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十善法語 / 巻第一・不殺生戒

貧富貴賤ミナ業相ノ影ト知ル故。常ニ足ルコトヲ知ル。此心カ直ニコレ不貪欲戒シヤ。儒書ニモ。富シカモ求ムヘキナラハ。執鞭ノ士ト雖モ我コレヲ爲ン。モシ求ムヘカラスハ。我カ所好ニ從ントアル。一切事事物物ノ上ニ其樂カ有ニ由テ。瞋恚ヲハナルル。總シテ瞋恚ハ內ノ憂惱ニ由テ起ル。憂惱ハ我愛ヨリ生スル。我愛ハ念念念相ヲ取ルヨリ生スル。法ノ有通リヲ全クシテ世ニ處スレハ。一切時一切處ニ其樂有ルシヤ。樂アレハ憂惱カナイ。憂惱カナケレハ瞋恚ハ生セヌシヤ。大道ヲ我物ニシテ疑ハヌニ由テ。不邪見戒ヲ滿足スル。斷見ニモアレ。常見ニモアレ。皆我相ヨリ生スル。此我相アレハ。有ノ見カ無ノ見カ。トチヘソ墮ネハナラヌ。法性ニ順スレハ。我相依リ處ナク。有無ノ二見自ラ離ルル。有無ニ偏ラネハ。因果報應ニ信力決定スルシヤ。

新字:貧富貴賤ミナ業相ノ影ト知ル故。常ニ足ルコトヲ知ル。此心カ直ニコレ不貪欲戒シヤ。儒書ニモ。富シカモ求ムヘキナラハ。執鞭ノ士ト雖モ我コレヲ為ン。モシ求ムヘカラスハ。我カ所好ニ従ントアル。一切事事物物ノ上ニ其楽カ有ニ由テ。瞋恚ヲハナルル。総シテ瞋恚ハ内ノ憂悩ニ由テ起ル。憂悩ハ我愛ヨリ生スル。我愛ハ念念念相ヲ取ルヨリ生スル。法ノ有通リヲ全クシテ世ニ処スレハ。一切時一切処ニ其楽有ルシヤ。楽アレハ憂悩カナイ。憂悩カナケレハ瞋恚ハ生セヌシヤ。大道ヲ我物ニシテ疑ハヌニ由テ。不邪見戒ヲ満足スル。断見ニモアレ。常見ニモアレ。皆我相ヨリ生スル。此我相アレハ。有ノ見カ無ノ見カ。トチヘソ堕ネハナラヌ。法性ニ順スレハ。我相依リ処ナク。有無ノ二見自ラ離ルル。有無ニ偏ラネハ。因果報応ニ信力決定スルシヤ。

書き下し

貧富貴賤ミナ業相ノ影ト知ル故。常ニ足ルコトヲ知ル。此心カ直ニコレ不貪欲戒シヤ。儒書ニモ。富シカモ求ムヘキナラハ。執鞭ノ士ト雖モ我コレヲ為ン。モシ求ムヘカラスハ。我カ所好ニ従ントアル。一切事事物物ノ上ニ其楽カ有ニ由テ。瞋恚ヲハナルル。総シテ瞋恚ハ内ノ憂悩ニ由テ起ル。憂悩ハ我愛ヨリ生スル。我愛ハ念念念相ヲ取ルヨリ生スル。法ノ有通リヲ全クシテ世ニ処スレハ。一切時一切処ニ其楽有ルシヤ。楽アレハ憂悩カナイ。憂悩カナケレハ瞋恚ハ生セヌシヤ。大道ヲ我物ニシテ疑ハヌニ由テ。不邪見戒ヲ満足スル。断見ニモアレ。常見ニモアレ。皆我相ヨリ生スル。此我相アレハ。有ノ見カ無ノ見カ。トチヘソ堕ネハナラヌ。法性ニ順スレハ。我相依リ処ナク。有無ノ二見自ラ離ルル。有無ニ偏ラネハ。因果報応ニ信力決定スルシヤ。

現代語訳

貧富貴賤はみな業のすがたの影だと知るから、常に足ることを知る。この心がそのまま不貪欲戒である。儒書にも、「富がもし求めて得られるものなら、鞭をとる卑しい役目であっても私はそれをしよう。もし求めて得られないものなら、私の好む所に従おう」とある。一切の事物の上にその楽しみがあるから、瞋恚を離れる。総じて瞋恚は内の憂い悩みによって起こる。憂い悩みは我愛から生じる。我愛は一念一念に相を取ることから生じる。法のありのままを全うして世に処すれば、いつでもどこでもその楽しみがあるのである。楽しみがあれば憂い悩みがない。憂い悩みがなければ瞋恚は生じないのである。大道を自分のものとして疑わないから、不邪見戒を満たす。断見であれ常見であれ、みな我相から生じる。この我相があれば、有の見か無の見か、どちらかへ落ちざるをえない。法性に順えば我相の拠り所がなく、有無の二つの見はおのずから離れる。有無に偏らなければ、因果の報いに対する信が定まるのである。

解説

意の三戒、不貪欲・不瞋恚・不邪見をまとめて説く。貧富は業の影だと知れば足ることを知り、論語述而篇の「富而可求也、雖執鞭之士、吾亦為之」の句がその裏づけとなる。怒りの根は内の憂いにあり、憂いは自分への執着から、執着は一瞬ごとに物事の形にとらわれることから生まれる、という分析は明快である。断見は死後は何もないとする見方、常見は不変の自我が続くとする見方で、どちらも我への執着から出る。怒りやすいときは、まず内に抱えた憂いを見つめるとよい。

この章句が説くこと

知足貪欲瞋恚邪見我愛因果

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