十善法語 / 巻第二・不偸盜戒
世間ノ中ニ。此眞正法有テ常ニ世間ヲ利益スル。仰テ仰テ日月ヲ視カ如ク。目アル者ハ悉ク視ル。佛出世ニモアレ。佛不出世ニモアレ。此世界アリ此人間アレハ。此十善有テ常ニ隨逐スルシヤ。雷霆ノ聲ヲ發スル如ク。耳アル者ハ悉ク聞ク。佛出世ニモアレ。佛不出世ニモアレ。此世界アリ此人間アレハ。此十善有テ常ニ隨逐スルシヤ。但業障深重ノ者カ世途ニ奔走シテ自ラ此道有コトヲ知ラス。世智辨聰ノ者カ非理ニ巢窟ヲ構ヘテ自ラ其中ニ入シヤ。一類ノ者カ云。戒法ハ唯是僧徒忍辱ノ行ナリ。此ヲ世間權門ニ用ユヘキナラス。若此戒法ヲ持テハ。慈愛ニ過テ。怯弱者ニナルト。此類悉ク謬タコトシヤ。
新字:世間ノ中ニ。此真正法有テ常ニ世間ヲ利益スル。仰テ仰テ日月ヲ視カ如ク。目アル者ハ悉ク視ル。仏出世ニモアレ。仏不出世ニモアレ。此世界アリ此人間アレハ。此十善有テ常ニ随逐スルシヤ。雷霆ノ声ヲ発スル如ク。耳アル者ハ悉ク聞ク。仏出世ニモアレ。仏不出世ニモアレ。此世界アリ此人間アレハ。此十善有テ常ニ随逐スルシヤ。但業障深重ノ者カ世途ニ奔走シテ自ラ此道有コトヲ知ラス。世智弁聰ノ者カ非理ニ巣窟ヲ構ヘテ自ラ其中ニ入シヤ。一類ノ者カ云。戒法ハ唯是僧徒忍辱ノ行ナリ。此ヲ世間権門ニ用ユヘキナラス。若此戒法ヲ持テハ。慈愛ニ過テ。怯弱者ニナルト。此類悉ク謬タコトシヤ。
書き下し
世間ノ中ニ。此真正法有テ常ニ世間ヲ利益スル。仰テ仰テ日月ヲ視カ如ク。目アル者ハ悉ク視ル。仏出世ニモアレ。仏不出世ニモアレ。此世界アリ此人間アレハ。此十善有テ常ニ随逐スルシヤ。雷霆ノ声ヲ発スル如ク。耳アル者ハ悉ク聞ク。仏出世ニモアレ。仏不出世ニモアレ。此世界アリ此人間アレハ。此十善有テ常ニ随逐スルシヤ。但業障深重ノ者カ世途ニ奔走シテ自ラ此道有コトヲ知ラス。世智弁聰ノ者カ非理ニ巣窟ヲ構ヘテ自ラ其中ニ入シヤ。一類ノ者カ云。戒法ハ唯是僧徒忍辱ノ行ナリ。此ヲ世間権門ニ用ユヘキナラス。若此戒法ヲ持テハ。慈愛ニ過テ。怯弱者ニナルト。此類悉ク謬タコトシヤ。
現代語訳
世間の中に、この真正の法があって、常に世間を利益する。仰いで日月を見るように、目のある者はことごとく見る。仏が世に出られても、仏が世に出られなくても、この世界があり、この人間があれば、この十善があって常に付き従うのである。雷霆が声を発するように、耳のある者はことごとく聞く。仏が世に出られても、仏が世に出られなくても、この世界があり、この人間があれば、この十善があって常に付き従うのである。ただ業の障りの深く重い者が、世渡りに奔走して自らこの道があることを知らず、世の智恵や弁舌にたけた者が、理に合わない巣穴を構えて自らその中に入るのである。ある類の者が言う。「戒法はただ僧侶が忍耐する行いである。これを世間の権勢ある家に用いるべきではない。もしこの戒法を持てば、慈愛が過ぎて臆病者になる」と。この類はことごとく誤ったことである。
解説
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『十善法語』巻第二・不偸盜戒若通シテ云ハ。此天地有テ此国土アルシヤ。日月星辰天ノ条理トナル。山沢河海地ノ条理トナル。此国土有テ此人物アルシヤ。君臣尊卑国ノ条理トナル。父子夫婦昆弟家ノ条理トナル。国土ナラヌ天地無ク。人物止住セヌ国土ナシ。此人物有テ此道アルシヤ。人物有テ道ナキ国家アラス。其国ヨリ云ハ何ノ国カ上国ナラサルヘク。其道ヨリ云ハ何レノ道カ真正ナラサルヘキ。然レトモ道ニ大小邪正アリ。国ニ勝国劣国ノ別アリ。人ニ賢愚有テ。此国ノ教ハ彼国ニ通セス。彼人ヲ導ク教ハ此人ニ通セス。智人ヲ導ク教ハ愚者ニ施スヘカラス。愚者ヲ誘フ教ハ智人ニ通スヘカラス。男子ノ教ハ女人ニ用フヘカラス。女人ノ教ハ男子ニ用フヘカラス。貴人ノ道ト賤者ノ作法モ互ニ通スヘカラス。匈奴ヨリ漢国ノ礼儀ヲ非スル。漢国ヨリ夷狄ヲ賤ル。助テイハハ可ナリ。唯此十善ノミ万国ニ推通シ。古今ニ推通シ。智愚賢不肖貴賤男女ニ推通シテ。道トスヘキ道シヤ。
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