師導古典を学びたいすべての人に

十善法語 / 巻第七・不兩舌戒

論藏ノ中ニ。獸ハ林藪ニ歸シ。法ハ分別ニ歸ストアル。不兩舌戒ガ滿足スレハ。一切ノ善惡邪正カ法ノ性相シヤ。法性ノ身。法性ノ土。身土相融シテ一異ヲ云ヘカラスシヤ。諸佛ノ應現。機教相和シテ。一異ヲ云ヘカラスシヤ。凡心ニ卽シテ佛心ヲ見ル。發心畢竟二無別シヤ。衆生ノ善根ハ全ク諸佛大悲攝化ノ中ニ在テ進退スルシヤ。諸佛ノ神通說法ハ。全ク衆生機感ノ中ニ在テ隱顯不可得シヤ。護法菩薩ハ唯識ト說ク。清辨菩薩ハ唯境ト說ク。心境相融シテ法門成立スルシヤ。此ニ至テ一戒ヲ全シテ一切戒ヲ護持スル。一切戒ヲ護持シテ一戒ヲ護持スル。偏ナク黨ナク。世ニ處シテ出世ノ德ヲ得ル。凡心ニ卽シテ優ニ聖域ニ入ル。

新字:論蔵ノ中ニ。獣ハ林藪ニ帰シ。法ハ分別ニ帰ストアル。不両舌戒ガ満足スレハ。一切ノ善悪邪正カ法ノ性相シヤ。法性ノ身。法性ノ土。身土相融シテ一異ヲ云ヘカラスシヤ。諸仏ノ応現。機教相和シテ。一異ヲ云ヘカラスシヤ。凡心ニ即シテ仏心ヲ見ル。発心畢竟二無別シヤ。衆生ノ善根ハ全ク諸仏大悲摂化ノ中ニ在テ進退スルシヤ。諸仏ノ神通説法ハ。全ク衆生機感ノ中ニ在テ隠顕不可得シヤ。護法菩薩ハ唯識ト説ク。清弁菩薩ハ唯境ト説ク。心境相融シテ法門成立スルシヤ。此ニ至テ一戒ヲ全シテ一切戒ヲ護持スル。一切戒ヲ護持シテ一戒ヲ護持スル。偏ナク党ナク。世ニ処シテ出世ノ徳ヲ得ル。凡心ニ即シテ優ニ聖域ニ入ル。

書き下し

論蔵ノ中ニ。獣ハ林藪ニ帰シ。法ハ分別ニ帰ストアル。不両舌戒ガ満足スレハ。一切ノ善悪邪正カ法ノ性相シヤ。法性ノ身。法性ノ土。身土相融シテ一異ヲ云ヘカラスシヤ。諸仏ノ応現。機教相和シテ。一異ヲ云ヘカラスシヤ。凡心ニ即シテ仏心ヲ見ル。発心畢竟二無別シヤ。衆生ノ善根ハ全ク諸仏大悲摂化ノ中ニ在テ進退スルシヤ。諸仏ノ神通説法ハ。全ク衆生機感ノ中ニ在テ隠顕不可得シヤ。護法菩薩ハ唯識ト説ク。清弁菩薩ハ唯境ト説ク。心境相融シテ法門成立スルシヤ。此ニ至テ一戒ヲ全シテ一切戒ヲ護持スル。一切戒ヲ護持シテ一戒ヲ護持スル。偏ナク党ナク。世ニ処シテ出世ノ徳ヲ得ル。凡心ニ即シテ優ニ聖域ニ入ル。

現代語訳

論蔵の中に、獣は林や藪に帰り、法は分別に帰る、とある。不両舌戒が満ち足りれば、一切の善悪邪正が法の本性と姿である。法性の身、法性の国土、身と国土とが互いに溶け合って、一つだとも異なるとも言うことはできない。諸仏の応現も、衆生の機根と教えとが相和して、一つだとも異なるとも言うことはできない。凡夫の心に即して仏の心を見る。発心と究竟とは二つであって別ではない。衆生の善根は、全く諸仏の大悲による摂め導きの中にあって進んだり退いたりする。諸仏の神通や説法は、全く衆生の機根と感応の中にあって、隠れるとも現れるとも言えない。護法菩薩は唯識と説き、清弁菩薩は唯境と説く。心と対象とが互いに溶け合って法門が成り立つのである。ここに至って、一つの戒を全うして一切の戒を護持する。一切の戒を護持して一つの戒を護持する。偏りなく党派心なく、世に処して出世間の徳を得る。凡夫の心に即して、ゆったりと聖者の境地に入る。

解説

善悪邪正の区別すら、戒が満ちれば法の姿になる。身と国土、仏と衆生、発心と悟り、心と対象は、一つとも別とも言えない関係にあると尊者は並べる。インドの唯識の大成者護法と、空の立場から唯識を批判した清弁の対立も、心と対象が融け合う中で成り立つ二つの面とされる。そのうえで、一つの戒を全うすれば一切の戒を保つことになる、と結ぶ。一つの基本を徹底することが全体を支えるという考えは、仕事の習慣づくりにもそのまま当てはまる。

この章句が説くこと

一戒戒律偏党心境護法清弁

関連する章句

この一句を、あなたの毎日に。

古典の教えを、今の状況に当てはめて考えてみる——師導があなたの学びと選択を支えます。

師導で古典を学ぶ
いま登録すると、7日間すべての機能を無料でお試しいただけます。 無料ではじめる