十善法語 / 巻第七・不兩舌戒
華嚴經ニ。兩舌ノ罪亦三惡道ニ墮セシムトアル。是ハ異熟果シヤ。若人中ニ生スレハ二種ノ果報ヲ得。一ニハ眷屬乖離シ。二ニハ親屬弊惡ナリトアル。是ハ等流果シヤ。蘇秦張儀ナトノ類ガ諸國ニ遊說シテ亂ヲオコス類。楚ノ費無極カ郤宛ニ甲兵ヲ門ニ□セテ。令尹子常ニ讒セル類。女人ノ中ニハ。鄭姬カ魏國ヨリオクリシ新人ニ鼻ヲ掩セテ刑ニ陷イレシ類。惡趣ノ異熟モ。親族弊惡ノ等流果モ。此兩舌戒ニアラハレネハナラヌ理シヤ。餘論ニ此餘業外ノ國土マデニ亘テ。五穀華果茂盛ナラス。道路ニ瓦礫嶮岨多キトアル。此ハ增上果シヤ。妄語綺語戒ニ準シテ。此兩舌モ身業意業ニ通スベシ。具ニ憶念セヨ。如上ノ四罪攝スレハ一ノ妄語ニ歸スル。優婆塞。優婆夷。律儀ノ中ニハ一ノ妄語ヲ立テ餘ノ三罪ヲ攝スル。此十善ノ法ハ具ニ開示シテ口ニ四罪ヲ分ツシヤ。要約シテ云ハハ。上來ヲ四重禁トス。
新字:華厳経ニ。両舌ノ罪亦三悪道ニ堕セシムトアル。是ハ異熟果シヤ。若人中ニ生スレハ二種ノ果報ヲ得。一ニハ眷属乖離シ。二ニハ親属弊悪ナリトアル。是ハ等流果シヤ。蘇秦張儀ナトノ類ガ諸国ニ遊説シテ乱ヲオコス類。楚ノ費無極カ郤宛ニ甲兵ヲ門ニ□セテ。令尹子常ニ讒セル類。女人ノ中ニハ。鄭姫カ魏国ヨリオクリシ新人ニ鼻ヲ掩セテ刑ニ陥イレシ類。悪趣ノ異熟モ。親族弊悪ノ等流果モ。此両舌戒ニアラハレネハナラヌ理シヤ。余論ニ此余業外ノ国土マデニ亘テ。五穀華果茂盛ナラス。道路ニ瓦礫嶮岨多キトアル。此ハ增上果シヤ。妄語綺語戒ニ準シテ。此両舌モ身業意業ニ通スベシ。具ニ憶念セヨ。如上ノ四罪摂スレハ一ノ妄語ニ帰スル。優婆塞。優婆夷。律儀ノ中ニハ一ノ妄語ヲ立テ余ノ三罪ヲ摂スル。此十善ノ法ハ具ニ開示シテ口ニ四罪ヲ分ツシヤ。要約シテ云ハハ。上来ヲ四重禁トス。
書き下し
華厳経ニ。両舌ノ罪亦三悪道ニ堕セシムトアル。是ハ異熟果シヤ。若人中ニ生スレハ二種ノ果報ヲ得。一ニハ眷属乖離シ。二ニハ親属弊悪ナリトアル。是ハ等流果シヤ。蘇秦張儀ナトノ類ガ諸国ニ遊説シテ乱ヲオコス類。楚ノ費無極カ郤宛ニ甲兵ヲ門ニ□セテ。令尹子常ニ讒セル類。女人ノ中ニハ。鄭姫カ魏国ヨリオクリシ新人ニ鼻ヲ掩セテ刑ニ陥イレシ類。悪趣ノ異熟モ。親族弊悪ノ等流果モ。此両舌戒ニアラハレネハナラヌ理シヤ。余論ニ此余業外ノ国土マデニ亘テ。五穀華果茂盛ナラス。道路ニ瓦礫嶮岨多キトアル。此ハ增上果シヤ。妄語綺語戒ニ準シテ。此両舌モ身業意業ニ通スベシ。具ニ憶念セヨ。如上ノ四罪摂スレハ一ノ妄語ニ帰スル。優婆塞。優婆夷。律儀ノ中ニハ一ノ妄語ヲ立テ余ノ三罪ヲ摂スル。此十善ノ法ハ具ニ開示シテ口ニ四罪ヲ分ツシヤ。要約シテ云ハハ。上来ヲ四重禁トス。
現代語訳
華厳経に、両舌の罪もまた三悪道に堕ちさせる、とある。これは異熟果である。もし人の中に生まれれば二種の果報を得る。一つには眷属が背き離れる。二つには親族が悪く劣っている、とある。これは等流果である。蘇秦や張儀などの類が諸国に遊説して乱を起こした類。楚の費無極が郤宛に甲冑と兵を門に□させて、令尹子常に讒言した類。女人の中では、鄭姫が魏国から送られた新しい美人に鼻を覆わせて刑に陥れた類。悪趣の異熟果も、親族が悪く劣る等流果も、この両舌戒に現れなければならない理である。ほかの論に、この余りの業が外の国土にまで及んで、五穀や花や果実が茂らず、道路に瓦礫や険しい所が多い、とある。これは増上果である。妄語戒・綺語戒に準じて、この両舌も身の業と意の業に通じるはずである。詳しく心にとどめよ。以上の四つの罪を収めれば一つの妄語に帰する。優婆塞・優婆夷の律儀の中では、一つの妄語を立てて、ほかの三つの罪を収める。この十善の法は詳しく開き示して、口に四つの罪を分けるのである。要約して言えば、これまで述べてきたものを四重禁とする。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
論語・憲問篇公伯寮、子路を季孫に愬う。子服景伯以て告げて曰く、「夫子固より公伯寮に惑志有り。吾が力猶お能く諸を市朝に肆さん。」子曰く、「道の将に行われんとするや、命なり。道の将に廃れんとするや、命なり。公伯寮其れ命を如何せん。」
-
『甲陽軍鑑』品第四十七長坂長閑·跡部大炊助申す、それはあの旁、信玄公御心をよく存ぜられずしてさやう也、あの曲淵ほどの者は旗本の事は申すに及ばず、甲州·信州·上州へかけては二千も三千もあらん、其上主又は寄親をさやうに悪口申す、頭の下知につかざるは大悪事なりとて、則ち長坂長閑·跡部大炊介御機嫌を見合せ、曲淵が板垣弥次郎へ雑言の次第申上る、信玄公聞し召しおほきにわらひ給ふ、
-
説苑・雜言祁射子、秦の惠王に見え、惠王之を說ぶ。是に於いて唐姑之を讒し、復た見ゆるに、惠王怒りを懷きて以て之を待つ。其の說く所異なるに非ざるなり、聽く所の易わればなり。故に徵を以て羽と為すは、絃の罪に非ざるなり。甘きを以て苦しと為すは、味を限るの過ちなり。
-
論語・顔淵篇子張、明を問う。子曰く、「浸潤の譖、膚受の愬、行われざれば、明と謂う可きのみ。浸潤の譖、膚受の愬、行われざれば、遠しと謂う可きのみ。」
-
『甲陽軍鑑』品第十三ある時両人談合して己々が所領を沢山にとらんと思ひ、扇谷殿へ申けるは、御台所入り是なくして事不弁にましますに、家老衆は江戸河越の国中に徘徊の儀、末の御代にはあの衆の子共扇谷御子孫へ敵対申、御子孫は公方のごとく成給ひ家老衆は両上杉殿御仕合に少シもたがひ申まじ、御分別有べき由申上る処に扇谷殿武州江戸太田道灌を召寄殺し給ふ、是を聞て残る上田·見田·荻谷を始め道灌が一類城主共のことは申に及ばず少しも身を持たる衆大形身がまへクチ〳〵をいたし居、
-
『甲陽軍鑑』品第四十七彼落合彥介が七十にあまる老母を、ほうこほつしが手にわたし籠のうちにて、せつしころされたるは名代のはぢにてはなきか、すでに其方をば信玄公御意に、曲淵にも年こそおとる共、武篇の事はおとる者にてはなきとの上意にて御座ありつるぞ、今ははや臆病者と仰出され候は、みな平三郎が御取成しあしき申なし故なり、我等親子いたし、よきやうに仕度存ずれ共、平三郎が其方ことざまに申上候へば何とも可然様無之候、如何やうなることにて其方は平三郎ににくまれ候や、貴殿事三法印へ対せられて定めて当年中は何事もこれあるまじきが、年あけばやがて大事なりとさま〳〵源五郎が申をしへ、