十善法語 / 巻第十・不邪見戒之上
又一類世智辨聰ノ中ニ。此見處ノ者カアル。一切ノ法ハ有ト思ヘハ有シヤ。無ト思ヘハ無シヤ。一念心上ニ執着アレハ多生ノ生死ノ業トナル。好鉢ニ念ヲ殘セシ者カ餓鬼トナリ來テ鉢ヲ舐ル。瓜ヲ踏テ追悔セシ者カ惡趣ニ入テ蛙ニ責ラルル。一念心上ニ前後際斷スレハ。見聞覺知ノ境カ皆解脫知見トナリ來ル。本來無一物ノ處ニ地獄モナク天堂モナイ。三世不可得ノ場處ニ何ノ業カ有ルヘキト云。是モ麁相ニ聞ケハ。高キコト面白キコトノ樣ナレトモ。無理シヤ。前ノ鮑性泉ハ眞ノ道ニコソ遠ケレ。正直ニテヨキカ。此ハ一向ニ目ニ見シコトモナクテ。妄ニ言ヒ出スニ由テ。更ニ謬ル。志アラン人ハヨク思テ看ヨ。イカホトニ無ト思ヒ定ルトモ。目前ノ疊席柱天井障子カナクナル物ニ非ス。或ハイソ邊ノ石有テ船ヲ寄スルニ便ナラヌニ。此石ヲ無クスレハ世人渡海運送ノ助トナル故。無ト思テ無ニ成ルコトナラハ。無シテヤリタキモノナレトモ。サウナル物ナラス。
新字:又一類世智弁聰ノ中ニ。此見処ノ者カアル。一切ノ法ハ有ト思ヘハ有シヤ。無ト思ヘハ無シヤ。一念心上ニ執着アレハ多生ノ生死ノ業トナル。好鉢ニ念ヲ残セシ者カ餓鬼トナリ来テ鉢ヲ舐ル。瓜ヲ踏テ追悔セシ者カ悪趣ニ入テ蛙ニ責ラルル。一念心上ニ前後際断スレハ。見聞覚知ノ境カ皆解脱知見トナリ来ル。本来無一物ノ処ニ地獄モナク天堂モナイ。三世不可得ノ場処ニ何ノ業カ有ルヘキト云。是モ麁相ニ聞ケハ。高キコト面白キコトノ様ナレトモ。無理シヤ。前ノ鮑性泉ハ真ノ道ニコソ遠ケレ。正直ニテヨキカ。此ハ一向ニ目ニ見シコトモナクテ。妄ニ言ヒ出スニ由テ。更ニ謬ル。志アラン人ハヨク思テ看ヨ。イカホトニ無ト思ヒ定ルトモ。目前ノ畳席柱天井障子カナクナル物ニ非ス。或ハイソ辺ノ石有テ船ヲ寄スルニ便ナラヌニ。此石ヲ無クスレハ世人渡海運送ノ助トナル故。無ト思テ無ニ成ルコトナラハ。無シテヤリタキモノナレトモ。サウナル物ナラス。
書き下し
又一類世智弁聰ノ中ニ。此見処ノ者カアル。一切ノ法ハ有ト思ヘハ有シヤ。無ト思ヘハ無シヤ。一念心上ニ執着アレハ多生ノ生死ノ業トナル。好鉢ニ念ヲ残セシ者カ餓鬼トナリ来テ鉢ヲ舐ル。瓜ヲ踏テ追悔セシ者カ悪趣ニ入テ蛙ニ責ラルル。一念心上ニ前後際断スレハ。見聞覚知ノ境カ皆解脱知見トナリ来ル。本来無一物ノ処ニ地獄モナク天堂モナイ。三世不可得ノ場処ニ何ノ業カ有ルヘキト云。是モ麁相ニ聞ケハ。高キコト面白キコトノ様ナレトモ。無理シヤ。前ノ鮑性泉ハ真ノ道ニコソ遠ケレ。正直ニテヨキカ。此ハ一向ニ目ニ見シコトモナクテ。妄ニ言ヒ出スニ由テ。更ニ謬ル。志アラン人ハヨク思テ看ヨ。イカホトニ無ト思ヒ定ルトモ。目前ノ畳席柱天井障子カナクナル物ニ非ス。或ハイソ辺ノ石有テ船ヲ寄スルニ便ナラヌニ。此石ヲ無クスレハ世人渡海運送ノ助トナル故。無ト思テ無ニ成ルコトナラハ。無シテヤリタキモノナレトモ。サウナル物ナラス。
現代語訳
また、ある種の世俗の知恵に長け弁の立つ者の中に、こういう見方の者がいる。一切のものは、有ると思えば有るのであり、無いと思えば無いのである。一念の心に執着があれば、多くの生にわたる生死の業となる。良い鉢に思いを残した者が餓鬼となって来て鉢をなめ、瓜を踏んで後悔した者が悪趣に入って蛙に責められる。一念の心において前後の際を断ち切れば、見聞きし覚え知る境がみな解脱の知見となってくる。本来無一物のところには地獄もなく天堂もない。過去・現在・未来のいずれもとらえられないところに、何の業があろうか、と言う。これも粗く聞けば高尚で面白いことのようであるが、無理な話である。前の鮑性泉は、まことの道には遠いけれども、正直であるだけまだよい。こちらはまったく目に見たこともないのに、みだりに言い出すので、さらに誤っている。志ある人はよく考えてみなさい。どれほど無いと思い定めても、目の前の畳や柱や天井や障子がなくなるものではない。あるいは磯辺に石があって船を寄せるのに不便なところで、この石を無くせば世の人の渡海や運送の助けとなるのだから、無いと思って無くなるものなら無くしてやりたいものだが、そうなるものではない。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
論語・微子篇子路従いて後る。丈人の、杖を以て蓧を荷うに遇う。子路問いて曰く、「子、夫子を見たるか。」丈人曰く、「四体勤めず、五穀分たず。孰をか夫子と為す。」其の杖を植てて芸る。子路拱して立つ。子路を止めて宿らしめ、鶏を殺し黍を為りて之を食わしめ、其の二子を見えしむ。明日、子路行きて以て告ぐ。子曰く、「隠者なり。」子路をして反りて之を見しむ。至れば則ち行けり。子路曰く、「仕えざるは義無し。長幼の節、廃す可からざるなり。君臣の義、之を如何ぞ其れ廃せんや。其の身を潔くせんと欲して、大倫を乱る。君子の仕うるや、其の義を行うなり。道の行われざるは、已に之を知れり。」
-
『呻吟語』内篇・談道・理一にして氣・勢・利は三なり先天は、理のみ。後天は、氣のみ。天下は、勢のみ。人情は、利のみ。理は一にして、氣・勢・利は三なり。勝負知る可し。
-
『呻吟語』内篇・談道・氣は即ち是れ理なり宇宙の內、萬物を主張する底は只だ是れ一塊の氣なり。氣は即ち是れ理なり。理なる者は、氣の自然なる者なり。
-
『呻吟語』内篇・談道・互ひに其の根と爲るのみ周子の《太極圖》の第二の圈子は是れ陰を分かち陽を分かつにして、是れ陰に根ざし陽に根ざすには非ず。世間に這般の截然たる氣化沒く、都て是れ互ひに其の根と爲るのみ。
-
『韓非子』外儲說左上第三十二白馬は馬に非ざるを持するや、齊の稷下の辯者を服せり。白馬に乗りて關を過ぐれば、則ち白馬の賦を顧せらる。
-
論語・憲問篇子路、成人を問う。子曰く、「臧武仲の知、公綽の不欲、卞荘子の勇、冉求の芸の若き、之を文るに礼楽を以てせば、亦た以て成人と為す可し。」曰く、「今の成人なる者は、何ぞ必ずしも然らん。利を見ては義を思い、危うきを見ては命を授け、久要平生の言を忘れざれば、亦た以て成人と為す可し。」