たないことを恐れます。いまの計としては、英雄を広く迎え、努めて人の心を喜ばせ、高祖の事業を立て、万人の命を救うことを知るに越したことはない。公がそう考えれば、天下は定めるに足りません」。
解説
この章句が説くこと
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