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十善法語 / 巻第一・不殺生戒

第八ニ大抵ハ平生足タモノシヤ。此人界ノ中ハ。酒食ニ敗ラルル者ハ十ニ五六有テ。飢テ死スル者ハ百千人ニ一人モ希レシヤ。患難困苦ニ死スル者ハ十ニ一二有テ。放逸懈怠ニ由テ死スル者ハ十ニ七八シヤ。マモリサヘスレハ大方ハ生涯全キシヤ。不貪欲戒ノ影ハ先カウシタコトシヤ。畜生ハ常ニ食ヲ求ルハカリテ。十ニ八九ハ足ラヌト云コトシヤ。祇耶多尊者カ衆ニ告テ。我過去多生犬ニ生ヲ受シトキ。唯兩度食ニ飽タト。佛語ニ畜生ハ飢火常ニ燃ルト有シヤ。貪欲業道ソノ影カクノ如クシヤ。厩ニ肥タル馬アリ。鷹鮮肉ニ飽ク類ハ。前ニ準シテ解セヨ。

新字:第八ニ大抵ハ平生足タモノシヤ。此人界ノ中ハ。酒食ニ敗ラルル者ハ十ニ五六有テ。飢テ死スル者ハ百千人ニ一人モ希レシヤ。患難困苦ニ死スル者ハ十ニ一二有テ。放逸懈怠ニ由テ死スル者ハ十ニ七八シヤ。マモリサヘスレハ大方ハ生涯全キシヤ。不貪欲戒ノ影ハ先カウシタコトシヤ。畜生ハ常ニ食ヲ求ルハカリテ。十ニ八九ハ足ラヌト云コトシヤ。祇耶多尊者カ衆ニ告テ。我過去多生犬ニ生ヲ受シトキ。唯両度食ニ飽タト。仏語ニ畜生ハ飢火常ニ燃ルト有シヤ。貪欲業道ソノ影カクノ如クシヤ。厩ニ肥タル馬アリ。鷹鮮肉ニ飽ク類ハ。前ニ準シテ解セヨ。

書き下し

第八ニ大抵ハ平生足タモノシヤ。此人界ノ中ハ。酒食ニ敗ラルル者ハ十ニ五六有テ。飢テ死スル者ハ百千人ニ一人モ希レシヤ。患難困苦ニ死スル者ハ十ニ一二有テ。放逸懈怠ニ由テ死スル者ハ十ニ七八シヤ。マモリサヘスレハ大方ハ生涯全キシヤ。不貪欲戒ノ影ハ先カウシタコトシヤ。畜生ハ常ニ食ヲ求ルハカリテ。十ニ八九ハ足ラヌト云コトシヤ。祇耶多尊者カ衆ニ告テ。我過去多生犬ニ生ヲ受シトキ。唯両度食ニ飽タト。仏語ニ畜生ハ飢火常ニ燃ルト有シヤ。貪欲業道ソノ影カクノ如クシヤ。厩ニ肥タル馬アリ。鷹鮮肉ニ飽ク類ハ。前ニ準シテ解セヨ。

現代語訳

第八に、大体は普段足りているものである。この人間界の中では、酒食に身を損なわれる者は十人に五、六人あって、飢えて死ぬ者は百人千人に一人もまれである。患難や困苦で死ぬ者は十人に一、二人あって、放逸や怠惰によって死ぬ者は十人に七、八人である。身を守りさえすれば、大方は生涯を全うするのである。不貪欲戒の影は、まずこうしたことである。畜生は常に食を求めてばかりいて、十に八、九は足りないということである。祇耶多尊者が大衆に告げて、「私は過去の多くの生で犬に生まれたとき、ただ二度だけ食に飽きた」と言った。仏の言葉に、「畜生は飢えの火が常に燃えている」とあるのである。貪欲の業道の影はこのようなのである。厩に肥えた馬がいる、鷹が新鮮な肉に飽きるといった類は、前に準じて理解しなさい。

解説

人の世では飢え死にする者はまれで、むしろ酒食の過ぎや放逸怠惰で身を損なう者が多い、という観察は鋭い。つまり人は大抵すでに足りているのであり、そこに不貪欲戒の影があるという。獣は常に飢えに追われ、多くの生を犬として過ごした祇耶多尊者でさえ満腹したのは二度だけだったという逸話が添えられる。足りないから苦しむのではなく、足りているのに過ぎることで損なう。現代の豊かな暮らしの中で、過食や過労、浪費で自分を損なっていないかを考えさせる。

この章句が説くこと

不貪欲知足放逸節制飢え畜生

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