十善法語 / 巻第六・不惡口戒
秦ノ始皇カ古書ヲ燔キ。儒者ヲ坑ニシ。阿房宮ヲ造營セシ。晉ノ武帝カ羊車ニ乘テ後宮ニ遊ヒシ類。心ノ憍慢ヨリ起ル。實ヲ剋シテ云ハ。ミナ小器量ニ攝ス。若萬民ヲ以テ子トセハ。儒者モ邪魔ニハナラヌ。天下ヲ以テ家トセハ。阿房宮ハ狹小ナル造營シヤ。天地陰陽ノ和合ヲ樂ハ。別ニ多人ヲ後宮ニ閉置ニハ及ヌシヤ。誠ノ大丈夫ハ此ニ異ナル所有ヘキシヤ。
新字:秦ノ始皇カ古書ヲ燔キ。儒者ヲ坑ニシ。阿房宮ヲ造営セシ。晋ノ武帝カ羊車ニ乗テ後宮ニ遊ヒシ類。心ノ憍慢ヨリ起ル。実ヲ剋シテ云ハ。ミナ小器量ニ摂ス。若万民ヲ以テ子トセハ。儒者モ邪魔ニハナラヌ。天下ヲ以テ家トセハ。阿房宮ハ狭小ナル造営シヤ。天地陰陽ノ和合ヲ楽ハ。別ニ多人ヲ後宮ニ閉置ニハ及ヌシヤ。誠ノ大丈夫ハ此ニ異ナル所有ヘキシヤ。
書き下し
秦ノ始皇カ古書ヲ燔キ。儒者ヲ坑ニシ。阿房宮ヲ造営セシ。晋ノ武帝カ羊車ニ乗テ後宮ニ遊ヒシ類。心ノ憍慢ヨリ起ル。実ヲ剋シテ云ハ。ミナ小器量ニ摂ス。若万民ヲ以テ子トセハ。儒者モ邪魔ニハナラヌ。天下ヲ以テ家トセハ。阿房宮ハ狭小ナル造営シヤ。天地陰陽ノ和合ヲ楽ハ。別ニ多人ヲ後宮ニ閉置ニハ及ヌシヤ。誠ノ大丈夫ハ此ニ異ナル所有ヘキシヤ。
現代語訳
秦の始皇帝が古書を焼き、儒者を穴に埋め、阿房宮を造営したこと、晋の武帝が羊の引く車に乗って後宮に遊んだ類は、心の驕りから起こる。実をつきつめて言えば、みな小さな器量に含まれる。もし万民を我が子とするならば、儒者も邪魔にはならない。天下を我が家とするならば、阿房宮は狭く小さな造営である。天地陰陽の和合を楽しむのなら、特に多くの人を後宮に閉じ込めておくには及ばないのである。まことの大丈夫は、これとは異なるところがあるはずである。
解説
秦の始皇帝の焚書坑儒と阿房宮の造営、晋の武帝が大勢の後宮の間を羊車に任せて巡ったという逸話を、慈雲は驕りから出た器の小ささの表れとする。万民をわが子と思えば批判する儒者も邪魔にならず、天下をわが家と思えば壮大な宮殿もかえって狭い、という逆転の見方が鮮やかである。権力を誇示する行いほど、実は心の狭さを映しているという。反対意見を排除したくなるとき、自分の器が小さくなっていないかを省みる手がかりになる。
この章句が説くこと
器量憍慢始皇帝焚書坑儒大丈夫
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