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十善法語 / 巻第八・不貪欲戒

若佛身ノ影ヲアラハセハ此佛身カ大涅槃シヤ。解脫大海シヤ。若菩薩ノ身ヲアラハセハ。此菩薩ノ身カ大涅槃シヤ。解脫大海シヤ。若緣覺身聲聞身ヲアラハセハ。此緣覺身聲聞身カ大涅槃シヤ。解脫大海シヤ。若諸天ノ身ヲアラハセハ。此諸天身カ大涅槃シヤ。解脫大海シヤ。若人間身ヲアラハセハ。此人間ノ身大涅槃シヤ。解脫大海シヤ。若阿修羅身畜生身ヲアラハセハ。此阿修羅身畜生身大涅槃シヤ。解脫大海シヤ。若餓鬼地獄身ヲアラハセハ。此餓鬼地獄身直ニ大涅槃シヤ。解脫大海シヤ。此中ニ九界ノ迷情ヲ捨テテ。佛界ノ覺路ヲ取ント思ハハ。此影ヲ厭テ彼影ヲ捉ル如クシヤ。元來取ヘキコトモナケレハ。捨ヘキコトモナイ。厭フベキコトモナケレハ。求ムヘキコトモナイ。一切處一切時ニ唯此不貪欲戒相應スルシヤ。

新字:若仏身ノ影ヲアラハセハ此仏身カ大涅槃シヤ。解脱大海シヤ。若菩薩ノ身ヲアラハセハ。此菩薩ノ身カ大涅槃シヤ。解脱大海シヤ。若縁覚身声聞身ヲアラハセハ。此縁覚身声聞身カ大涅槃シヤ。解脱大海シヤ。若諸天ノ身ヲアラハセハ。此諸天身カ大涅槃シヤ。解脱大海シヤ。若人間身ヲアラハセハ。此人間ノ身大涅槃シヤ。解脱大海シヤ。若阿修羅身畜生身ヲアラハセハ。此阿修羅身畜生身大涅槃シヤ。解脱大海シヤ。若餓鬼地獄身ヲアラハセハ。此餓鬼地獄身直ニ大涅槃シヤ。解脱大海シヤ。此中ニ九界ノ迷情ヲ捨テテ。仏界ノ覚路ヲ取ント思ハハ。此影ヲ厭テ彼影ヲ捉ル如クシヤ。元来取ヘキコトモナケレハ。捨ヘキコトモナイ。厭フベキコトモナケレハ。求ムヘキコトモナイ。一切処一切時ニ唯此不貪欲戒相応スルシヤ。

書き下し

若仏身ノ影ヲアラハセハ此仏身カ大涅槃シヤ。解脱大海シヤ。若菩薩ノ身ヲアラハセハ。此菩薩ノ身カ大涅槃シヤ。解脱大海シヤ。若縁覚身声聞身ヲアラハセハ。此縁覚身声聞身カ大涅槃シヤ。解脱大海シヤ。若諸天ノ身ヲアラハセハ。此諸天身カ大涅槃シヤ。解脱大海シヤ。若人間身ヲアラハセハ。此人間ノ身大涅槃シヤ。解脱大海シヤ。若阿修羅身畜生身ヲアラハセハ。此阿修羅身畜生身大涅槃シヤ。解脱大海シヤ。若餓鬼地獄身ヲアラハセハ。此餓鬼地獄身直ニ大涅槃シヤ。解脱大海シヤ。此中ニ九界ノ迷情ヲ捨テテ。仏界ノ覚路ヲ取ント思ハハ。此影ヲ厭テ彼影ヲ捉ル如クシヤ。元来取ヘキコトモナケレハ。捨ヘキコトモナイ。厭フベキコトモナケレハ。求ムヘキコトモナイ。一切処一切時ニ唯此不貪欲戒相応スルシヤ。

現代語訳

もし仏身の影を現せば、この仏身が大涅槃である。解脱の大海である。もし菩薩の身を現せば、この菩薩の身が大涅槃である。解脱の大海である。もし縁覚の身・声聞の身を現せば、この縁覚の身・声聞の身が大涅槃である。解脱の大海である。もし諸天の身を現せば、この諸天の身が大涅槃である。解脱の大海である。もし人間の身を現せば、この人間の身が大涅槃である。解脱の大海である。もし阿修羅の身・畜生の身を現せば、この阿修羅の身・畜生の身が大涅槃である。解脱の大海である。もし餓鬼・地獄の身を現せば、この餓鬼・地獄の身がそのまま大涅槃である。解脱の大海である。この中で、九界の迷いの情を捨てて、仏界の悟りの路を取ろうと思うならば、この影を厭ってあの影を捉えるようなものである。元来、取るべきこともなければ、捨てるべきこともない。厭うべきこともなければ、求めるべきこともない。いつでもどこでも、ただこの不貪欲戒が相応するのである。

解説

仏から地獄までの十界のどの身として現れても、その身がそのまま大涅槃であり解脱の海だと、尊者は同じ句を繰り返して説く。迷いの九界を捨てて仏界だけを取ろうとするのは、一つの影を嫌って別の影をつかもうとするようなものだという。取捨を離れること自体が不貪欲戒の完成であり、悟りさえ欲の対象にしない、という徹底した視点である。今の自分の境遇を嫌って別の境遇を追う心の動きを、静かに見直させる一節である。

この章句が説くこと

十界涅槃取捨解脱不貪欲仏界

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