十善法語 / 巻第七・不兩舌戒
周代文德備ハル。是カ子孫微弱ノ兆トナル。戰國ノトキ處士ノ類カ橫議スル。是ガ秦代ニ書ヲ燔キ儒ヲ坑ニスル基トナル。史記ニ。伯禽受封之□。變其俗□其禮。大公封於齊。簡其禮從其俗。周公歎曰。嗚呼魯後世北面從齊矣ト。齊ハ後世有弑逆之臣ト。此等聖人ト云者ハ始ヲ見テ終ヲ知シヤ。佛法ヨリ云ハ。始終相應シ。事勢相爲ヲ。ミナ友愛不兩舌ノ趣シヤ。大ナルモノハ天地陰陽。小ナルモノハ一草一木。其趣違ヒナキシヤ。醫者ノ藥性ヲ論スル。各各相應シ。或ハ相制スル。此ヲ病ニ用ヒテ其功ヲ得ル。書家ノ偏旁ノ法ヲ立ル。樂人ノ律呂ヲ論スル。爾餘萬般。悉ク同軌轍シヤ。藥方モ張仲景コノカタ。名醫ノ立タ方ハ妙カアルト云コトシヤ。文字モ名家ノ手跡ハ偏旁ノ儀カ格別ナト云コトシヤ。音樂モ律呂相和スレハ。聞者ノ感アルト云コトシヤ。
新字:周代文徳備ハル。是カ子孫微弱ノ兆トナル。戦国ノトキ処士ノ類カ横議スル。是ガ秦代ニ書ヲ燔キ儒ヲ坑ニスル基トナル。史記ニ。伯禽受封之□。変其俗□其礼。大公封於斉。簡其礼従其俗。周公嘆曰。嗚呼魯後世北面従斉矣ト。斉ハ後世有弑逆之臣ト。此等聖人ト云者ハ始ヲ見テ終ヲ知シヤ。仏法ヨリ云ハ。始終相応シ。事勢相為ヲ。ミナ友愛不両舌ノ趣シヤ。大ナルモノハ天地陰陽。小ナルモノハ一草一木。其趣違ヒナキシヤ。医者ノ薬性ヲ論スル。各各相応シ。或ハ相制スル。此ヲ病ニ用ヒテ其功ヲ得ル。書家ノ偏旁ノ法ヲ立ル。楽人ノ律呂ヲ論スル。爾余万般。悉ク同軌轍シヤ。薬方モ張仲景コノカタ。名医ノ立タ方ハ妙カアルト云コトシヤ。文字モ名家ノ手跡ハ偏旁ノ儀カ格別ナト云コトシヤ。音楽モ律呂相和スレハ。聞者ノ感アルト云コトシヤ。
書き下し
周代文徳備ハル。是カ子孫微弱ノ兆トナル。戦国ノトキ処士ノ類カ横議スル。是ガ秦代ニ書ヲ燔キ儒ヲ坑ニスル基トナル。史記ニ。伯禽受封之□。変其俗□其礼。大公封於斉。簡其礼従其俗。周公嘆曰。嗚呼魯後世北面従斉矣ト。斉ハ後世有弑逆之臣ト。此等聖人ト云者ハ始ヲ見テ終ヲ知シヤ。仏法ヨリ云ハ。始終相応シ。事勢相為ヲ。ミナ友愛不両舌ノ趣シヤ。大ナルモノハ天地陰陽。小ナルモノハ一草一木。其趣違ヒナキシヤ。医者ノ薬性ヲ論スル。各各相応シ。或ハ相制スル。此ヲ病ニ用ヒテ其功ヲ得ル。書家ノ偏旁ノ法ヲ立ル。楽人ノ律呂ヲ論スル。爾余万般。悉ク同軌轍シヤ。薬方モ張仲景コノカタ。名医ノ立タ方ハ妙カアルト云コトシヤ。文字モ名家ノ手跡ハ偏旁ノ儀カ格別ナト云コトシヤ。音楽モ律呂相和スレハ。聞者ノ感アルト云コトシヤ。
現代語訳
周の代に文の徳が備わった。これが子孫が微弱になる兆しとなった。戦国のとき、在野の士の類が勝手に議論した。これが秦の代に書を焼き儒者を穴に埋める基となった。史記に、伯禽は□(魯)に封ぜられると、その風俗を変え、その礼を□(改め)た。太公は斉に封ぜられると、その礼を簡略にし、その風俗に従った。周公は嘆いて言った。ああ、魯は後の世に北面して斉に従うであろう、と。また、斉は後の世に主君を弑する臣が出るであろう、と。これら聖人という者は、始めを見て終わりを知るのである。仏法から言えば、始めと終わりが相応し、事と勢いが互いに作り合うのは、みな友愛・不両舌の趣である。大きなものは天地陰陽、小さなものは一草一木まで、その趣に違いはない。医者が薬の性質を論じるのも、それぞれ相応し、あるいは互いに制し合い、これを病に用いてその効果を得る。書家が偏と旁の法を立て、楽人が律呂を論じるのも、その他あらゆることが、ことごとく同じ筋道である。薬の処方も張仲景以来、名医の立てた処方には妙があるということだ。文字も名家の筆跡は偏と旁の配置が格別だということだ。音楽も律呂が相和すれば、聞く者に感動があるということだ。
解説
この章句が説くこと
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