十善法語 / 巻第八・不貪欲戒
佛法ノ中ニハ提婆達多ノ類シヤ。世尊ノ名稱ヲ嫉ミ自ラ思フ。釋迦ハ是淨飯王ノ子。我ハ是斛飯王ノ子。釋迦四月八日ニ誕生ス。我四月七日ニ誕生ス。釋迦三十二相ヲ具ス。我三十相ヲ具ス。釋迦六神通ヲ得タリ。我五神通ヲ得。其違ヒ幾カアル。シカルニ人間天上。釋迦ト聞ケハ禮拜供養ス。其言トコロ群類伏從ス。我ヲ見ルコト草芥ノ如シ。所有ノ言教モ人齒錄セス。譬テ云ハ。月ノ光ヲ失フハ日ノ光ニヨル。此釋迦世ニ在テ。我名聞利養ヲ失フト。コレヨリ世尊ヲ害シ奉ル心生シ。次第ニ增長シテ。終ニ其身ヲ失フタト云コトシヤ。此提婆達多ハ大菩薩ノ權ノ示現デモ有フガ。示現ト云モ。末世衆生ノ爲ノ示現ナレハ。是ヲ以テ人道ヲモ愼ミ。天命ニモ順シ。法性ニモ順スヘキコトシヤ。
新字:仏法ノ中ニハ提婆達多ノ類シヤ。世尊ノ名称ヲ嫉ミ自ラ思フ。釈迦ハ是浄飯王ノ子。我ハ是斛飯王ノ子。釈迦四月八日ニ誕生ス。我四月七日ニ誕生ス。釈迦三十二相ヲ具ス。我三十相ヲ具ス。釈迦六神通ヲ得タリ。我五神通ヲ得。其違ヒ幾カアル。シカルニ人間天上。釈迦ト聞ケハ礼拝供養ス。其言トコロ群類伏従ス。我ヲ見ルコト草芥ノ如シ。所有ノ言教モ人歯録セス。譬テ云ハ。月ノ光ヲ失フハ日ノ光ニヨル。此釈迦世ニ在テ。我名聞利養ヲ失フト。コレヨリ世尊ヲ害シ奉ル心生シ。次第ニ增長シテ。終ニ其身ヲ失フタト云コトシヤ。此提婆達多ハ大菩薩ノ権ノ示現デモ有フガ。示現ト云モ。末世衆生ノ為ノ示現ナレハ。是ヲ以テ人道ヲモ慎ミ。天命ニモ順シ。法性ニモ順スヘキコトシヤ。
書き下し
仏法ノ中ニハ提婆達多ノ類シヤ。世尊ノ名称ヲ嫉ミ自ラ思フ。釈迦ハ是浄飯王ノ子。我ハ是斛飯王ノ子。釈迦四月八日ニ誕生ス。我四月七日ニ誕生ス。釈迦三十二相ヲ具ス。我三十相ヲ具ス。釈迦六神通ヲ得タリ。我五神通ヲ得。其違ヒ幾カアル。シカルニ人間天上。釈迦ト聞ケハ礼拝供養ス。其言トコロ群類伏従ス。我ヲ見ルコト草芥ノ如シ。所有ノ言教モ人歯録セス。譬テ云ハ。月ノ光ヲ失フハ日ノ光ニヨル。此釈迦世ニ在テ。我名聞利養ヲ失フト。コレヨリ世尊ヲ害シ奉ル心生シ。次第ニ增長シテ。終ニ其身ヲ失フタト云コトシヤ。此提婆達多ハ大菩薩ノ権ノ示現デモ有フガ。示現ト云モ。末世衆生ノ為ノ示現ナレハ。是ヲ以テ人道ヲモ慎ミ。天命ニモ順シ。法性ニモ順スヘキコトシヤ。
現代語訳
仏法の中では、提婆達多の類である。世尊の名声を嫉んで、自ら思った。「釈迦は浄飯王の子である。私は斛飯王の子である。釈迦は四月八日に誕生した。私は四月七日に誕生した。釈迦は三十二相を具えている。私は三十相を具えている。釈迦は六神通を得た。私は五神通を得た。その違いはどれほどあろうか。それなのに人間界でも天上界でも、釈迦と聞けば礼拝供養する。その言う所には群れなす者が従う。私を見ることは草や塵あくたのようである。私の説く教えも、人は取り上げない。譬えて言えば、月が光を失うのは日の光による。この釈迦が世にいるので、私は名聞や利養を失うのだ」と。これより世尊を害し奉る心が生じ、次第に増長して、ついにその身を失ったということである。この提婆達多は、大菩薩の仮の示現であったかもしれないが、示現と言っても末世の衆生のための示現であるから、これによって人道をも慎み、天命にも従い、法性にも従うべきことである。
解説
この章句が説くこと
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