十善法語 / 巻第十・不邪見戒之上
聖智見ノ中ニハ。此神祇アルシヤ。無ト云レヌ。此聖者賢人アルシヤ。無ト云レヌ。善ヲ作シテ其報アルシヤ無ト云レヌ。惡ヲ作シテ其報アルシヤ。無ト云レヌコトシヤ。古ヨリ明君英主ハ山川宗廟ノ祭ヲ忽ニセヌ。孜孜トシテ善ヲ修シテ。此ヲ子孫ニ貽ス。昔者葛伯放逸ニシテ祀ラス。湯王牛羊粢盛ヲ供スルニ。猶其祀ニ怠ル。終ニ其國ヲ亡シ身ヲ亡スニ至リシト云。殷ノ紂王ノ惡事ノ中ニ。慢於鬼神ト云ガ亡國ノ一事シヤ。周禮ノ天官ニ。祭祀以馭其神トアル。又春官ニ太宗伯職掌建邦之天神人鬼地示之禮以佐王。建保邦國ナトトアル。左傳ノ昭公四年ニ。先務修德音以享神人トアル。同ク古者日在北陸而藏氷。黑牡秬黍以享司寒トアル。司寒ト云ハ北方ノ神ノ名シヤ。此等ニ依テ看ヨ。佛法東流セヌ已前ニモ。明君英主ハ神靈アルヲ信シテ。其祭祀ヲ忽ニセヌ。暗君庸主ハ神祇ヲ蔑ニスルシヤ。
新字:聖智見ノ中ニハ。此神祇アルシヤ。無ト云レヌ。此聖者賢人アルシヤ。無ト云レヌ。善ヲ作シテ其報アルシヤ無ト云レヌ。悪ヲ作シテ其報アルシヤ。無ト云レヌコトシヤ。古ヨリ明君英主ハ山川宗廟ノ祭ヲ忽ニセヌ。孜孜トシテ善ヲ修シテ。此ヲ子孫ニ貽ス。昔者葛伯放逸ニシテ祀ラス。湯王牛羊粢盛ヲ供スルニ。猶其祀ニ怠ル。終ニ其国ヲ亡シ身ヲ亡スニ至リシト云。殷ノ紂王ノ悪事ノ中ニ。慢於鬼神ト云ガ亡国ノ一事シヤ。周礼ノ天官ニ。祭祀以馭其神トアル。又春官ニ太宗伯職掌建邦之天神人鬼地示之礼以佐王。建保邦国ナトトアル。左伝ノ昭公四年ニ。先務修徳音以享神人トアル。同ク古者日在北陸而蔵氷。黒牡秬黍以享司寒トアル。司寒ト云ハ北方ノ神ノ名シヤ。此等ニ依テ看ヨ。仏法東流セヌ已前ニモ。明君英主ハ神霊アルヲ信シテ。其祭祀ヲ忽ニセヌ。暗君庸主ハ神祇ヲ蔑ニスルシヤ。
書き下し
聖智見ノ中ニハ。此神祇アルシヤ。無ト云レヌ。此聖者賢人アルシヤ。無ト云レヌ。善ヲ作シテ其報アルシヤ無ト云レヌ。悪ヲ作シテ其報アルシヤ。無ト云レヌコトシヤ。古ヨリ明君英主ハ山川宗廟ノ祭ヲ忽ニセヌ。孜孜トシテ善ヲ修シテ。此ヲ子孫ニ貽ス。昔者葛伯放逸ニシテ祀ラス。湯王牛羊粢盛ヲ供スルニ。猶其祀ニ怠ル。終ニ其国ヲ亡シ身ヲ亡スニ至リシト云。殷ノ紂王ノ悪事ノ中ニ。慢於鬼神ト云ガ亡国ノ一事シヤ。周礼ノ天官ニ。祭祀以馭其神トアル。又春官ニ太宗伯職掌建邦之天神人鬼地示之礼以佐王。建保邦国ナトトアル。左伝ノ昭公四年ニ。先務修徳音以享神人トアル。同ク古者日在北陸而蔵氷。黒牡秬黍以享司寒トアル。司寒ト云ハ北方ノ神ノ名シヤ。此等ニ依テ看ヨ。仏法東流セヌ已前ニモ。明君英主ハ神霊アルヲ信シテ。其祭祀ヲ忽ニセヌ。暗君庸主ハ神祇ヲ蔑ニスルシヤ。
現代語訳
聖者の智慧の見方の中では、この神々はおられるのである。無いとは言えない。この聖者や賢人はいるのである。無いとは言えない。善を行えばその報いがあるのである。無いとは言えない。悪を行えばその報いがあるのである。無いとは言えないことである。昔から明君や英主は、山川や宗廟の祭りをおろそかにしない。たゆまず善を修めて、これを子孫に残す。昔、葛伯は放逸で祭りをせず、殷の湯王が牛や羊や供物の穀物を贈っても、なおその祭りを怠り、ついにその国を滅ぼし身を滅ぼすに至ったという。殷の紂王の悪事の中に「鬼神を侮る」とあるのが、亡国の一事である。周礼の天官に「祭祀によってその神々を治める」とある。また春官に「大宗伯の職は、国の天神・人鬼・地示を祀る礼を立てて王を助け、邦国を建て保つことである」などとある。左伝の昭公四年に「まず徳ある言葉を修めて神と人とをもてなす」とある。同じく「昔は太陽が北陸(の星宿)にある時に氷を蔵し、黒い牡羊と黒黍をもって司寒を祀った」とある。司寒というのは北方の神の名である。これらによって見なさい。仏法が東へ伝わる以前にも、明君や英主は神霊があることを信じて、その祭祀をおろそかにしなかった。暗君や凡庸な君主は神々を侮るのである。
解説
この章句が説くこと
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