十善法語 / 巻第四・不妄語戒
緣事ヲ擧ハ。律ニ難陀王子其妃孫陀羅ト情愛至テ深シ。行住坐臥相離レサルコト鴛鴦ノ如シ。或時王子其妃ノタメニ眉ヲ畫ク。時ニ世尊其門首ニ至ル。難陀出ントス。妃ソノ袖ヲ執テ許サス。難陀曰。世尊來タマフ。出サルコトヲ得ス。妃云。爾ラハ我面上ノ粧ヒ未乾カヌ前ニ還入ヘシト。ソノ袖ヲ放ツテ世尊ニ見エシム。世尊誘引シテ大林精舍ニ至リ。汝出家スヘシト命ス。難陀王子出家ノ志ナケレトモ。面リ違スルコトアタハスシテ。出家ヲ肯ト。此類シヤ。又一切世間カ皆其言教ニ隨フトアル緣事ヲ擧ハ。山中ニ在テ師子カ出來シトキ。世尊ノ命ニ隨テ馴伏セシト。又世尊成道ノ後。波羅奈城ニ赴タマフトキ。心ナキ河水モ其言教ニ隨ヒ。中斷シテ兩邊ヘ分レシトアル。此類シヤ。
新字:縁事ヲ挙ハ。律ニ難陀王子其妃孫陀羅ト情愛至テ深シ。行住坐臥相離レサルコト鴛鴦ノ如シ。或時王子其妃ノタメニ眉ヲ画ク。時ニ世尊其門首ニ至ル。難陀出ントス。妃ソノ袖ヲ執テ許サス。難陀曰。世尊来タマフ。出サルコトヲ得ス。妃云。爾ラハ我面上ノ粧ヒ未乾カヌ前ニ還入ヘシト。ソノ袖ヲ放ツテ世尊ニ見エシム。世尊誘引シテ大林精舎ニ至リ。汝出家スヘシト命ス。難陀王子出家ノ志ナケレトモ。面リ違スルコトアタハスシテ。出家ヲ肯ト。此類シヤ。又一切世間カ皆其言教ニ随フトアル縁事ヲ挙ハ。山中ニ在テ師子カ出来シトキ。世尊ノ命ニ随テ馴伏セシト。又世尊成道ノ後。波羅奈城ニ赴タマフトキ。心ナキ河水モ其言教ニ随ヒ。中断シテ両辺ヘ分レシトアル。此類シヤ。
書き下し
縁事ヲ挙ハ。律ニ難陀王子其妃孫陀羅ト情愛至テ深シ。行住坐臥相離レサルコト鴛鴦ノ如シ。或時王子其妃ノタメニ眉ヲ画ク。時ニ世尊其門首ニ至ル。難陀出ントス。妃ソノ袖ヲ執テ許サス。難陀曰。世尊来タマフ。出サルコトヲ得ス。妃云。爾ラハ我面上ノ粧ヒ未乾カヌ前ニ還入ヘシト。ソノ袖ヲ放ツテ世尊ニ見エシム。世尊誘引シテ大林精舎ニ至リ。汝出家スヘシト命ス。難陀王子出家ノ志ナケレトモ。面リ違スルコトアタハスシテ。出家ヲ肯ト。此類シヤ。又一切世間カ皆其言教ニ随フトアル縁事ヲ挙ハ。山中ニ在テ師子カ出来シトキ。世尊ノ命ニ随テ馴伏セシト。又世尊成道ノ後。波羅奈城ニ赴タマフトキ。心ナキ河水モ其言教ニ随ヒ。中断シテ両辺ヘ分レシトアル。此類シヤ。
現代語訳
その因縁となった出来事を挙げれば、律に、難陀王子とその妃の孫陀羅は情愛がきわめて深く、行住坐臥に離れないことは鴛鴦のようであった。ある時、王子が妃のために眉を描いていた。その時、世尊がその門口に来られた。難陀は出ようとした。妃はその袖をつかんで許さなかった。難陀が言った。世尊が来られた。出ないわけにはいかない。妃が言った。それなら私の顔の化粧がまだ乾かないうちに戻って来てください、と。その袖を放して世尊にお目にかからせた。世尊は誘い導いて大林精舎に至り、お前は出家せよと命じられた。難陀王子は出家の志はなかったけれども、面と向かって背くことができずに、出家を承知した、と。この類である。また一切の世間がみなその言葉の教えに従う、とある因縁を挙げれば、山中にいて獅子が出て来た時、世尊の命に従って馴れ伏した、と。また世尊が成道の後、波羅奈城に赴かれた時、心のない河の水もその言葉の教えに従い、途中で断たれて両側へ分かれた、とある。この類である。
解説

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