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十善法語 / 巻第十一・不邪見戒之中

此時中有滅シテ生有ト成リ來ル。此モ託胎ノ初ト。中有ノ終トカ同一相ニシテ。印子ノ泥ヲ印スル如クシヤ。印子ハ泥ニアラネトモ。印ニ由テ泥形カ定ル。中有ノ福德智慧。煩惱業相ヲ。取モナホサス此生有カ現スルシヤ。土泥ハ印子ニアラネトモ。印子ノ模樣ヲ其ママニウツシテ。少モ相違セヌシヤ。生有ノ煩惱智慧福德業相。皆中有ノ任持シ來ル通リシヤ。此中有ノ滅スルト生有ノ初トハ。全ク同一時テ。稱錘ノ低昂スルカ如ク。イツレヲ先トモイツレヲ後トモ云ヘカラスシヤ。前ノ死有ノ終ト中有ノ初ト。同一時同一相ニシテ。一ト云ヘカラス。異ト云ヘカラサル如ク。今ノ中有ノ終ト生有ノ初ト。同一時同一相ニシテ。一ト云ヘカラス。異ト云ヘカラスシヤ。

新字:此時中有滅シテ生有ト成リ来ル。此モ託胎ノ初ト。中有ノ終トカ同一相ニシテ。印子ノ泥ヲ印スル如クシヤ。印子ハ泥ニアラネトモ。印ニ由テ泥形カ定ル。中有ノ福徳智慧。煩悩業相ヲ。取モナホサス此生有カ現スルシヤ。土泥ハ印子ニアラネトモ。印子ノ模様ヲ其ママニウツシテ。少モ相違セヌシヤ。生有ノ煩悩智慧福徳業相。皆中有ノ任持シ来ル通リシヤ。此中有ノ滅スルト生有ノ初トハ。全ク同一時テ。称錘ノ低昂スルカ如ク。イツレヲ先トモイツレヲ後トモ云ヘカラスシヤ。前ノ死有ノ終ト中有ノ初ト。同一時同一相ニシテ。一ト云ヘカラス。異ト云ヘカラサル如ク。今ノ中有ノ終ト生有ノ初ト。同一時同一相ニシテ。一ト云ヘカラス。異ト云ヘカラスシヤ。

書き下し

此時中有滅シテ生有ト成リ来ル。此モ託胎ノ初ト。中有ノ終トカ同一相ニシテ。印子ノ泥ヲ印スル如クシヤ。印子ハ泥ニアラネトモ。印ニ由テ泥形カ定ル。中有ノ福徳智慧。煩悩業相ヲ。取モナホサス此生有カ現スルシヤ。土泥ハ印子ニアラネトモ。印子ノ模様ヲ其ママニウツシテ。少モ相違セヌシヤ。生有ノ煩悩智慧福徳業相。皆中有ノ任持シ来ル通リシヤ。此中有ノ滅スルト生有ノ初トハ。全ク同一時テ。称錘ノ低昂スルカ如ク。イツレヲ先トモイツレヲ後トモ云ヘカラスシヤ。前ノ死有ノ終ト中有ノ初ト。同一時同一相ニシテ。一ト云ヘカラス。異ト云ヘカラサル如ク。今ノ中有ノ終ト生有ノ初ト。同一時同一相ニシテ。一ト云ヘカラス。異ト云ヘカラスシヤ。

現代語訳

この時、中有は滅して生有となってくる。これも胎に宿る初めと中有の終わりとが同じ一つの姿であって、印子が泥に印するようなものである。印子は泥ではないけれども、印によって泥の形が定まる。中有の福徳・智慧・煩悩・業のありさまを、取りも直さずこの生有が現すのである。土や泥は印子ではないけれども、印子の模様をそのまま写して少しも違わないのである。生有の煩悩・智慧・福徳・業のありさまは、みな中有が保ち持って来たとおりである。この中有の滅することと生有の初めとは、まったく同じ一時であって、秤の竿と錘が上がり下がりするように、どちらを先ともどちらを後とも言えないのである。前の、死有の終わりと中有の初めとが同じ一時、同じ一つの姿であって、一つとも言えず異なるとも言えないように、今の中有の終わりと生有の初めとも、同じ一時、同じ一つの姿であって、一つとも言えず、異なるとも言えないのである。

解説

中有が終わって新たな生が始まる瞬間を、再び押し型と秤のたとえで説く段である。型は泥ではないが泥の形を決めるように、中有が運んできた福徳・智慧・煩悩・業の姿が、そのまま新しい生に写し取られる。中有の終わりと生の始まりは秤の上がり下がりのように同時で、どちらが先とも言えない。死から中有へ、中有から生へという二つの移行が、同じ構造で説かれている。尊者の生死論は、何かが移り住むのでもなく、途切れて無になるのでもない連続を示そうとしている。前の段階の在り方が次の段階の形を決めるという見方は、物事の移り変わりを考える一つの型になる。

この章句が説くこと

中有生有印子一異連続

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