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十善法語 / 巻第七・不兩舌戒

第一戒和敬ト云ハ。滿分具足戒シヤ。此中ニハ。沙彌已下ハ僧ト名ツケヌ。小乘ノ中ニハ。大比丘具足戒。二百五十。三千威儀等ヲ以テ所學ノ法トスルシヤ。大乘法ノ中ハ。一切佛所制ノ律儀戒法ヲ以テ所學ノ法トスルシヤ。佛在世ノ文殊彌勒大迦葉阿難ヨリ末葉初受戒ノ比丘ニ至ルマテ。同一戒體。同一戒相シヤ。大小乘ノ異アレトモ。凡聖ノ別アレトモ。法界塵沙ノ善法ヲ以テ其體トスルコトハ一シヤ。此戒和敬ノ中ニ。布薩ト云コトガアルシヤ。此ハ半月半月ニトリ行フ法シヤ。梵網經ニ。我今半月半月自誦諸佛戒法。汝等一切發心菩薩。乃至十地諸菩薩亦誦ト云。此儀シヤ。布薩法ニ。凡聖同ク籌ヲ取ル偈ニ。羅漢聖僧衆。凡夫衆和合ト云。菩薩衆聲聞衆同ク所犯ヲ發露懺悔スル。瑜伽論ニ。應向有力於語表義能覺能受小乘大乘補特伽羅發露懺悔トアル。

新字:第一戒和敬ト云ハ。満分具足戒シヤ。此中ニハ。沙弥已下ハ僧ト名ツケヌ。小乗ノ中ニハ。大比丘具足戒。二百五十。三千威儀等ヲ以テ所学ノ法トスルシヤ。大乗法ノ中ハ。一切仏所制ノ律儀戒法ヲ以テ所学ノ法トスルシヤ。仏在世ノ文殊弥勒大迦葉阿難ヨリ末葉初受戒ノ比丘ニ至ルマテ。同一戒体。同一戒相シヤ。大小乗ノ異アレトモ。凡聖ノ別アレトモ。法界塵沙ノ善法ヲ以テ其体トスルコトハ一シヤ。此戒和敬ノ中ニ。布薩ト云コトガアルシヤ。此ハ半月半月ニトリ行フ法シヤ。梵網経ニ。我今半月半月自誦諸仏戒法。汝等一切発心菩薩。乃至十地諸菩薩亦誦ト云。此儀シヤ。布薩法ニ。凡聖同ク籌ヲ取ル偈ニ。羅漢聖僧衆。凡夫衆和合ト云。菩薩衆声聞衆同ク所犯ヲ発露懺悔スル。瑜伽論ニ。応向有力於語表義能覚能受小乗大乗補特伽羅発露懺悔トアル。

書き下し

第一戒和敬ト云ハ。満分具足戒シヤ。此中ニハ。沙弥已下ハ僧ト名ツケヌ。小乗ノ中ニハ。大比丘具足戒。二百五十。三千威儀等ヲ以テ所学ノ法トスルシヤ。大乗法ノ中ハ。一切仏所制ノ律儀戒法ヲ以テ所学ノ法トスルシヤ。仏在世ノ文殊弥勒大迦葉阿難ヨリ末葉初受戒ノ比丘ニ至ルマテ。同一戒体。同一戒相シヤ。大小乗ノ異アレトモ。凡聖ノ別アレトモ。法界塵沙ノ善法ヲ以テ其体トスルコトハ一シヤ。此戒和敬ノ中ニ。布薩ト云コトガアルシヤ。此ハ半月半月ニトリ行フ法シヤ。梵網経ニ。我今半月半月自誦諸仏戒法。汝等一切発心菩薩。乃至十地諸菩薩亦誦ト云。此儀シヤ。布薩法ニ。凡聖同ク籌ヲ取ル偈ニ。羅漢聖僧衆。凡夫衆和合ト云。菩薩衆声聞衆同ク所犯ヲ発露懺悔スル。瑜伽論ニ。応向有力於語表義能覚能受小乗大乗補特伽羅発露懺悔トアル。

現代語訳

第一の戒和敬というのは、完全に具わった具足戒である。この中では、沙弥以下は僧と名づけない。小乗の中では、大比丘の具足戒、二百五十戒、三千の威儀などを学ぶべき法とする。大乗の法の中では、一切の仏が制定した律儀戒の法を学ぶべき法とする。仏の在世の文殊・弥勒・大迦葉・阿難から、末世の初めて戒を受けた比丘に至るまで、同一の戒体、同一の戒相である。大乗小乗の違いはあっても、凡夫聖者の別はあっても、法界の塵や砂ほどの無数の善法をその本体とすることは一つである。この戒和敬の中に、布薩ということがある。これは半月ごとに執り行う法である。梵網経に、私は今、半月ごとにみずから諸仏の戒法を誦える。あなたがた一切の発心した菩薩たち、さらには十地の諸菩薩もまた誦える、という。このありさまである。布薩の法で、凡夫も聖者も同じく籌を取るときの偈に、阿羅漢の聖僧の衆も、凡夫の衆も和合する、という。菩薩衆も声聞衆も同じく犯したことを打ち明けて懺悔する。瑜伽論に、言葉で意味を表すことができ、よく理解しよく受け止める力のある小乗や大乗の人に向かって、打ち明けて懺悔すべきである、とある。

解説

六和敬の第一、戒和敬を説く。文殊や弥勒のような大菩薩から、昨日戒を受けたばかりの比丘まで、戒の本体も形も同一だという。その和合を具体的に保つ仕組みが布薩である。半月ごとに僧が集まって戒本を読み上げ、犯した過ちを打ち明けて懺悔する。出席を数えるための籌(竹の札)を、聖者も凡夫も同じく取る。立場の上下なく定期的に振り返り、過ちを言葉にして共有するという営みは、組織の定例の振り返りのあり方を考えるうえでも示唆に富む。

この章句が説くこと

戒和敬布薩懺悔具足戒梵網経凡聖

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