十善法語 / 巻第二・不偸盜戒
南山大師ノ言ニ。此盜戒ハ實德ノ人モ或ハ免レヌトアル。是シヤ。マシテ官吏ノ賄賂ニ因テ上ヲ詐リ下ヲ虐スルハ。盜中ノ大ナルモノシヤ。此等ノ事ハ戒經律藏ノ中ニ委ク說テ有シヤ。法トシテ如是ナルニ因テ。菩薩ハ自ラ偸盜セヌ。又人ヲ教テ不偸盜戒ヲ護持セシムル。若士庶人ナラハ堅ク其分ヲ守テ踰越セス。此ヲ身ニ用ヒ此ヲ家ニ用ヒテ餘アルシヤ。若王公ノ位ニ在テハ此戒ヲ以テ人民ヲ撫育スル。是ヲ國ニ用ヒ是ヲ天下ニ布テ餘アルシヤ。富ル者ノ其分ヲ守ル。華奢ノ身ニ益ナキヲ知ルシヤ。貧キ者ノ其限ニ安スル。常ニ足テ世ニ諂ヌシヤ。
新字:南山大師ノ言ニ。此盗戒ハ実徳ノ人モ或ハ免レヌトアル。是シヤ。マシテ官吏ノ賄賂ニ因テ上ヲ詐リ下ヲ虐スルハ。盗中ノ大ナルモノシヤ。此等ノ事ハ戒経律蔵ノ中ニ委ク説テ有シヤ。法トシテ如是ナルニ因テ。菩薩ハ自ラ偸盗セヌ。又人ヲ教テ不偸盗戒ヲ護持セシムル。若士庶人ナラハ堅ク其分ヲ守テ踰越セス。此ヲ身ニ用ヒ此ヲ家ニ用ヒテ余アルシヤ。若王公ノ位ニ在テハ此戒ヲ以テ人民ヲ撫育スル。是ヲ国ニ用ヒ是ヲ天下ニ布テ余アルシヤ。富ル者ノ其分ヲ守ル。華奢ノ身ニ益ナキヲ知ルシヤ。貧キ者ノ其限ニ安スル。常ニ足テ世ニ諂ヌシヤ。
書き下し
南山大師ノ言ニ。此盗戒ハ実徳ノ人モ或ハ免レヌトアル。是シヤ。マシテ官吏ノ賄賂ニ因テ上ヲ詐リ下ヲ虐スルハ。盗中ノ大ナルモノシヤ。此等ノ事ハ戒経律蔵ノ中ニ委ク説テ有シヤ。法トシテ如是ナルニ因テ。菩薩ハ自ラ偸盗セヌ。又人ヲ教テ不偸盗戒ヲ護持セシムル。若士庶人ナラハ堅ク其分ヲ守テ踰越セス。此ヲ身ニ用ヒ此ヲ家ニ用ヒテ余アルシヤ。若王公ノ位ニ在テハ此戒ヲ以テ人民ヲ撫育スル。是ヲ国ニ用ヒ是ヲ天下ニ布テ余アルシヤ。富ル者ノ其分ヲ守ル。華奢ノ身ニ益ナキヲ知ルシヤ。貧キ者ノ其限ニ安スル。常ニ足テ世ニ諂ヌシヤ。
現代語訳
南山大師(道宣)の言葉に、「この盗戒は実徳のある人でも、あるいは免れない」とある。これである。まして官吏が賄賂によって上を偽り下を虐げるのは、盗みの中の大きなものである。これらの事は戒経や律蔵の中に詳しく説いてあるのである。法としてこのようであるから、菩薩は自ら偸盗しない。また人を教えて不偸盗戒を護持させる。もし士庶人であれば、堅くその分を守って越えない。これを身に用い、これを家に用いて余りがあるのである。もし王公の位にあっては、この戒で人民を慈しみ育てる。これを国に用い、これを天下に布いて余りがあるのである。富める者がその分を守る。華美や奢りが身に益のないことを知るのである。貧しい者がその限りに安んじる。常に足りていて世に諂わないのである。
解説
この章句が説くこと
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