十善法語 / 巻第五・不綺語戒
十善ノ繩墨ヲ以テ看レハ。此ハ宗周盛德ノ一事ト云ヘシ。忠臣ノ幼主ニ事フル。カク有ヘク。明君ノ諫ヲ用フル。カク有ヘキシヤ。凡德ヒトリ立セズ。輔助有テ成立スルシヤ。事自ラ成セス。緣助有テ成立スルシヤ。幼シテ邪僻ナラス。長シテ華奢ナラヌ。父母師傅ノ教導ソノ功少カラヌシヤ。唯國ニ直臣得難ク。家ニ良佐得難ク。賢聖トイヘトモ過モ有マシキモノテナイ。直言ヲ聞テ自ラ過ヲ知ヘク。過ヲ知テ改ルカ聖賢ノ志シヤ。
新字:十善ノ縄墨ヲ以テ看レハ。此ハ宗周盛徳ノ一事ト云ヘシ。忠臣ノ幼主ニ事フル。カク有ヘク。明君ノ諫ヲ用フル。カク有ヘキシヤ。凡徳ヒトリ立セズ。輔助有テ成立スルシヤ。事自ラ成セス。縁助有テ成立スルシヤ。幼シテ邪僻ナラス。長シテ華奢ナラヌ。父母師傅ノ教導ソノ功少カラヌシヤ。唯国ニ直臣得難ク。家ニ良佐得難ク。賢聖トイヘトモ過モ有マシキモノテナイ。直言ヲ聞テ自ラ過ヲ知ヘク。過ヲ知テ改ルカ聖賢ノ志シヤ。
書き下し
十善ノ縄墨ヲ以テ看レハ。此ハ宗周盛徳ノ一事ト云ヘシ。忠臣ノ幼主ニ事フル。カク有ヘク。明君ノ諫ヲ用フル。カク有ヘキシヤ。凡徳ヒトリ立セズ。輔助有テ成立スルシヤ。事自ラ成セス。縁助有テ成立スルシヤ。幼シテ邪僻ナラス。長シテ華奢ナラヌ。父母師傅ノ教導ソノ功少カラヌシヤ。唯国ニ直臣得難ク。家ニ良佐得難ク。賢聖トイヘトモ過モ有マシキモノテナイ。直言ヲ聞テ自ラ過ヲ知ヘク。過ヲ知テ改ルカ聖賢ノ志シヤ。
現代語訳
十善の規矩で見れば、これは周の盛んな徳の一つの事柄と言うべきである。忠臣が幼い君主に仕えるのはこうあるべきであり、明君が諫めを用いるのもこうあるべきである。およそ徳は独りでは立たない。助けがあって成り立つのである。事はひとりでに成らない。縁の助けがあって成り立つのである。幼くして邪にならず、長じて華美に流れないのは、父母や師傅(守り役)の教え導きの功が少なくないのである。ただ、国には直言する臣が得がたく、家には良い補佐が得がたい。聖賢といえども過ちがないわけではない。直言を聞いて自ら過ちを知り、過ちを知って改めるのが聖賢の志である。
解説

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