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十善法語 / 巻第五・不綺語戒

如上且ツ絲竹管絃ヲ以テ誠ノ樂ニ比對シテ。其及フ所其及フ所ナラヌト云。元來道ニ高下ナシ。法ハ麁細ヲ絕スルナレハ。此絲竹管絃ヲ棄ヨト云デハナイ。是絲竹管絃モ古ノ聖賢ノ道ヲ寓スル器シヤ。黃帝ノ伶倫ニ命シテ六律六呂ヲ定メシト云。虛誕ニテモアルマシキソ。密教ノ中ニ。嬉鬘歌舞ノ菩薩アル。皆盧舍那ノ妙智印ト云。其跡ヨリ云ハ。總シテ聖賢ヲ除テ外ハ。皆氣質ニ偏ナル所アルト云コトシヤ。此偏ヲ解クハ。樂ヲ第一トス。此形アレハ此聲アル。此聲アレハ此感アル。聲韻ノ物ヲ感スルハ。至テ親シキモノシヤ。古ニ雅頌ノ音理リテ民正シク。噪□ノ聲興テ士奮ヒ。鄭衞ノ曲動テ心淫ストアル。五聲ヲ調テ過不及ノ氣質ヲ等クス。宗廟朝廷ノ威儀進退ヲ稱ハシメ。上下ノ情ヲ和スル。擴メテ云ハハ。此樂ニ由テ政治ヲ輔佐シ。陰陽五行ヲ調和スルモ。アルベキ理ゾ。孔子モ韶ヲ聞テ三月肉ノ味ヲ知ラストアル。佛法ノ中ニモ。馬鳴菩薩ガ和羅伎ヲ制ス。世人此聲韻ニ感シテ苦空無我ヲ覺リ。無漏道ノ因緣ニ成シトアル。此等ニ由テ見レハ。舞樂聲韻ノ中ニ。聖賢ノ地位ニモ至ルベキシヤ。

新字:如上且ツ糸竹管絃ヲ以テ誠ノ楽ニ比対シテ。其及フ所其及フ所ナラヌト云。元来道ニ高下ナシ。法ハ麁細ヲ絶スルナレハ。此糸竹管絃ヲ棄ヨト云デハナイ。是糸竹管絃モ古ノ聖賢ノ道ヲ寓スル器シヤ。黄帝ノ伶倫ニ命シテ六律六呂ヲ定メシト云。虚誕ニテモアルマシキソ。密教ノ中ニ。嬉鬘歌舞ノ菩薩アル。皆盧舎那ノ妙智印ト云。其跡ヨリ云ハ。総シテ聖賢ヲ除テ外ハ。皆気質ニ偏ナル所アルト云コトシヤ。此偏ヲ解クハ。楽ヲ第一トス。此形アレハ此声アル。此声アレハ此感アル。声韻ノ物ヲ感スルハ。至テ親シキモノシヤ。古ニ雅頌ノ音理リテ民正シク。噪□ノ声興テ士奮ヒ。鄭衛ノ曲動テ心淫ストアル。五声ヲ調テ過不及ノ気質ヲ等クス。宗廟朝廷ノ威儀進退ヲ称ハシメ。上下ノ情ヲ和スル。擴メテ云ハハ。此楽ニ由テ政治ヲ輔佐シ。陰陽五行ヲ調和スルモ。アルベキ理ゾ。孔子モ韶ヲ聞テ三月肉ノ味ヲ知ラストアル。仏法ノ中ニモ。馬鳴菩薩ガ和羅伎ヲ制ス。世人此声韻ニ感シテ苦空無我ヲ覚リ。無漏道ノ因縁ニ成シトアル。此等ニ由テ見レハ。舞楽声韻ノ中ニ。聖賢ノ地位ニモ至ルベキシヤ。

書き下し

如上且ツ糸竹管絃ヲ以テ誠ノ楽ニ比対シテ。其及フ所其及フ所ナラヌト云。元来道ニ高下ナシ。法ハ麁細ヲ絶スルナレハ。此糸竹管絃ヲ棄ヨト云デハナイ。是糸竹管絃モ古ノ聖賢ノ道ヲ寓スル器シヤ。黄帝ノ伶倫ニ命シテ六律六呂ヲ定メシト云。虚誕ニテモアルマシキソ。密教ノ中ニ。嬉鬘歌舞ノ菩薩アル。皆盧舎那ノ妙智印ト云。其跡ヨリ云ハ。総シテ聖賢ヲ除テ外ハ。皆気質ニ偏ナル所アルト云コトシヤ。此偏ヲ解クハ。楽ヲ第一トス。此形アレハ此声アル。此声アレハ此感アル。声韻ノ物ヲ感スルハ。至テ親シキモノシヤ。古ニ雅頌ノ音理リテ民正シク。噪□ノ声興テ士奮ヒ。鄭衛ノ曲動テ心淫ストアル。五声ヲ調テ過不及ノ気質ヲ等クス。宗廟朝廷ノ威儀進退ヲ称ハシメ。上下ノ情ヲ和スル。擴メテ云ハハ。此楽ニ由テ政治ヲ輔佐シ。陰陽五行ヲ調和スルモ。アルベキ理ゾ。孔子モ韶ヲ聞テ三月肉ノ味ヲ知ラストアル。仏法ノ中ニモ。馬鳴菩薩ガ和羅伎ヲ制ス。世人此声韻ニ感シテ苦空無我ヲ覚リ。無漏道ノ因縁ニ成シトアル。此等ニ由テ見レハ。舞楽声韻ノ中ニ。聖賢ノ地位ニモ至ルベキシヤ。

現代語訳

以上、しばらく糸竹管絃をまことの楽しみに比べ対して、それが及ぶところ、及ばないところを言った。もともと道に高下はなく、法は粗い細かいを絶したものであるから、この糸竹管絃を棄てよと言うのではない。この糸竹管絃も古の聖賢の道を託した器なのである。黄帝が伶倫に命じて六律六呂を定めさせたと言う。でたらめでもあるまい。密教の中に、嬉・鬘・歌・舞の菩薩がある。みな盧舎那仏の妙なる智慧の印と言う。その跡から言えば、総じて聖賢を除いてほかは、みな気質に偏ったところがあるということである。この偏りを解くには、音楽を第一とする。この形があればこの声がある。この声があればこの感応がある。声や響きが物を感じさせるのは、至って親しいものである。古に、雅頌の音が起こって民が正しくなり、激しい声が興って士が奮い立ち、鄭や衛の曲が動いて心が淫らになる、とある。五声を調えて、過不及の気質を等しくする。宗廟や朝廷の威儀進退をかなわせ、上下の情を和らげる。広げて言えば、この音楽によって政治を補佐し、陰陽五行を調和するのも、あるべき理である。孔子も韶を聞いて三か月肉の味を知らなかった、とある。仏法の中にも、馬鳴菩薩が和羅伎(頼吒和羅の曲)を作った。世の人がこの声の響きに感じて苦・空・無我を悟り、無漏の道の因縁となった、とある。これらによって見れば、舞楽や声の響きの中に、聖賢の地位にも至ることができるのである。

解説

ここで尊者は、比較のために糸竹管絃を下に置いてきたが、音楽そのものを捨てよと言うのではないと向きを変える。音楽は聖賢の道を託した器であり、人の気質の偏りを正すのに第一のものだという。雅頌の音で民が正しくなり鄭衛の音で心が乱れるという説は『礼記』楽記に、孔子が韶を聞いて三月肉の味を忘れた話は『論語』述而篇にある。馬鳴菩薩が作った曲を聞いて多くの人が無常を悟ったという伝承も引かれる。何を聞くかが心を形づくるという指摘は今も示唆に富む。

この章句が説くこと

音楽気質礼楽聖賢馬鳴孔子

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