十善法語 / 巻第四・不妄語戒
眞正ニ此戒ヲ護持スル者ハ。思コト言ヘク。言コト必行ヘク。身口相應シ。內心亦異ナキ。此ヲ三業ノ不妄語ト云。此中一二ノ事例ヲ擧ハ。公羊傳等ノ中ニ。楚ノ莊王宋ヲ圍テ五月ヲ經。時ニ軍中唯七日ノ糧アリ。城中モ糧盡ク。楚王カ司馬子反ニ命シテ。堙ニ乘シテ城中ヲ窺フ。宋ノ大夫華元カ堙ニ乘シテ此ニ對ス。子反問フ。城中イカナルト。華元答。憊レタリ。糧旣ニ盡。子ヲ易テ食シ。體ヲ折テ炊ト。子反云。子何ノ情ナル。華元曰。君子ハ人ノ厄ヲ矜ム。小人ハ人ノ厄ヲ幸トスト。子反云。子ソレツトメヨ。我軍中モ七日ノ糧アルノミト。此ヲ莊王ニ告ク。莊王怒曰。子ナンソ我軍ノ虛實ヲ敵ニ告ル。子反曰。宋ノ小國スラ猶欺サルノ臣有。楚ノ大國ナル誠アル臣ナクテハ恥ベキコトト。莊王モ此言ニ感シテ兵ヲ止去ルト。此トキ楚ノ軍モ宋ノ城モ全クシタハ。兩大夫ノ誠言故ト云コトシヤ。
新字:真正ニ此戒ヲ護持スル者ハ。思コト言ヘク。言コト必行ヘク。身口相応シ。内心亦異ナキ。此ヲ三業ノ不妄語ト云。此中一二ノ事例ヲ挙ハ。公羊伝等ノ中ニ。楚ノ荘王宋ヲ囲テ五月ヲ経。時ニ軍中唯七日ノ糧アリ。城中モ糧尽ク。楚王カ司馬子反ニ命シテ。堙ニ乗シテ城中ヲ窺フ。宋ノ大夫華元カ堙ニ乗シテ此ニ対ス。子反問フ。城中イカナルト。華元答。憊レタリ。糧既ニ尽。子ヲ易テ食シ。体ヲ折テ炊ト。子反云。子何ノ情ナル。華元曰。君子ハ人ノ厄ヲ矜ム。小人ハ人ノ厄ヲ幸トスト。子反云。子ソレツトメヨ。我軍中モ七日ノ糧アルノミト。此ヲ荘王ニ告ク。荘王怒曰。子ナンソ我軍ノ虚実ヲ敵ニ告ル。子反曰。宋ノ小国スラ猶欺サルノ臣有。楚ノ大国ナル誠アル臣ナクテハ恥ベキコトト。荘王モ此言ニ感シテ兵ヲ止去ルト。此トキ楚ノ軍モ宋ノ城モ全クシタハ。両大夫ノ誠言故ト云コトシヤ。
書き下し
真正ニ此戒ヲ護持スル者ハ。思コト言ヘク。言コト必行ヘク。身口相応シ。内心亦異ナキ。此ヲ三業ノ不妄語ト云。此中一二ノ事例ヲ挙ハ。公羊伝等ノ中ニ。楚ノ荘王宋ヲ囲テ五月ヲ経。時ニ軍中唯七日ノ糧アリ。城中モ糧尽ク。楚王カ司馬子反ニ命シテ。堙ニ乗シテ城中ヲ窺フ。宋ノ大夫華元カ堙ニ乗シテ此ニ対ス。子反問フ。城中イカナルト。華元答。憊レタリ。糧既ニ尽。子ヲ易テ食シ。体ヲ折テ炊ト。子反云。子何ノ情ナル。華元曰。君子ハ人ノ厄ヲ矜ム。小人ハ人ノ厄ヲ幸トスト。子反云。子ソレツトメヨ。我軍中モ七日ノ糧アルノミト。此ヲ荘王ニ告ク。荘王怒曰。子ナンソ我軍ノ虚実ヲ敵ニ告ル。子反曰。宋ノ小国スラ猶欺サルノ臣有。楚ノ大国ナル誠アル臣ナクテハ恥ベキコトト。荘王モ此言ニ感シテ兵ヲ止去ルト。此トキ楚ノ軍モ宋ノ城モ全クシタハ。両大夫ノ誠言故ト云コトシヤ。
現代語訳
真正にこの戒を護持する者は、思うことを言うことができ、言うことを必ず行うことができ、身と口が相応し、内なる心もまた異なることがない。これを三業の不妄語と言う。この中から一、二の事例を挙げれば、公羊伝などの中に、楚の荘王が宋を包囲して五か月を経た。その時、軍中にはただ七日分の食糧があるだけだった。城中も食糧が尽きていた。楚王は司馬の子反に命じて、土塁に登って城中をうかがわせた。宋の大夫華元が土塁に登ってこれに向き合った。子反が問うた。城中はどうか、と。華元が答えた。疲れ果てている。食糧はすでに尽き、子を取り替えて食べ、骨を割って炊いている、と。子反が言った。あなたはなぜ実情を明かすのか。華元が言った。君子は人の苦難を哀れむ。小人は人の苦難を幸いとする、と。子反が言った。あなたは努めよ。我が軍中も七日分の食糧があるだけだ、と。これを荘王に告げた。荘王は怒って言った。お前はなぜ我が軍の実情を敵に告げたのか。子反が言った。宋のような小国でさえ、なお欺かない臣がいます。楚のような大国に誠のある臣がいなくては恥ずべきことです、と。荘王もこの言葉に感じて、兵を止めて去ったと。この時、楚の軍も宋の城も無事であったのは、二人の大夫の誠の言葉のためだということである。
解説
この章句が説くこと
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『武士道』第六章 禮儀・誠を語ると礼を守ると試みに日本人に向ひ、誠を語ると、礼を守ると、いづれか重きやと問はば、彼れ必ずや、全く米人に相反するの辞を以て答とせんと云ふものあり。其説の当否はしばらく之を置き、次章『至誠』を説くの項下に於て、之に論及するものあらん。
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呂氏春秋・士容②齊に善く狗を相する者有り。其の鄰假いて以て鼠を取るの狗を買わんとす。期年にして乃ち之を得て、曰く、「是れ良狗なり。」其の鄰、之を畜うこと數年なれども、鼠を取らず。以て相する者に告ぐ。相する者曰く、「此れ良狗なり。其の志は獐麋豕鹿に在り、鼠に在らず。其の鼠を取らんことを欲せば、則ち之に桎せよ。」其の鄰、其の後ろ足に桎すれば、狗乃ち鼠を取る。夫れ驥驁の氣、鴻鵠の志、人心に諭らるる者有るは誠なればなり。人も亦た然り。誠之れ有れば則ち神、人に應ず。言豈に以て之を諭すに足らんや。此を不言の言と謂うなり。
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荀子・不苟篇君子の心を養うは誠より善きは莫し。誠を致さば則ち它事無し。唯だ仁のみ之れ守と為し、唯だ義のみ之れ行と為す。心を誠にして仁を守れば則ち形れ、形るれば則ち神なり、神なれば則ち能く化す。心を誠にして義を行なえば則ち理あり、理あれば則ち明らかなり、明らかなれば則ち能く変ず。変化代わる代わる興る、之を天徳と謂う。天は言わずして人は高きを推し、地は言わずして人は厚きを推し、四時は言わずして百姓は期す。夫れ此れ常有るは、其の誠を至せる者を以てなり。君子の至徳は、嘿然として喩り、未だ施さずして親しみ、怒らずして威あり。夫れ此れ命に順うは、其の独りを慎む者を以てなり。善の道を為すや、誠ならざれば則ち独ならず、独ならざれば則ち形れず、形れざれば則ち心に作り、色に見れ、言に出づと雖も、民は猶お未だ従わざるが若し。従うと雖も必ず疑う。天地は大と為すも、誠ならざれば則ち万物を化する能わず。聖人は知と為すも、誠ならざれば則ち万民を化する能わず。父子は親と為すも、誠ならざれば則ち疏し。君上は尊と為すも、誠ならざれば則ち卑し。夫れ誠なる者は、君子の守る所にして、政事の本なり。唯だ居る所にして其の類を以て至る。之を操れば則ち之を得、之を舎つれば則ち之を失う。操りて之を得れば則ち軽し、軽ければ則ち独行す。独行して舎てざれば、則ち済る。済りて材尽き、長く遷りて其の初めに反らざれば、則ち化す。
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言志四録・南洲手抄意の誠否は、須らく夢寐中の事に於て之を験すべし。
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