十善法語 / 巻第十・不邪見戒之上
又一類世智辨聰ノ者カ思惟度量シテ。此姿形ハ皮肉ヲ以テ虛空ヲ圍シモノ。内ニオノヅカラ天地ノ氣カ籠ル。是カ心トナル。天地ノ清氣ヲ禀シ者ハ聖人賢人トナリ。濁氣ヲ禀シ者ハ侫人愚人トナル。此清濁ノ別ハ有レトモ。天地ノ氣ニ相違ハナイ。若人カ死スレハ。此身ハ灰カ土カニ成テシマフ。身カ無クナリ已レハ。コノ一元氣依リ處ヲ失フテ。飄然トシテ風ノ通ル如ク。泯然トシテ烟ノ消ル如ク。跡カタモナクナルト思ヒ定ムル。次ニ此カ少シ巧ミナル斷見ト云モノシヤ。此ハ前ノ見處ト同シ樣ナレトモ。其差別アルシヤ。前ノ見處ハ。身死スル時其心直ニ無ナルニ極ル。此見處ハ。心ヲ天地ノ氣ト思ヘハ。元來形骸ノ外ニ心ヲ見ル故。身心同時ニ滅スルト定メ難イ。古戰場ナトニ鬼類ノアラハルル類ハ。勇者奮勵ノ氣ノシバシ散ゼヌト云ハネハナラヌ。此カ前ノ見處ト別ナル處シヤ。又元來氣ナレハ。終ニハ盡ルニ極マルト云ハネハナラヌ。此ニ至テハ前ノ見處ト同轍ニ落着スル。
新字:又一類世智弁聰ノ者カ思惟度量シテ。此姿形ハ皮肉ヲ以テ虚空ヲ囲シモノ。内ニオノヅカラ天地ノ気カ籠ル。是カ心トナル。天地ノ清気ヲ禀シ者ハ聖人賢人トナリ。濁気ヲ禀シ者ハ侫人愚人トナル。此清濁ノ別ハ有レトモ。天地ノ気ニ相違ハナイ。若人カ死スレハ。此身ハ灰カ土カニ成テシマフ。身カ無クナリ已レハ。コノ一元気依リ処ヲ失フテ。飄然トシテ風ノ通ル如ク。泯然トシテ烟ノ消ル如ク。跡カタモナクナルト思ヒ定ムル。次ニ此カ少シ巧ミナル断見ト云モノシヤ。此ハ前ノ見処ト同シ様ナレトモ。其差別アルシヤ。前ノ見処ハ。身死スル時其心直ニ無ナルニ極ル。此見処ハ。心ヲ天地ノ気ト思ヘハ。元来形骸ノ外ニ心ヲ見ル故。身心同時ニ滅スルト定メ難イ。古戦場ナトニ鬼類ノアラハルル類ハ。勇者奮励ノ気ノシバシ散ゼヌト云ハネハナラヌ。此カ前ノ見処ト別ナル処シヤ。又元来気ナレハ。終ニハ尽ルニ極マルト云ハネハナラヌ。此ニ至テハ前ノ見処ト同轍ニ落着スル。
書き下し
又一類世智弁聰ノ者カ思惟度量シテ。此姿形ハ皮肉ヲ以テ虚空ヲ囲シモノ。内ニオノヅカラ天地ノ気カ籠ル。是カ心トナル。天地ノ清気ヲ禀シ者ハ聖人賢人トナリ。濁気ヲ禀シ者ハ侫人愚人トナル。此清濁ノ別ハ有レトモ。天地ノ気ニ相違ハナイ。若人カ死スレハ。此身ハ灰カ土カニ成テシマフ。身カ無クナリ已レハ。コノ一元気依リ処ヲ失フテ。飄然トシテ風ノ通ル如ク。泯然トシテ烟ノ消ル如ク。跡カタモナクナルト思ヒ定ムル。次ニ此カ少シ巧ミナル断見ト云モノシヤ。此ハ前ノ見処ト同シ様ナレトモ。其差別アルシヤ。前ノ見処ハ。身死スル時其心直ニ無ナルニ極ル。此見処ハ。心ヲ天地ノ気ト思ヘハ。元来形骸ノ外ニ心ヲ見ル故。身心同時ニ滅スルト定メ難イ。古戦場ナトニ鬼類ノアラハルル類ハ。勇者奮励ノ気ノシバシ散ゼヌト云ハネハナラヌ。此カ前ノ見処ト別ナル処シヤ。又元来気ナレハ。終ニハ尽ルニ極マルト云ハネハナラヌ。此ニ至テハ前ノ見処ト同轍ニ落着スル。
現代語訳
また、ある種の世俗の知恵に長け弁の立つ者は、思い巡らし推し量って、こう考える。この姿形は、皮と肉で虚空を囲ったものである。その内側におのずから天地の気がこもる。これが心となる。天地の清らかな気を受けた者は聖人・賢人となり、濁った気を受けた者はねじけた人や愚かな人となる。この清濁の区別はあっても、天地の気であることに違いはない。もし人が死ねば、この身は灰か土かになってしまう。身が無くなってしまえば、この一つの元気はよりどころを失って、ふわりと風が通り過ぎるように、すっと煙が消えるように、跡形もなくなる、と思い定める。次に、これが少し巧妙な断見というものである。これは前の見方と同じようであるが、違いがあるのである。前の見方は、身が死ぬ時にその心もただちに無になると決めつける。この見方は、心を天地の気と思うので、もともと身体の外に心を見ているから、身と心が同時に滅びるとは定めにくい。古戦場などに霊が現れる類は、勇者の奮い立った気がしばらく散らないのだと言わなければならない。ここが前の見方と別なところである。しかし、もともと気であるから、ついには尽きるに決まっていると言わなければならない。ここに至っては、前の見方と同じ轍に落ち着くのである。
解説

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
関連する章句
-
『翁問答』上卷之末主君の臣下をさしつかふはたとへば磁石のはりをすふが如し火はかはけるにつき、水はうるおへるにながるゝことわりなれば、磁石のくろがねならではすはざる如く、主君の心とおなじき人ならではつかひ給はぬものなり、心の暗き主君は、何程よきさぶらいをあつめおきてもそれをばもちひず、只君の心にひとしく暗きくせものばかりをさしつかひ給ふものなり、しかるゆへによきさぶらいその家中にありてもなきに同じ、主君の心あきらかなれば、その心によく叶ひたるよき士ならではさしつかひ給はぬゆへにくせものも欲にふけり悪をはぢて、いつとなくよくなるものなればあしきくせもの其家中にありても、なきに等し、臣下のよきもあしきも国のみだるゝもおさまるも、畢竟主君の心ひとつにあり、まことにこゝろざしあるべき事にて候。
-
『驢鞍橋』卷中同録に。古人云く。心は万境に随つて転ず。転ずる処実に能く幽なり。流れに随つて性を認得すれば、喜も無く亦憂も無し。一僧云ふ、随流認得性と云ふは、人我を打つとも、腹たつ道理なし。欲心起るも、他の物を取るへき道理なしと、急度其性を認得する義なりや。師云はく、其義に非す。随流認得性と云ふは、ほしければとり、はれははつたまでよ、如是随流働き、万境に転したか、何ん共なき境界也。是れ凡夫心の沙汰に非す、熟した心の沙汰也。今様の誵訛さへ知りめされすと也。
-
『弁名』心志意孟子曰く、「其の心を尽くす者は其の性を知るなり」と。是れ其の心力を尽くして以て之を思ふを謂ふのみ。正に梁恵王の所謂「寡人の国に於けるや、心を尽くすのみ」と同意なり。但だ人思はざるのみ、之を思へば則ち能く性の善を知り、性の善を知れば則ち天道の善に与するを知ると言ふ。孟子の本意、是くの若きに過ぎず。宋儒先王の教法を識らず、故に論語・孟子の字面に就きて、以て学問の方を求め、遂に心を尽くすとは心の量を尽くすと謂ふ。妄なるかな。豈に所謂心の量なる者有らんや。仁斎先生曰く、「四端の心を拡充して其の極に至るを謂ふなり」と。果たして其の言の是ならんか、則ち当に其の性を知る者は其の心を尽くすと曰ふべし。其の言の倒置、豈に強ふるに非ずや。亦た聖人為らんと欲するが故のみ。
-
言志四録・言志録 第百九十八条 吾が心は即ち天なり此の心霊昭不昧、衆理具はり、万事出づ。果たして何に従りて之を得たるか。吾が生の前、此の心何処にか放在せし。吾が歿の後、此の心何処にか帰宿せん。果たして生歿有りや、無きや。着想此に到れば、凛凛として自ら惕る。吾が心は即ち天なり。
-
言志四録・言志録 第九十七条 心の来処は太虚目を挙ぐれば百物、皆来処有り。軀殻の父母より出づるも、亦来処なり。心に至りては則ち来処何くに在る。余曰く、軀殻は是れ地気の精英、父母に由りて之を聚む。心は則ち天なり。軀殻成りて天寓し、天寓して知覚生じ、天離れて知覚泯ぶ。心の来処は、乃ち太虚是れのみ。
-
『洗心洞箚記』卷下・第百一條小程子曰く、一人の心は、即ち天地の心なり。一物の理は、即ち万物の理なり。一日の運は、即ち一歳の運なり、と。吾姚江致良知の教を奉ずと雖も、二程子の説を以て徴と為すなり。而して伊川先生の此の語に於て、賜はる所甚だ少なからず。人如し能く心性を了すれば、則ち理と運も亦た心のみ、別物に非ざるなり。先生分別して之を説くは、童蒙の為のみ。