十善法語 / 仏教
十善法語(仏教)の名句を、現代語訳と実践の解説つきで。全609句。
江戸中期の真言宗の僧、慈雲尊者飲光(一七一八〜一八〇四)が、安永二年(一七七三)十一月から翌年四月にかけて、在家の人々に十善戒を説いた講話の筆録です。全十二巻。片仮名交じりの話し言葉のまま残されていて、「人ノ人タル道ハ。此十善ニ在シヤ」という第一声から始まります。十善とは、殺さない・盗まない・邪淫しない(身の三つ)、嘘をつかない・言葉を飾らない・悪口を言わない・二枚舌を使わない(口の四つ)、貪らない・怒らない・誤った見方をしない(意の三つ)の十です。尊者はこれを出家者のための特別な戒としてではなく、まず人が人であるための道として説き、菩薩の修行も仏の悟りもその延長にしかない、という順序を崩しません。一巻に一戒をあて、最後の不邪見戒だけは三巻を費やします。語り口は仏典にとどまりません。論語・孟子・史記・春秋左氏伝・老子から、律蔵の説話、日本の神道までを自在に引き、君臣・親子・夫婦・商い・医術・音楽と、暮らしと政治のあらゆる場面に十善を置いてみせます。怒りを向ける相手を一つずつ検討して「労シテ功ナキシヤ」と言い切る段、名前の格で中身を量る心を「名ニ着スル迷」と呼ぶ段など、今日の読者にそのまま届く言葉が多くあります。一方で、女性は従うことを道とする、業の報いとして病や障害を説くといった、当時の見方もそのまま含まれています。師導では訳を忠実にし、解説でそれを時代の中に置いています。底本は『日本大蔵経』第十五巻(一九二〇)所収の本文です。証人として明治の刊本三系統(明治十六〜十八年刊、二十五年刊、二十九年刊)と突き合わせました。底本のOCRは見開きの中で段の読み順を取り違える所があり、証人二点がそろって示す並びに文を置き直したうえで、底本の字がどの証人とも合わない所だけを直しました。明治刊本の表記(合字や濁点の有無、送り仮名)には合わせず、底本の表記を残しています。どうしても読めない字は□で示しました。師導では全十二巻を六百九の章句に収め、本文十七万六千八百五十六字の百パーセントを覆いました。学派は「仏教」に置いています。