師導古典を学びたいすべての人に

十善法語 / 巻第一・不殺生戒

一切衆生ハ我子ナルニ由テ。一切有命ノ者ニ對スレハ不殺生戒ト名クル。此ニ我子ト云ハ。世間ニ親子ノ間ハ睦マシキモノナルニ由テ。コレニ比ヘテ說タ言シヤ。實ハ一切衆生ノ心念思慮ヲ以テ自己ノ心トスルコトシヤ。自心ト一切衆生ト平等平等ニシテ。元來ヘタテナキシヤ。一切有命ノ者カ眼ニ遮ラネハ止子。眼ニサヘキレハ必ス慈悲心生スル。是ヲ菩薩ト云。此菩薩ノ心ヲ戒ト名ツクル。コノ菩薩ノ心ハ。一切衆生ニ本來具足シタモノナレトモ。煩惱業障深厚ナルニ由テ。暫ク現セヌノミシヤ。現セヌト云トモ本來カケメハナイ。今日正法ニ遇テ。一分モ護戒ノ心生スルハ。本來佛性ノ明了ナラントスル前標ト云モノシヤ。

新字:一切衆生ハ我子ナルニ由テ。一切有命ノ者ニ対スレハ不殺生戒ト名クル。此ニ我子ト云ハ。世間ニ親子ノ間ハ睦マシキモノナルニ由テ。コレニ比ヘテ説タ言シヤ。実ハ一切衆生ノ心念思慮ヲ以テ自己ノ心トスルコトシヤ。自心ト一切衆生ト平等平等ニシテ。元来ヘタテナキシヤ。一切有命ノ者カ眼ニ遮ラネハ止子。眼ニサヘキレハ必ス慈悲心生スル。是ヲ菩薩ト云。此菩薩ノ心ヲ戒ト名ツクル。コノ菩薩ノ心ハ。一切衆生ニ本来具足シタモノナレトモ。煩悩業障深厚ナルニ由テ。暫ク現セヌノミシヤ。現セヌト云トモ本来カケメハナイ。今日正法ニ遇テ。一分モ護戒ノ心生スルハ。本来仏性ノ明了ナラントスル前標ト云モノシヤ。

書き下し

一切衆生ハ我子ナルニ由テ。一切有命ノ者ニ対スレハ不殺生戒ト名クル。此ニ我子ト云ハ。世間ニ親子ノ間ハ睦マシキモノナルニ由テ。コレニ比ヘテ説タ言シヤ。実ハ一切衆生ノ心念思慮ヲ以テ自己ノ心トスルコトシヤ。自心ト一切衆生ト平等平等ニシテ。元来ヘタテナキシヤ。一切有命ノ者カ眼ニ遮ラネハ止子。眼ニサヘキレハ必ス慈悲心生スル。是ヲ菩薩ト云。此菩薩ノ心ヲ戒ト名ツクル。コノ菩薩ノ心ハ。一切衆生ニ本来具足シタモノナレトモ。煩悩業障深厚ナルニ由テ。暫ク現セヌノミシヤ。現セヌト云トモ本来カケメハナイ。今日正法ニ遇テ。一分モ護戒ノ心生スルハ。本来仏性ノ明了ナラントスル前標ト云モノシヤ。

現代語訳

一切衆生はわが子であるから、一切の命ある者に対すれば、それが不殺生戒と名づけられる。ここでわが子と言うのは、世間で親子の間は睦まじいものであるから、それに比べて説いた言葉である。実は一切衆生の心の思いを自己の心とすることである。自分の心と一切衆生とは平等そのものであって、もともと隔てがないのである。一切の命ある者が眼に入らなければそれまでだが、眼に入れば必ず慈悲の心が生じる。これを菩薩と言う。この菩薩の心を戒と名づける。この菩薩の心は一切衆生に本来具わっているものだけれども、煩悩や業の障りが深く厚いために、しばらく現れないだけなのである。現れないと言っても、本来欠けたところはない。今日正しい法に出会って、少しでも戒を守ろうという心が生じるのは、本来の仏性が明らかになろうとする前触れというものである。

解説

不殺生戒の根を、衆生をわが子とする心に置く段である。わが子というのは親子の情に借りた比喩で、実は他者の思いを自分の心とする平等の見方を指す。命あるものが目に入れば、自然と慈しみの心が起こる。その心を菩薩と呼び、その心そのものを戒と呼ぶ。禁止の規則としてではなく、湧き上がる慈悲として戒を捉えているのが特徴である。少しでも守ろうと思う心が芽生えたなら、それは仏性が現れる兆しだという励ましで結ばれる。

この章句が説くこと

不殺生慈悲菩薩仏性平等

関連する章句

この一句を、あなたの毎日に。

古典の教えを、今の状況に当てはめて考えてみる——師導があなたの学びと選択を支えます。

師導で古典を学ぶ
いま登録すると、7日間すべての機能を無料でお試しいただけます。 無料ではじめる