十善法語 / 巻第七・不兩舌戒
次問第三獨覺。仁者是誰。彼卽答曰。卿等頗聞婆羅症斯城有梵摩達多。皆答言。嘗聞。報言。其梵摩達多王我是。餘獨覺問曰。仁以何緣而作出家。梵摩授獨覺答言。我在王宮。時屬三春。百花敷榮。茂林清池。花鳥交映。孔雀鸚鵡鵝雁鴛鴦。雜類哀鳴。群飛合響。我時與宮人採女出遊芳苑。隨所周旋與諸採女觀娛嬉戲。甘美飯食疲乏面臥。宮人縱逸貪愛花果。見我眠。詣諸樹邊採花取菓。摧殘毀折。我時從睡眠起。見已情甚憂嘆。此樹向者花果茂盛。須臾間摧折盡。我身亦爾。世間亦爾。無常變壞此不須疑。世間言論唯惱身心。卽棄捨國位而作出家ト。此モ看ヨ。無佛世ニ出テ。無師自覺スルハ高遠ナルコトハ甚高遠ナレトモ。此花菓ノ無常ナルコトハ今日ノ者モ目ニフルルコトシヤ。諸法ノ常ナキコトモ解スレハ解シラルルコトシヤ。唯決徹セヌニ由テ。イツカイツマテモ凡夫地ニ居ルシヤ。若審諦思惟セハ。人人箇箇聖域ニ入モ遠クハアルマシキシヤ。
新字:次問第三独覚。仁者是誰。彼即答曰。卿等頗聞婆羅症斯城有梵摩達多。皆答言。嘗聞。報言。其梵摩達多王我是。余独覚問曰。仁以何縁而作出家。梵摩授独覚答言。我在王宮。時属三春。百花敷栄。茂林清池。花鳥交映。孔雀鸚鵡鵝雁鴛鴦。雑類哀鳴。群飛合響。我時与宮人採女出遊芳苑。随所周旋与諸採女観娯嬉戯。甘美飯食疲乏面臥。宮人縦逸貪愛花果。見我眠。詣諸樹辺採花取菓。摧残毀折。我時従睡眠起。見已情甚憂嘆。此樹向者花果茂盛。須臾間摧折尽。我身亦爾。世間亦爾。無常変壊此不須疑。世間言論唯悩身心。即棄捨国位而作出家ト。此モ看ヨ。無仏世ニ出テ。無師自覚スルハ高遠ナルコトハ甚高遠ナレトモ。此花菓ノ無常ナルコトハ今日ノ者モ目ニフルルコトシヤ。諸法ノ常ナキコトモ解スレハ解シラルルコトシヤ。唯決徹セヌニ由テ。イツカイツマテモ凡夫地ニ居ルシヤ。若審諦思惟セハ。人人箇箇聖域ニ入モ遠クハアルマシキシヤ。
書き下し
次問第三独覚。仁者是誰。彼即答曰。卿等頗聞婆羅症斯城有梵摩達多。皆答言。嘗聞。報言。其梵摩達多王我是。余独覚問曰。仁以何縁而作出家。梵摩授独覚答言。我在王宮。時属三春。百花敷栄。茂林清池。花鳥交映。孔雀鸚鵡鵝雁鴛鴦。雑類哀鳴。群飛合響。我時与宮人採女出遊芳苑。随所周旋与諸採女観娛嬉戯。甘美飯食疲乏面臥。宮人縦逸貪愛花果。見我眠。詣諸樹辺採花取菓。摧残毀折。我時従睡眠起。見已情甚憂嘆。此樹向者花果茂盛。須臾間摧折尽。我身亦爾。世間亦爾。無常変壊此不須疑。世間言論唯悩身心。即棄捨国位而作出家ト。此モ看ヨ。無仏世ニ出テ。無師自覚スルハ高遠ナルコトハ甚高遠ナレトモ。此花菓ノ無常ナルコトハ今日ノ者モ目ニフルルコトシヤ。諸法ノ常ナキコトモ解スレハ解シラルルコトシヤ。唯決徹セヌニ由テ。イツカイツマテモ凡夫地ニ居ルシヤ。若審諦思惟セハ。人人箇箇聖域ニ入モ遠クハアルマシキシヤ。
現代語訳
次に第三の独覚に問うた。あなたは誰か、と。彼は答えた。あなたがたは婆羅痆斯城に梵摩達多がいたことを聞いたことがあるか、と。皆答えた。かつて聞いたことがある、と。言った。その梵摩達多王とは私である、と。ほかの独覚たちが問うた。あなたは何の縁によって出家したのか、と。梵授独覚は答えた。私は王宮にいた。時は春三月、百の花が咲き誇り、茂った林と清らかな池、花と鳥とが照り映えていた。孔雀・鸚鵡・鵝鳥・雁・鴛鴦など、さまざまな鳥がさえずり、群れ飛んで声を合わせていた。私はそのとき宮女や采女と共に芳しい園に出遊し、巡るにつれて采女たちと見物し楽しみ戯れた。甘く美味しい飯食をとり、疲れて横になった。宮女たちは気ままに花や果実を貪り愛で、私が眠っているのを見て、樹々のそばに行き、花を摘み果実を取り、枝を傷め折り散らした。私はそのとき眠りから覚め、それを見て、心にひどく憂え嘆いた。この樹は先ほどまで花も果実も茂り盛んであったのに、わずかの間に折り尽くされた。私の身もまたこのようである。世間もまたこのようである。無常で変わり壊れること、これは疑うまでもない。世間の言論はただ身心を悩ますだけだ、と。すぐに国王の位を捨てて出家したのである、と。これも見よ。仏のいない世に出て、師なくしてみずから悟るのは、高遠なことは甚だ高遠であるけれども、この花や果実の無常であることは、今日の者も目に触れることである。諸法に常がないことも、理解しようとすれば理解できることである。ただ徹底しないために、いつまでも凡夫の境地にいるのである。もし詳しく明らかに思惟すれば、一人一人が聖者の境地に入るのも遠くはないはずである。
解説

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『十善法語』巻第七・不兩舌戒次問第四独覚。仁為是誰。答曰。卿等頗聞瓔珞城有壮勝王。答曰。曽聞。報言。其壮勝王我是。復問曰仁以何縁而作出家。壮勝独覚答曰。我昔在宮中情纏艶色。妖女囲繞。時厭衆多慣関。命一宮人侍側。此女人臂着種種瓔珞環釧。随動手時。其環釧互相擊触作関声響。命脱一脱二。衆多皆脱。唯留一釧。時寂然無声。我時見此事已。情生憂嘆。此非情頑物。且互相擊触。遂則作声。悩我耳門。況在諸欲之中豈得安静。遂命去女人。独在床上思惟。世人祇接並悩心識。無益我身。終譲国出家ト。看ヨ。衆多慣関ハ一侍者ニハ如ヌシヤ。一侍者ノ随従スルヨリ。独立無伴ハ勝ルシヤ。念ヲ弄シ智ヲ逞スルハ。絶学無為ニハ如ヌシヤ。彼此相対スレハ乖諍生スル。纔ニ取捨ニワタレバ身心ヲ悩乱スルシヤ。此中自ラ省察セヨ。一切事物到ル処ガ法ノ在処シヤ。
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『十善法語』巻第七・不兩舌戒看ヨ。鵄鳥ガ目ニハ。此一団ノ肉ハマコトニ味美好境シヤ。今日ノ人間ノ名利五欲大禄高位官爵ノ類モ。人間ノ目ニコソ好境界ナレトモ。諸天若ハ仏菩薩ノ眼ヨリ見レハ鵄ノ一団肉ヲ争フ如クシヤ。コレツレノコトモ決徹シテ疑ハヌ処ニ至レハ。一切ノ欲境ハ皆風前ノ塵シヤ。次問第二独覚。仁者是誰。彼即答曰。仁等頗聞醜面王不。答曰。嘗聞。報言。醜面王者我是。復問曰。仁者以何因縁而作出家。醜面独覚答曰。我在宮中。或時見二特牛逐一特牛共相觝触軀体傷損一牛角折退走而去。我既見已。情甚嗟嘆。而作是念。諸憂患貪欲為本。心為悩害。深生厭患。便即出家ト。此中前ノ鵄鳥ノ肉ヲ争フト。此犢牛ノ特牛ヲ争フト。所見ノ境界ハ相似タレトモ。杖瓶王ト醜面王トノ心ノ感ハ別シヤ。前ノ杖瓶王独覚ハ無益鎖細ノ事ニ苦ムコトヲ感シ。此醜面独覚ハ一切ノ苦ハ貪欲ヨリ起ルヲ嗟嘆ス。此貪欲ノ苦本ナルコトヲ決徹シテ知レバ。万境ハ自ラ解脱スルシヤ。
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『十善法語』巻第七・不兩舌戒要ヲ取テ云ハハ。二六時中生ヨリ死ニ至マテ法ヲ得ル時節シヤ。天文地理一切人事。禽獣草木ニ至マテ。ミナ全ク法ノ当相シヤ。縁ノアル処ハ此法ノアル処。法ノアル処ハ我得道ノアル処シヤ。有部律ノ中ニ。婆羅痆斯城有一陶師。於其作坊内有四人独覚。為求止宿。時諸大士前後而至。互不相知。時一独覚入火光定。遂即互見。共相問曰。仁者是誰。一人答曰。仁等聞杖瓶王耶。余独覚云。我等嘗聞。曰。其杖瓶王我是。余独覚問曰。仁者国都豊饒。人民熾盛。縁何事而作出家。杖瓶独覚答言。我昔嘗在高楼乃見鵄鳥持肉而飛。群類随従逓相争擊。前鵄鳥棄其肉。休高樹杪。安閑而住。其衆鳥共相牽掣。互擊傷苦。我見斯事。情生厭捨。作如是念。何用如此無益事。悉皆棄捨而為出家ト。
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『十善法語』巻第七・不兩舌戒杖瓶王ハ鵄カ法門トナリ来タ醜面王ハ牛ガ法門トナリ来ル。梵授王ハ華樹ガ法門トナリ来ル。此壮勝王ハ女人環釧ノ声カ法門トナリ来ツタシヤ。面白キコトシヤ。時此陶師ガ此四聖ノ縁事ヲ聞テ。国王尊貴ノ人タニ各各位ヲサリ出家ス。我コノ卑賤ノ業ヲナシ。一生マヌカレ得ヌ。誠ニ鵄ノ肉ヲ貪リ。牛ノ特牛ヲ争フニ異ナラスト思ヒ定テ。出家ノ志決定シタルトアル。此ガ大迦葉尊者ノ因位ナルト云コトシヤ。此四聖ノ境ニフレテ感アルモ。陶師ノ賢ヲ見テ斉シカランコトヲ思フモ。十善ノ法ヨリ見レハ。皆不両舌戒ノ儀シヤ。
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『十善法語』巻第十二・不邪見戒之下法有テ自心トナリ来ル。自心ヲ離レテ法ハナキシヤ。法全ケレハ自心全。自心全ケレハ法全キシヤ。諸仏世尊因地ノ所行。何事ヲ践行フコトソ。三乗ノ賢聖国城ヲ棄捨シ。王位ヲ棄捨シ。樹下ニ春秋ヲ送リ。石座上ニ身命ヲ終ル。何ヲ明了ニナサン為ソ。唯今日衆生現今ノ一念心ノミシヤ。此心中ニ三世アル。三世元来自心ニ相違セヌシヤ。此心中ニ十方アル。十方元来自心ニ相違セヌシヤ。此ニ由テ断見ハ外道ニ属スル。説似一物即不中シヤ。修証有テ染汚ナシ。此ニ由テ常見ハ外道ニ属スルシヤ。断常ノ二途ヲ超過シテ唯是平常心シヤ。一切智解ヲ超過シテ了了ト常ニ自ラ知ルシヤ。一切諸悪見趣。適然トシテ依リ処ナクナルシヤ。生ヲ他方ニ転シテ。来処モナク亦去処モナク。富万国ヲ有シテ。我モナク我所モナク。分別構造シテ。誠ニ断見ヲ起スニ起シ得ラレヌ時節ソ。分別構造シテ。誠ニ常見ヲ起スニ起シ得ラレヌ時節ソ。
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維摩経・觀眾生品第七(4)時に維摩詰の室に一の天女有り。諸の大人の説く所の法を聞くを見て、便ち其の身を現じ、即ち天華を以て諸の菩薩・大弟子の上に散ず。華、諸の菩薩に至れば即ち皆墮落し、大弟子に至れば便ち著きて墮ちず。一切の弟子、神力もて華を去らんとするも、去らしむること能わず。爾の時、天女、舎利弗に問う、何が故に華を去るや、と。答えて曰わく、此の華は法の如くならず、是を以て之を去る。天の曰わく、此の華を謂いて法の如くならずと為すこと勿かれ。所以は何ん。是の華は分別する所無し。仁者自ら分別の想を生ずるのみ。若し仏法に於いて出家して分別する所有らば、不如法と為す。若し分別する所無くんば、是れ則ち如法なり。諸の菩薩の華著かざるを観よ、已に一切の分別想を断ずるが故なり。譬えば人の畏るる時、非人其の便を得るが如し。是くの如く弟子は生死を畏るるが故に、色・声・香・味・触其の便を得るなり。已に畏れを離るる者には、一切の五欲能く為すこと無し。結習未だ尽きざれば、華身に著くのみ。結習尽くる者は、華著かざるなり。舎利弗の言わく、天、此の室に止まること、其れ已に久しきこと如何、と。答えて曰わく、我が此の室に止まること、耆年の解脱の如し。舎利弗の言わく、止まること此れ久しきか、と。天の曰わく、耆年の解脱も亦た何如ぞ久しからん。舎利弗、默然として答えず。天の曰わく、如何ぞ耆旧大智にして默するや、と。答えて曰わく、解脱とは言説する所無し、故に吾是に於いて云う所を知らず。天の曰わく、言説文字は皆解脱の相なり。所以は何ん。解脱とは内ならず外ならず、両間に在らず。文字も亦た内ならず外ならず、両間に在らず。是の故に舎利弗、文字を離れて解脱を説くこと無きなり。所以は何ん。一切の諸法は是れ解脱の相なればなり。舎利弗の言わく、復た婬・怒・癡を離るるを以て解脱と為さざるか、と。天の曰わく、仏は増上慢の人の為に、婬・怒・癡を離るるを解脱と説くのみ。若し増上慢無き者には、仏は婬・怒・癡の性は即ち是れ解脱なりと説く。舎利弗の言わく、善いかな善いかな、天女よ、汝何の得る所ありて、何を以て証と為して、辯の乃ち是くの如きや、と。天の曰わく、我れ得ること無く証すること無きが故に、辯是くの如し。所以は何ん。若し得ること有り証すること有らば、即ち仏法に於いて増上慢と為さん。