十善法語 / 巻第五・不綺語戒
要ヲ取テ云ハ。諸法ノ其アリ姿ノ改ラス變セス。飾ラス違ハザルヲ。此中ニ不綺語戒ノ相ト名ツク。一法性カ天地トナリ來レハ。天象地理カ分ル。一法性カ人トナリ來レバ。此人道ガアル。衆星分野亂レス。日月出沒ス。天ノアリ姿カクシヤ。海水外ニ環リ。山嶽内ニ聳ユ。泉源地脈條然トシテ亂レヌ。地ノアリ姿カクシヤ眼橫鼻直。手ニ執捉シ。足ニ運奔ス。人ノアリ姿カクシヤ。此中ニ此道アル。無ト云レヌシヤ。身ノ有ベキ道ニ背クヲ身綺ト云。口ノ有ベキ道ニ違ヲ口綺ト云シヤ。華嚴經ニ。綺語ノ罪。衆生ヲシテ三惡道ニ墮セシムトアル。此ヲ異熟果ト名ツク。惡趣ヲ出テテ。タマタマ人間ニ生スルモ。性輕躁ニシテ威光ナシトアル。多ク人ノアザケリ侮リヲ受ルトアル。此等ヲ等流果ト云。餘ノ經論ニ。官人ナレハ位ヲ失ヒ。商賈ナレバ利ヲ失フトアル。此類ヲ增上果ト名ツク。
新字:要ヲ取テ云ハ。諸法ノ其アリ姿ノ改ラス変セス。飾ラス違ハザルヲ。此中ニ不綺語戒ノ相ト名ツク。一法性カ天地トナリ来レハ。天象地理カ分ル。一法性カ人トナリ来レバ。此人道ガアル。衆星分野乱レス。日月出没ス。天ノアリ姿カクシヤ。海水外ニ環リ。山嶽内ニ聳ユ。泉源地脈条然トシテ乱レヌ。地ノアリ姿カクシヤ眼横鼻直。手ニ執捉シ。足ニ運奔ス。人ノアリ姿カクシヤ。此中ニ此道アル。無ト云レヌシヤ。身ノ有ベキ道ニ背クヲ身綺ト云。口ノ有ベキ道ニ違ヲ口綺ト云シヤ。華厳経ニ。綺語ノ罪。衆生ヲシテ三悪道ニ堕セシムトアル。此ヲ異熟果ト名ツク。悪趣ヲ出テテ。タマタマ人間ニ生スルモ。性軽躁ニシテ威光ナシトアル。多ク人ノアザケリ侮リヲ受ルトアル。此等ヲ等流果ト云。余ノ経論ニ。官人ナレハ位ヲ失ヒ。商賈ナレバ利ヲ失フトアル。此類ヲ增上果ト名ツク。
書き下し
要ヲ取テ云ハ。諸法ノ其アリ姿ノ改ラス変セス。飾ラス違ハザルヲ。此中ニ不綺語戒ノ相ト名ツク。一法性カ天地トナリ来レハ。天象地理カ分ル。一法性カ人トナリ来レバ。此人道ガアル。衆星分野乱レス。日月出没ス。天ノアリ姿カクシヤ。海水外ニ環リ。山嶽内ニ聳ユ。泉源地脈条然トシテ乱レヌ。地ノアリ姿カクシヤ眼横鼻直。手ニ執捉シ。足ニ運奔ス。人ノアリ姿カクシヤ。此中ニ此道アル。無ト云レヌシヤ。身ノ有ベキ道ニ背クヲ身綺ト云。口ノ有ベキ道ニ違ヲ口綺ト云シヤ。華厳経ニ。綺語ノ罪。衆生ヲシテ三悪道ニ堕セシムトアル。此ヲ異熟果ト名ツク。悪趣ヲ出テテ。タマタマ人間ニ生スルモ。性軽躁ニシテ威光ナシトアル。多ク人ノアザケリ侮リヲ受ルトアル。此等ヲ等流果ト云。余ノ経論ニ。官人ナレハ位ヲ失ヒ。商賈ナレバ利ヲ失フトアル。此類ヲ增上果ト名ツク。
現代語訳
要点を取って言えば、諸法のそのありのままの姿が改まらず、変わらず、飾らず、違わないのを、ここでは不綺語戒の相と名づける。一つの法性が天地となってくれば、天の象と地の理とが分かれる。一つの法性が人となってくれば、この人の道がある。多くの星の分野は乱れず、日月は出入りする。天のありのままの姿はこのようである。海水は外を巡り、山岳は内にそびえる。泉の源や地の脈ははっきりとして乱れない。地のありのままの姿はこのようである。目は横に鼻は縦に、手は物をつかみ、足は歩み走る。人のありのままの姿はこのようである。この中にこの道がある。無いとは言えないのである。身のあるべき道に背くのを身綺と言い、口のあるべき道に違うのを口綺と言うのである。華厳経に、綺語の罪は衆生を三悪道に堕とさせる、とある。これを異熟果と名づける。悪趣を出て、たまたま人間に生まれても、性質が軽はずみで威光がない、とある。多く人の嘲りや侮りを受ける、とある。これらを等流果と言う。ほかの経論に、役人であれば位を失い、商人であれば利を失う、とある。この類を増上果と名づける。
解説
この章句が説くこと
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