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十善法語 / 巻第五・不綺語戒

農人商賈ハ詩賦文章モ天ノ分付スル樂テナイ。遊山玩水モ天ノ分付スル樂テナキシヤ。此四民ノ外ニ。醫者ノ天運ヲ察シ。時氣ヲ察シ。諸人ノ病苦ヲ助クル。樂其樂アルベキコトシヤ。絲竹管絃ヲ以テ比況シテ比況ナラハ。眞醫トハ許サレヌシヤ。韓愈カ巫醫樂師百工ノ人ハ君子ハ齒セスト云タカ。天竺國ニハ醫者ヲ重ンシテ士君子ノ列ニモ置クシヤ。醫者ニハ我命モ任スル。君父ノ命ヲモ任スル。諸ノ遊民弄臣トハ違フコトシヤ。佛經ノ中。藥師經ニ諸病悉除ノ願アル。首楞嚴經ニ藥王藥上ノ二大士分別味因從是開悟ストアル。菩薩所學處ニ醫方明トアル。外典ノ中。神農氏百草ヲ嘗テ始テ民ニ醫藥ヲ教トアル。誠ニ醫ハ聖賢大人ノ道ニカナフ。

新字:農人商賈ハ詩賦文章モ天ノ分付スル楽テナイ。遊山玩水モ天ノ分付スル楽テナキシヤ。此四民ノ外ニ。医者ノ天運ヲ察シ。時気ヲ察シ。諸人ノ病苦ヲ助クル。楽其楽アルベキコトシヤ。糸竹管絃ヲ以テ比況シテ比況ナラハ。真医トハ許サレヌシヤ。韓愈カ巫医楽師百工ノ人ハ君子ハ歯セスト云タカ。天竺国ニハ医者ヲ重ンシテ士君子ノ列ニモ置クシヤ。医者ニハ我命モ任スル。君父ノ命ヲモ任スル。諸ノ遊民弄臣トハ違フコトシヤ。仏経ノ中。薬師経ニ諸病悉除ノ願アル。首楞厳経ニ薬王薬上ノ二大士分別味因従是開悟ストアル。菩薩所学処ニ医方明トアル。外典ノ中。神農氏百草ヲ嘗テ始テ民ニ医薬ヲ教トアル。誠ニ医ハ聖賢大人ノ道ニカナフ。

書き下し

農人商賈ハ詩賦文章モ天ノ分付スル楽テナイ。遊山玩水モ天ノ分付スル楽テナキシヤ。此四民ノ外ニ。医者ノ天運ヲ察シ。時気ヲ察シ。諸人ノ病苦ヲ助クル。楽其楽アルベキコトシヤ。糸竹管絃ヲ以テ比況シテ比況ナラハ。真医トハ許サレヌシヤ。韓愈カ巫医楽師百工ノ人ハ君子ハ歯セスト云タカ。天竺国ニハ医者ヲ重ンシテ士君子ノ列ニモ置クシヤ。医者ニハ我命モ任スル。君父ノ命ヲモ任スル。諸ノ遊民弄臣トハ違フコトシヤ。仏経ノ中。薬師経ニ諸病悉除ノ願アル。首楞厳経ニ薬王薬上ノ二大士分別味因従是開悟ストアル。菩薩所学処ニ医方明トアル。外典ノ中。神農氏百草ヲ嘗テ始テ民ニ医薬ヲ教トアル。誠ニ医ハ聖賢大人ノ道ニカナフ。

現代語訳

農民や商人にとっては、詩賦や文章も天の分け与えた楽しみではない。山に遊び水を玩ぶのも天の分け与えた楽しみではないのである。この四民のほかに、医者が天の運行を察し、時候の気を察し、人々の病苦を助けることには、その楽しみがあるはずのことである。(その楽しみが)糸竹管絃にたとえてたとえられるようなものなら、真の医者とは認められないのである。韓愈は、巫・医・楽師・百工の人は君子が同列に扱わない、と言ったが、天竺国では医者を重んじて士君子の列にも置くのである。医者には自分の命も任せる。君や父の命をも任せる。諸々の遊び人や主君の玩弄の臣とは違うのである。仏経の中では、薬師経に諸病悉除の願がある。首楞厳経に、薬王・薬上の二大士が味の因を分別して、これより悟りを開いた、とある。菩薩の学ぶところに医方明がある、とある。外典の中では、神農氏が百草を嘗めて初めて民に医薬を教えた、とある。まことに医は聖賢大人の道にかなうものである。

解説

四民の外にある医者の道が語られる。農民や商人にとって詩文や遊山は本分の楽しみではない、と前置きしたうえで、医者は天運と時候を察して人の病苦を救う仕事で、その楽しみは音楽にたとえられるような浅いものではないとする。韓愈の「師説」には巫医楽師百工を君子が歯せずとあるが、尊者はインドで医者が重んじられることや、薬師如来の誓願、菩薩が学ぶ五明の一つである医方明を挙げて反論する。人の命を預かる仕事への深い敬意がうかがえる。

この章句が説くこと

医道慈悲菩薩本分薬師経韓愈

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