十善法語 / 巻第四・不妄語戒
史記ニ。吳ノ公子季札中國ニ使セシ時。初ニ徐ノ國ニ過ル。徐君季札カ佩タル劍ノ飾調セシヲ見テ。其色ニ求メ欲スル意顯ル。季札此ヲ知テ。劒ヲ與ル意アレトモ。中國ニ使スル時ナレハ。其言ニ發セスシテ去ル。其後中國ノ使ノ事已テ。復徐ニ過ル時。徐ノ君既ニ卒ス。季札ソノ墓處ニ往テ。樹枝ニ劒ヲ掛去シトアル。此等心ノ不妄語全キト云ヘキコトシヤ。女子ノ中ニハ。戰國ノ時。楚ノ昭王ノ寵姫。一人ヲ蔡姬ト云。一人ヲ越姫ト云。其中越姫カ事シヤ。昭王陣中ニ薨セシトキ。王ノ弟子閭。子西。子期等カ母誠アレハ子必ス仁アリト云テ。越姫ノ子熊章ヲ立テ楚王トシタ。是カ楚ノ惠王シヤトアル。此事實ハ。史記等ヲ看ヨ。
新字:史記ニ。呉ノ公子季札中国ニ使セシ時。初ニ徐ノ国ニ過ル。徐君季札カ佩タル剣ノ飾調セシヲ見テ。其色ニ求メ欲スル意顕ル。季札此ヲ知テ。劒ヲ与ル意アレトモ。中国ニ使スル時ナレハ。其言ニ発セスシテ去ル。其後中国ノ使ノ事已テ。復徐ニ過ル時。徐ノ君既ニ卒ス。季札ソノ墓処ニ往テ。樹枝ニ劒ヲ掛去シトアル。此等心ノ不妄語全キト云ヘキコトシヤ。女子ノ中ニハ。戦国ノ時。楚ノ昭王ノ寵姫。一人ヲ蔡姫ト云。一人ヲ越姫ト云。其中越姫カ事シヤ。昭王陣中ニ薨セシトキ。王ノ弟子閭。子西。子期等カ母誠アレハ子必ス仁アリト云テ。越姫ノ子熊章ヲ立テ楚王トシタ。是カ楚ノ恵王シヤトアル。此事実ハ。史記等ヲ看ヨ。
書き下し
史記ニ。吳ノ公子季札中国ニ使セシ時。初ニ徐ノ国ニ過ル。徐君季札カ佩タル剣ノ飾調セシヲ見テ。其色ニ求メ欲スル意顕ル。季札此ヲ知テ。劒ヲ与ル意アレトモ。中国ニ使スル時ナレハ。其言ニ発セスシテ去ル。其後中国ノ使ノ事已テ。復徐ニ過ル時。徐ノ君既ニ卒ス。季札ソノ墓処ニ往テ。樹枝ニ劒ヲ掛去シトアル。此等心ノ不妄語全キト云ヘキコトシヤ。女子ノ中ニハ。戦国ノ時。楚ノ昭王ノ寵姫。一人ヲ蔡姫ト云。一人ヲ越姫ト云。其中越姫カ事シヤ。昭王陣中ニ薨セシトキ。王ノ弟子閭。子西。子期等カ母誠アレハ子必ス仁アリト云テ。越姫ノ子熊章ヲ立テ楚王トシタ。是カ楚ノ恵王シヤトアル。此事実ハ。史記等ヲ看ヨ。
現代語訳
史記に、呉の公子季札が中原の国々に使いした時、初めに徐の国に立ち寄った。徐の君は季札が帯びている剣の飾りが整っているのを見て、その顔色に欲しいという気持ちが表れた。季札はこれを知って剣を与える気持ちはあったが、中原の国に使いする途中であったので、それを言葉に出さずに去った。その後、中原での使いの事が終わって再び徐に立ち寄った時、徐の君はすでに亡くなっていた。季札はその墓所に行き、木の枝に剣を掛けて去った、とある。これらは心の不妄語が全うされたと言うべきことである。女子の中では、戦国の時、楚の昭王の寵姫で、一人を蔡姫と言い、一人を越姫と言った。その中の越姫のことである。昭王が陣中で亡くなった時、王の弟の子閭・子西・子期らが、母に誠があれば子に必ず仁がある、と言って、越姫の子の熊章を立てて楚王とした。これが楚の恵王である、とある。この事実は史記などを見なさい。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『武士道』第六章 禮儀・誠を語ると礼を守ると試みに日本人に向ひ、誠を語ると、礼を守ると、いづれか重きやと問はば、彼れ必ずや、全く米人に相反するの辞を以て答とせんと云ふものあり。其説の当否はしばらく之を置き、次章『至誠』を説くの項下に於て、之に論及するものあらん。
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呂氏春秋・士容②齊に善く狗を相する者有り。其の鄰假いて以て鼠を取るの狗を買わんとす。期年にして乃ち之を得て、曰く、「是れ良狗なり。」其の鄰、之を畜うこと數年なれども、鼠を取らず。以て相する者に告ぐ。相する者曰く、「此れ良狗なり。其の志は獐麋豕鹿に在り、鼠に在らず。其の鼠を取らんことを欲せば、則ち之に桎せよ。」其の鄰、其の後ろ足に桎すれば、狗乃ち鼠を取る。夫れ驥驁の氣、鴻鵠の志、人心に諭らるる者有るは誠なればなり。人も亦た然り。誠之れ有れば則ち神、人に應ず。言豈に以て之を諭すに足らんや。此を不言の言と謂うなり。
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荀子・不苟篇君子の心を養うは誠より善きは莫し。誠を致さば則ち它事無し。唯だ仁のみ之れ守と為し、唯だ義のみ之れ行と為す。心を誠にして仁を守れば則ち形れ、形るれば則ち神なり、神なれば則ち能く化す。心を誠にして義を行なえば則ち理あり、理あれば則ち明らかなり、明らかなれば則ち能く変ず。変化代わる代わる興る、之を天徳と謂う。天は言わずして人は高きを推し、地は言わずして人は厚きを推し、四時は言わずして百姓は期す。夫れ此れ常有るは、其の誠を至せる者を以てなり。君子の至徳は、嘿然として喩り、未だ施さずして親しみ、怒らずして威あり。夫れ此れ命に順うは、其の独りを慎む者を以てなり。善の道を為すや、誠ならざれば則ち独ならず、独ならざれば則ち形れず、形れざれば則ち心に作り、色に見れ、言に出づと雖も、民は猶お未だ従わざるが若し。従うと雖も必ず疑う。天地は大と為すも、誠ならざれば則ち万物を化する能わず。聖人は知と為すも、誠ならざれば則ち万民を化する能わず。父子は親と為すも、誠ならざれば則ち疏し。君上は尊と為すも、誠ならざれば則ち卑し。夫れ誠なる者は、君子の守る所にして、政事の本なり。唯だ居る所にして其の類を以て至る。之を操れば則ち之を得、之を舎つれば則ち之を失う。操りて之を得れば則ち軽し、軽ければ則ち独行す。独行して舎てざれば、則ち済る。済りて材尽き、長く遷りて其の初めに反らざれば、則ち化す。
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言志四録・南洲手抄意の誠否は、須らく夢寐中の事に於て之を験すべし。
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論語・八佾篇祭ること在るが如く。神を祭ること神在るが如し。子曰く、『吾、祭に与らざれば、祭らざるが如し。』
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『武士道』第七章 至誠信實・礼に過ぐれば諂いとなる礼もし誠を欠かば諧謔となり、狂言となる。伊達政宗曰はく、『礼に過ぐれば諂ひとなる』と。又た菅公が誠の歌に、『心だに誠の道にかなひなば、祈らずとても神や守らん』とあるは、ポローニアスが、『自から已に誠なるべし。さらば人に誠無き能はず』との訓言に比するに、義はなはだ深し。子思は『中庸』に於て誠を崇め、之れに超自然力を帰し、而も殆ど其力を神明と同視す。『誠は物の終始なり。誠ならざれば物無し。是の故に君子は之を誠にするを貴しと為す』と曰ひ、且つ流麗快達の弁を以て、至誠息むこと無く、悠遠博厚、又た高明、動かさずして変じ、無為にして成すと説く。其旨の深玄にして神秘の妙域に騁するより、人の或は『誠』の一字を解けば、『言』と、完全の義ある『成』との二字より成れるを以て、之を新プラトン学説の『ロゴス』(道)に比儔せんとすることあり。