長短経 / 君徳
夫漢昭父非武王、母非邑姜、養惟蓋主、相則桀、光。保無仁孝之質、佐無隆平之治、所謂生於深宫之中、長於婦人之手。然而徳與性成、行與體并、在年二七、早知夙達、發燕書之詐、亮霍光之誠。豈將啟〈金縢信國史、而後乃寤哉?使成、昭鈞年而立、易世而化、貿臣而治、換樂而歌、則漢不獨少、周不獨多也。」
新字:夫漢昭父非武王、母非邑姜、養惟蓋主、相則桀、光。保無仁孝之質、佐無隆平之治、所謂生於深宮之中、長於婦人之手。然而徳与性成、行与体并、在年二七、早知夙達、発燕書之詐、亮霍光之誠。豈将啓〈金縢信国史、而後乃寤哉?使成、昭鈞年而立、易世而化、貿臣而治、換楽而歌、則漢不独少、周不独多也。」
書き下し
夫れ漢の昭は、父は武王に非ず、母は邑姜に非ず。養うは惟だ蓋主のみ、相は則ち桀・光なり。保に仁孝の質無く、佐に隆平の治無し。所謂深宮の中に生まれ、婦人の手に長ずるなり。然り而して徳は性と成り、行は体と并ぶ。年二七に在りて、早く夙達を知る。燕書の詐りを発き、霍光の誠を亮とす。豈に将に金縢を啓き国史を信じて、而る後に乃ち寤めんとするや。成・昭をして年を鈞しくして立ち、世を易えて化し、臣を貿えて治め、楽を換えて歌わしめば、則ち漢も独り少なからず、周も独り多からざらん」と。〔大将軍霍光及び上官桀、政を秉る。桀、光の寵を害し、之を誅せんと欲す。乃ち詐りて帝の兄燕旦の上書を為り、光の上林に行きて蹕を称する等の事を称す。帝、信ぜず。〕
現代語訳
漢の昭帝は、父は武王ではなく、母は邑姜ではない。養育したのは蓋長公主だけで、宰相は上官桀と霍光だった。守り役に仁孝の資質はなく、補佐に太平の治はなかった。いわゆる深宮のなかに生まれ、婦人の手で育ったのである。それでも徳は生まれつきと一体になり、行いは体と一つになっていた。十四歳にして、早くも先を見通していた。燕王の上書が偽物であることを見破り、霍光の誠を信じた。どうして金縢の箱を開き国史を見てはじめて目が覚める、などということがあろうか。もし成王と昭帝が同じ年で即位し、時代を入れ替えて教化し、臣下を取り替えて治め、音楽を換えて歌わせたなら、漢だけが少なく周だけが多い、ということにはならないだろう」。〔大将軍霍光と上官桀が政治を執っていた。上官桀は霍光の寵を妬み、これを誅そうとした。そこで帝の兄である燕王旦の上書を偽造し、霍光が上林苑で天子の行幸のように道を清めさせた、などと訴えた。帝は信じなかった。〕
解説

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