十善法語 / 巻第七・不兩舌戒
又世ノ變事ノ變ニテ國ノ亂レタルトキ。撥亂ノ主。智謀ノ士ガ軍中ノ計略ニ。或ハ離間シ。或ハ反間ヲ行フ。是モ違犯テハナイ。齊ノ田單カ惠王ニ樂毅ヲ疑ハセテ。燕ノ兵ヲ退ケ。漢高祖ノ陳平カ謀ヲ用ヒテ。項羽ニ范增ヲ疑ハセテ。楚ヲ破タ類シヤ。若他ノ反間ニ墮ルモ。此戒全カラヌ罪ヲ知ルベキシヤ。治世ニハ。祿利名稱ヲ貪ル者ガ。其近キ處ニ託シテ。讒ヲ構ヘ僞ヲ賣ル。亂世ニハ。智謀ノ士ガ種種ニ計略シテ反間ヲナス。仁君モ時ニ臨テハ罪ナキヲ遠サク。明主モ事ニ觸テハ忠臣ヲ疑フ。無シト云レヌシヤ。若誤テ忠臣ヲ疑ヘハ。强國モ直ニ弱國トナル。誤テ奸臣ニ信任スレハ。治國モ亡國トナル。奸臣モ時ニヨリテハ或ハ忠直ニ似ル。反間ノ言カ或ハ親好ニマカフ。唯十善護持ノ大人ノミ有テ。神祇守護シ。輔佐誠ヲ盡シテ事フル故ニ。他ノ反間ニオチヌ。又奸臣ニ欺カレヌシヤ。
新字:又世ノ変事ノ変ニテ国ノ乱レタルトキ。撥乱ノ主。智謀ノ士ガ軍中ノ計略ニ。或ハ離間シ。或ハ反間ヲ行フ。是モ違犯テハナイ。斉ノ田単カ恵王ニ楽毅ヲ疑ハセテ。燕ノ兵ヲ退ケ。漢高祖ノ陳平カ謀ヲ用ヒテ。項羽ニ范增ヲ疑ハセテ。楚ヲ破タ類シヤ。若他ノ反間ニ堕ルモ。此戒全カラヌ罪ヲ知ルベキシヤ。治世ニハ。禄利名称ヲ貪ル者ガ。其近キ処ニ託シテ。讒ヲ構ヘ偽ヲ売ル。乱世ニハ。智謀ノ士ガ種種ニ計略シテ反間ヲナス。仁君モ時ニ臨テハ罪ナキヲ遠サク。明主モ事ニ触テハ忠臣ヲ疑フ。無シト云レヌシヤ。若誤テ忠臣ヲ疑ヘハ。強国モ直ニ弱国トナル。誤テ奸臣ニ信任スレハ。治国モ亡国トナル。奸臣モ時ニヨリテハ或ハ忠直ニ似ル。反間ノ言カ或ハ親好ニマカフ。唯十善護持ノ大人ノミ有テ。神祇守護シ。輔佐誠ヲ尽シテ事フル故ニ。他ノ反間ニオチヌ。又奸臣ニ欺カレヌシヤ。
書き下し
又世ノ変事ノ変ニテ国ノ乱レタルトキ。撥乱ノ主。智謀ノ士ガ軍中ノ計略ニ。或ハ離間シ。或ハ反間ヲ行フ。是モ違犯テハナイ。斉ノ田単カ恵王ニ楽毅ヲ疑ハセテ。燕ノ兵ヲ退ケ。漢高祖ノ陳平カ謀ヲ用ヒテ。項羽ニ范增ヲ疑ハセテ。楚ヲ破タ類シヤ。若他ノ反間ニ堕ルモ。此戒全カラヌ罪ヲ知ルベキシヤ。治世ニハ。禄利名称ヲ貪ル者ガ。其近キ処ニ託シテ。讒ヲ構ヘ偽ヲ売ル。乱世ニハ。智謀ノ士ガ種種ニ計略シテ反間ヲナス。仁君モ時ニ臨テハ罪ナキヲ遠サク。明主モ事ニ触テハ忠臣ヲ疑フ。無シト云レヌシヤ。若誤テ忠臣ヲ疑ヘハ。强国モ直ニ弱国トナル。誤テ奸臣ニ信任スレハ。治国モ亡国トナル。奸臣モ時ニヨリテハ或ハ忠直ニ似ル。反間ノ言カ或ハ親好ニマカフ。唯十善護持ノ大人ノミ有テ。神祇守護シ。輔佐誠ヲ尽シテ事フル故ニ。他ノ反間ニオチヌ。又奸臣ニ欺カレヌシヤ。
現代語訳
また、世が変事に遭って国が乱れたとき、乱を治める主君や智謀の士が、軍中の計略として、あるいは離間させ、あるいは反間の策を行う。これも違反ではない。斉の田単が恵王に楽毅を疑わせて燕の兵を退け、漢の高祖のもとで陳平が謀を用いて項羽に范増を疑わせ、楚を破った類である。もし他人の反間に陥るなら、それもこの戒が全くないことの罪だと知るべきである。治まった世では、禄や利益や名声を貪る者が、主君の近くに身を寄せて、讒言を構え偽りを売り込む。乱世には、智謀の士がさまざまに計略して反間をなす。仁君も時に臨んでは罪のない者を遠ざけ、明主も事に触れては忠臣を疑う。そういうことが無いとは言えない。もし誤って忠臣を疑えば、強国もたちまち弱国となる。誤って奸臣を信任すれば、治まった国も亡国となる。奸臣も時によっては忠実で正直な者に似る。反間の言葉が、時には親しみの言葉と紛らわしい。ただ十善を護持する大人だけは、神々が守護し、補佐の臣が誠を尽くして仕えるので、他人の反間に落ちず、また奸臣に欺かれないのである。
解説
この章句が説くこと
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