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十善法語 / 巻第五・不綺語戒

臣僕タル者ハ。其主人直ニ我天命ノアル處シヤ。主人ノ歡喜ヲ得ル。我福智ノ成スル處。天ノ分付スル眞ノ樂ト云ベキシヤ。一タヒ使命アル。是天福ノ下ル時。一タヒ勤勞アル。是我受得ル時節シヤ。一言一行モ其忠義アレハ。其德天ニ通ス。且ク近ニ約シテ天ト說トモ。實ハ法性ヨリ等流シ來テ無福ノ衆生ヲ救拔ス。若誠心ニ其主人ニ事レハ。主人ノ福德智慧冥ニ其身ニ加ハレ。大事ニテ云ハハ。周公旦カ世世天子ノ禮樂ヲ享スルモ過分デナイ。已下州郡ノ主。一介ノ士。農工商ノ家ニ家奴僕從ノ主人ノ福德智慧ヲ得ル。枚擧ニ及ハヌシヤ。殊ニ明者ニ遇テ主從一體ノ如クナラハ。此ニ過タル樂ハアルマシキソ。音樂管絃モ比スル所ナラス。綺語ノ樂トハ同日ノ論デハナキシヤ。

新字:臣僕タル者ハ。其主人直ニ我天命ノアル処シヤ。主人ノ歓喜ヲ得ル。我福智ノ成スル処。天ノ分付スル真ノ楽ト云ベキシヤ。一タヒ使命アル。是天福ノ下ル時。一タヒ勤労アル。是我受得ル時節シヤ。一言一行モ其忠義アレハ。其徳天ニ通ス。且ク近ニ約シテ天ト説トモ。実ハ法性ヨリ等流シ来テ無福ノ衆生ヲ救抜ス。若誠心ニ其主人ニ事レハ。主人ノ福徳智慧冥ニ其身ニ加ハレ。大事ニテ云ハハ。周公旦カ世世天子ノ礼楽ヲ享スルモ過分デナイ。已下州郡ノ主。一介ノ士。農工商ノ家ニ家奴僕従ノ主人ノ福徳智慧ヲ得ル。枚挙ニ及ハヌシヤ。殊ニ明者ニ遇テ主従一体ノ如クナラハ。此ニ過タル楽ハアルマシキソ。音楽管絃モ比スル所ナラス。綺語ノ楽トハ同日ノ論デハナキシヤ。

書き下し

臣僕タル者ハ。其主人直ニ我天命ノアル処シヤ。主人ノ歓喜ヲ得ル。我福智ノ成スル処。天ノ分付スル真ノ楽ト云ベキシヤ。一タヒ使命アル。是天福ノ下ル時。一タヒ勤労アル。是我受得ル時節シヤ。一言一行モ其忠義アレハ。其徳天ニ通ス。且ク近ニ約シテ天ト説トモ。実ハ法性ヨリ等流シ来テ無福ノ衆生ヲ救抜ス。若誠心ニ其主人ニ事レハ。主人ノ福徳智慧冥ニ其身ニ加ハレ。大事ニテ云ハハ。周公旦カ世世天子ノ礼楽ヲ享スルモ過分デナイ。已下州郡ノ主。一介ノ士。農工商ノ家ニ家奴僕従ノ主人ノ福徳智慧ヲ得ル。枚挙ニ及ハヌシヤ。殊ニ明者ニ遇テ主従一体ノ如クナラハ。此ニ過タル楽ハアルマシキソ。音楽管絃モ比スル所ナラス。綺語ノ楽トハ同日ノ論デハナキシヤ。

現代語訳

臣下や召使いである者にとっては、その主人がそのまま自分の天命のあるところである。主人の歓びを得ることは、自分の福と智の成就するところであり、天が分け与えた真の楽しみと言うべきである。一たび使いの命令がある、これは天の福が下る時である。一たび勤労がある、これは自分が受け得る時節である。一言一行もその忠義があれば、その徳は天に通ずる。しばらく身近に約して天と説くけれども、実は法性から等しく流れ出てきて、福のない衆生を救い抜くのである。もし誠の心でその主人に仕えれば、主人の福徳と智慧が目に見えずその身に加わる。大きな事で言えば、周公旦が代々天子の礼楽を受けたのも過分ではない。以下、州郡の主、一介の士、農工商の家においても、家の奴婢や従者が主人の福徳と智慧を得ることは、枚挙にいとまがないのである。ことに明主に出会って主従一体のようであるなら、これに過ぎる楽しみはあるまい。音楽や管絃も比べるところではない。綺語の楽しみとは同日の論ではないのである。

解説

仕える者の楽しみが説かれる。主人は自分の天命のあるところで、用事を言いつけられるのは天の福が下る時、骨を折るのは福を受け取る時だという。誠の心で仕えれば主人の福徳と智慧が自分にも加わり、周公旦の子孫が魯で天子の礼楽を許されたのもその例とされる。主従関係を前提とした当時の教えだが、頼まれた仕事を負担ではなく福の訪れと受け止め直す見方は、働く人の心を軽くする。信頼し合える上司と一体になって働ける喜びは、今も格別のものである。

この章句が説くこと

天命福徳主従勤労周公旦

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