師導古典を学びたいすべての人に

十善法語 / 巻第九・不瞋恚戒

安永三年甲午三月二十三日示衆。師云。此不瞋恚戒ハ。通人庸流ニ在テモ容易ナラヌコトシヤ。マシテ王公大人ニ在テハ。其利害尤著シキシヤ。謹愼ニ護持シテ。事事自省察スヘキコトシヤ。世間ノ惡事其數多ト雖トモ。本源ハ貪欲瞋恚ノ二シヤ。ソノ中自ノ志ヲ破リ德義ヲ賊フハ。貪欲ヲ第一トス。世ヲ亂シ事ヲ害スルハ。瞋恚ヲ第一トス。前ノ戒ト次第カクアルコトシヤ。說トキハ此別相アルニ似タレトモ。貪欲アル者ハ必ス瞋恚アル。瞋恚アル者ハ必貪欲アル。其惡不善法タルコトハ一シヤ。貪欲ヲ離ルレハ瞋恚モ薄クナル。瞋恚ヲ離レハ貪欲モ薄クナル。其善功德タルコトハ一シヤ。今世ヲ治メ人ニ長タルニ就テ。此戒ヲ要トスルシヤ。

新字:安永三年甲午三月二十三日示衆。師云。此不瞋恚戒ハ。通人庸流ニ在テモ容易ナラヌコトシヤ。マシテ王公大人ニ在テハ。其利害尤著シキシヤ。謹慎ニ護持シテ。事事自省察スヘキコトシヤ。世間ノ悪事其数多ト雖トモ。本源ハ貪欲瞋恚ノ二シヤ。ソノ中自ノ志ヲ破リ徳義ヲ賊フハ。貪欲ヲ第一トス。世ヲ乱シ事ヲ害スルハ。瞋恚ヲ第一トス。前ノ戒ト次第カクアルコトシヤ。説トキハ此別相アルニ似タレトモ。貪欲アル者ハ必ス瞋恚アル。瞋恚アル者ハ必貪欲アル。其悪不善法タルコトハ一シヤ。貪欲ヲ離ルレハ瞋恚モ薄クナル。瞋恚ヲ離レハ貪欲モ薄クナル。其善功徳タルコトハ一シヤ。今世ヲ治メ人ニ長タルニ就テ。此戒ヲ要トスルシヤ。

書き下し

安永三年甲午三月二十三日示衆。師云。此不瞋恚戒ハ。通人庸流ニ在テモ容易ナラヌコトシヤ。マシテ王公大人ニ在テハ。其利害尤著シキシヤ。謹慎ニ護持シテ。事事自省察スヘキコトシヤ。世間ノ悪事其数多ト雖トモ。本源ハ貪欲瞋恚ノ二シヤ。ソノ中自ノ志ヲ破リ徳義ヲ賊フハ。貪欲ヲ第一トス。世ヲ乱シ事ヲ害スルハ。瞋恚ヲ第一トス。前ノ戒ト次第カクアルコトシヤ。説トキハ此別相アルニ似タレトモ。貪欲アル者ハ必ス瞋恚アル。瞋恚アル者ハ必貪欲アル。其悪不善法タルコトハ一シヤ。貪欲ヲ離ルレハ瞋恚モ薄クナル。瞋恚ヲ離レハ貪欲モ薄クナル。其善功徳タルコトハ一シヤ。今世ヲ治メ人ニ長タルニ就テ。此戒ヲ要トスルシヤ。

現代語訳

安永三年甲午(一七七四)三月二十三日、大衆に示された。師は言われた。この不瞋恚戒は、普通の人や凡庸な者にあっても容易ではないことである。まして王公や大人にあっては、その利害が最も著しいのである。謹み慎んで護持して、事ごとに自ら省察すべきことである。世間の悪事はその数が多いといっても、本源は貪欲と瞋恚の二つである。その中で、自分の志を破り徳義を損なうのは、貪欲を第一とする。世を乱し事を害するのは、瞋恚を第一とする。前の戒との順序がこうなっているのである。説くときはこのように別々の相があるようだけれども、貪欲のある者には必ず瞋恚があり、瞋恚のある者には必ず貪欲がある。それが悪しき不善の法であることは一つである。貪欲を離れれば瞋恚も薄くなる。瞋恚を離れれば貪欲も薄くなる。それが善い功徳であることは一つである。今、世を治め人の長となることについては、この戒を要とするのである。

解説

第九の不瞋恚戒の講話の冒頭である。尊者は悪事の根を貪欲と瞋恚の二つにまとめ、志を破り徳を損なう点では貪欲が、世を乱し事を害する点では瞋恚が第一だと整理する。そして両者は別物に見えて、一方があれば必ず他方もあり、一方を離れれば他方も薄くなる、表裏の関係にあると言う。欲しいものが得られないときに怒りが生まれる、という日常の経験を思えば、この指摘はよくわかる。人の上に立つ者ほど怒りの害は大きく、この戒を要とせよ、と結ぶ。

この章句が説くこと

瞋恚貪欲不瞋恚十善省察

関連する章句

この一句を、あなたの毎日に。

古典の教えを、今の状況に当てはめて考えてみる——師導があなたの学びと選択を支えます。

師導で古典を学ぶ
いま登録すると、7日間すべての機能を無料でお試しいただけます。 無料ではじめる